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constructive program

2011年9月24日 (土)

糸車・独立・非暴力

 市民的不服従の機運が高まっているこの時に、今一度、繰り返しになったとしても、糸車と独立と非暴力とが、どれほど密接に関係しているかを、一つの記事の中で簡潔に述べる必要があるのではないかと言ってくださる方がありました。私は喜んで、そうしてみたいと思います。
 糸車は私にとっては、大衆の希望です。大衆は、糸車を失った時に、ささやかな自由を失ってしまいました。糸車は、村人たちにとっては、農業を補ってくれるものでした。そして、尊厳を得ていました。寡婦にとっては、友であり、慰めでした。これがあったおかげで、村人たちは怠惰にならずにすんでいました。糸車に付随して、その前後にたくさんの作業があったからです。綿繰り、綿梳き、整経、糊付け、染織などです。さらには、村の大工や鍛冶屋も忙しく働くことになりました。糸車のおかげで、70万の村々が、自給自足できていました。糸車がなくなって、搾油などの村の他の産業も消えていきました。これらの産業に代わるものは何もありませんでした。そのため村々はいろいろな仕事を失ってしまって、創造的な能力も、これらの仕事によって得ていたささやかな富もなくしてしまったのです。
 村の手工業が破壊されてしまった他の国々と比べてみても、我々には意味がありません。と言いますのも、他の国の村人たちは、失ったものを埋め合わせることができたからです。インドの村人たちには、何もありません。西洋の工業国は、他の国々を搾取していました。インドは、搾取された国です。ですから、村人たちは、独立したなら、最も自然なこととしては、糸車とその意味することのすべてを取り戻すことになるわけです。
 このように甦らせていくためには、知性があって愛国心にあふれたインド人が一丸となって無私の働きをしていくことが必要です。村の中で糸車のメッセージを広め、村人たちの生気のない目に一条の希望の光を灯す活動が必要なのです。これは、協力という壮大な取り組みであり、本来の成人教育でもあります。ひっそりとしていても、確実に命を与える糸車の革命となりましょう。
 20年間、糸車の活動に取り組んできた経験から、ここで私が述べてきたことが正しいことを私は確信しています。糸車は、貧しいイスラム教徒にもヒンズー教徒にも同じように助けとなります。5000万ルピーに近い金額が、あれこれ煩うこともなく、これら本当に大勢の村の職人たちの手に、分配されたのです
 ですから、いろいろな宗教に属する大衆の立場での独立を達成するには、糸車しかないと、私はためらうことなく言います。糸車によって、村はふさわしい地位を回復し、高い、低いの区別をなくすことができます。
 しかし、この国が非暴力を信じない限り、糸車によって独立を達成することはできません。実際、どこにも行けません。糸車は、それほど、興奮をそそられることではありません。自由を求めてやまない愛国者たちは、糸車を見下す傾向があります。彼らは、歴史の本の中にある糸車をむなしく眺めるだけです。自由を愛する人たちは、外国の支配者と戦って彼らを追い払うのだという熱い思いに燃えています。悪いことはすべて支配者のせいにしています。そして、自分たちの欠点はいっさい見ようとしません。彼らは、血の海を経て自由を獲得した国々の例を引き合いにだします。暴力に無縁の糸車は、彼らには実に単調に見えます。
 1919年にインドの自由を愛する人々に、独立への唯一確実な手段として非暴力が、そして非暴力のシンボルとして、糸車が紹介されました。1921年には、糸車が国旗の中に誇り高く描かれました。しかし、非暴力はインドの心に深く根付くことはありませんでした。そして、糸車も本領を発揮できませんでした。会議派の大多数が非暴力を心から信じない限り、本領を発揮することはないでしょう。彼らが本気で信じれば、もう議論する必要もなく、糸車以外に非暴力のシンボルはないことに、自分で気づくことでしょう。そして、糸車を普及させなければ、非暴力を見える形で表現できないことにも気づくはずです。非暴力がなければ、非暴力の不服従も存在しえないことは、共通の認識です。私の主張が間違っているかもしれません。私のデータは不完全かもしれません。しかし、私はこのように考えていますので、私が述べてきました条件が完全に整わない限り、私は、市民的不服従を宣言することができないのです。
ハリジャン1940年4月13日

CHARKHA-SWARAJ-AHIMSA
     A correspondent says now that civil disobedience is in the air, I must once more, even at the risk of repeating myself, summarize in a single article my argument showing that there is a vital connection between the charkha, swaraj and ahimsa. I gladly make the attempt.
     The spinning-wheel represents to me the hope of the masses.  The masses lost their freedom, such as it was, with the loss of the charkha. The charkha supplemented the agriculture of the villagers and gave it dignity. It was the friend and solace of the widow. It kept the villagers from idleness. For the charkha included all the anterior and posterior industries--ginning, carding, warping, sizing, dyeing and weaving. These in their turn kept the village carpenter and the blacksmith busy. The charkha enabled the seven hundred thousand villages to become self-contained. With the exit of the charkha went the other village industries, such as the oil-press. Nothing took the place of these industries. Therefore the villages were drained of their varied occupations and their creative talent and what little wealth these brought them.
     The analogy of the other countries in which too village handicrafts were destroyed will not serve us because, whereas the villagers there had some compensating advantages, India's villagers had practically none. The industrialized countries of the West were exploiting other nations. India is herself an exploited country. Hence, if the villagers are to come into their own, the most natural thing that suggests itself is the revival of the charkha and all it means.
     This revival cannot take place without an army of selfless Indians of intelligence and patriotism working with a single mind in the villages to spread the message of the charkha and bring a ray of hope and light into their lustreless eyes. This is a mighty effort at cooperation and adult education of the correct type. It brings about a silent and sure life-giving revolution of the charkha.
     Twenty years' experience of charkha work has convinced me of the correctness of the argument here advanced by me. The charkha has served the poor Muslims and Hindus in almost an equal measure. Nearly five crores of rupees have been put into the pockets of these lakhs of village artisans without fuss and tomtomming.
     Hence I say without hesitation that the charkha must lead us to swaraj in terms of the masses belonging to all faiths. The charkha restores the villages to their rightful place and abolishes distinctions between high and low.
     But the charkha cannot bring swaraj, in fact it will not move, unless the nation has faith in non-violence. It is not exciting enough. Patriots yearning for freedom are apt to look down upon the charkha. They will look in vain to find it in history books. Lovers of liberty are fired with the zeal to fight and banish the foreign ruler. They impute all the vices to him and see none in themselves. They cite instances of countries having gained their freedom through seas of blood. The charkha devoid of violence seems an utterly tame affair.
     In 1919 the lovers of the liberty of India were introduced to non-violence as the only and sure means to swaraj and to the charkha as a symbol of non-violence. The charkha found its proud place on the national flag in 1921. But non-violence had not gone deep into the heart of India, and so the charkha never came into its own. It will never come into its own unless the vast body of Congressmen develop a living faith in non-violence. When they do so they will, without needing any argument, discover for themselves that there is no other symbol of non-violence than the charkha, and that without its universalization there will be no visible expression of non-violence. It is common ground that without non-violence there can be no nonviolent disobedience. My argument may be false, my data may be faulty. But, holding the views I do, let me proclaim that without fulfilment of the conditions prescribed by me I simply cannot declare civil disobedience.
SEVAGRAM, April 9, 1940
Harijan, 13-4-1940

2011年9月16日 (金)

奉仕こそ真の力

 我々が第一にやらねばならないことは、この国の人々を人格者にすることです。我々が人格者にならなければ、どのような改革も不可能です。つい最近、スワラージ(独立・自治)を手にしたというのに、建設的な仕事がすでにもう停滞を始めているというのは、嘆かわしいことです。・・・・
 まずは、自らを浄める必要があります。国民会議派(独立運動の中心勢力となったインドの政党:以下、会議派)には常に建設的プログラムがありました。今、会議派は権力を手にしています。ではなぜ、我々のこの仕事が発展していないのでしょうか。我々にやる気がないからかもしれません。・・・我々の心が純粋でないから、状況がこのようであると言わざるを得ません。流れが作られました。こうすれば英国に打ち勝てるという考えに、人々はひかれました。村人たちも、どんどん我々のもとに群がってきました。この国にそのような目覚めが訪れて、我々は喜びました。しかし、先頭にいたのは、インテリ階級の人たちでした。その結果、手にした自由は、本物の自由ではありませんでした。闘いが終わったので、建設的プログラムに対する我々の関心も冷めていきました。建設的仕事は、闘争のための戦略でも、手法でもありません。建設的仕事は、生き方とも言えるでしょう。心と知性の両方でそれを受け入れた人だけが、進めていくことができます。
 ・・・国民会議派は、建設的仕事のための協会に名前を貸し、その運営指針を作ることもしました。しかし、会議派のメンバーは、そこに書いたことを実行することも、重荷を負うこともできませんでした。そのように我々はお手上げ状態なのです。・・・間もなく成年選挙権を手にすることになるでしょう。それは、結構なことです。しかし、成年選挙権を政治権力を手に入れる手段とみなせば、堕落した参政権の行使となるでしょう。
 建設的仕事のための組織の目的は、政治的な力を生み出すことにあります。しかし、もし、政権が引き渡された以上、骨折りの代償として政権は自分たちのものであるはずだと主張するならば、自ら品位を落とし、身の破滅となるでしょう。糸紡ぎ協会を例にとってみましょう。すべての協会の中で、メンバーが一番多いのがこの協会です。しかし、選挙人名簿に協会のメンバーを記載しようとしたことは一度もありません。ある時は、会議派の名簿に協会のメンバーの名前を記載したらどうかという提案がなされましたが、私はそれに反対しました。「会議派を乗っ取りたいのですか」と私は尋ねました。それは会議派の息の根を止めるにも等しい行為です。奉仕という権限を通して初めて、会議派は我々のものとなるのです。・・・実際に起こっていることですが、村の人々が我々のもとにやってきて、だれに投票したらよいか、我々にアドバイスを求めているのです。と言いますのも、村の人々は我々が真の奉仕者であり、利己的な野望をひそかに抱いたりはしていないことを知っているからです。
 今日では、政治は堕落してしまいました。政界に身を置く人々はみんな、汚れてしまっています。そこからは一切身を引きましょう。そうすることで、我々の影響力は増大します。我々の内面が純粋であればあるほど、我々の方で何もしなくても、我々はより強く人々の心をつかむことになります
 今や、私の目は開かれました。英国との闘争で非暴力の名のもとにやってきたことは、本物の非暴力ではなかったことに気付かされました。神は、意図的に私の目をふさいでくださっていました。私を通して、神の偉大な計画を成し遂げたかったからです。その目的が達成できましたので、神は私の目を再び開いてくださったのです。開かれた目で、私には何をしたらよいかがわかっています。・・・
 皆さんがここに集まっているのは、会議派の一翼である建設的仕事を担ってのことです。これについては、どのような委員会にも所属する必要はありません。みなさんの仕事は、大衆の中で行われます。憲法制定会議は今、憲法を作っています。文言を変えさせようと働かなくても良いのです。・・・我々は村をよみがえらせなければなりません。村が栄えるようにし、教育も施し、力づける必要があります。村にしかるべき地位が与えらないのであれば、憲法が何の役に立つでしょうか。・・・今の会議派では、我々が思い描いているような社会を実現することはできないのだと、知らねばなりません。最終的にどのような憲法が出来上がるかは、だれにもわかりません。それに携わっている方々に任せておきなさいと、私は言いたいのです。・・・チャルカ協会は、最大の協会です。資金もあります。地域分散型の政策を遂行中です。危機的状況にあったり、困難に直面していることに気付いていないわけではありません。我々は、もっと優秀で、上級のカディー・スタッフを養成する必要があります。そうしない限り、パンチャーヤト・ラジ(村落国家)を実現することはできません。チャルカ協会のスタッフは、単に自分たちの生計を得るためや、貧困の救済策として、紡ぎ手や織り手たちに賃金を分配するためだけにそこにいるのではありません。その望みにふさわしい目標は、非暴力の社会を作っていくこと、これだけです。しかし、これについては、ほとんど前進できていません。カディーのスタッフが、賃金のためだけにそこにいるのであれば、非暴力の社会を実現するという夢に別れを告げた方が良いです。成功するかどうかは、我々が最大限純粋になれるかどうかにかかっています。短気は致命的です。
 我々は、どちらかと言えば貧しいです。しかし、このように貧しいからと言って、失望したりはしません。やっと今、我々は気づきつつあるのですが、我々のスタッフは皆、都市出身の者たちです。彼らは、非暴力が何であるかすら知っていません。女性が私に糸を手渡す時、彼女はお金のために糸を紡いでいます。どうしてこの女性は、お金をそんなに欲しがるのでしょうか。そのもともとの原因は、貧困です。このおおもとの原因こそ、我々は撲滅しなければなりません。今、カディーはどこにあるでしょうか。カディーを着ている人々は、政治的な目的のためにそうしています。そこには良いところは何もありません。我々の取り組みは、ゆっくりかもしれません。しかし、それを通して、大きな力を獲得することになります。会議派の憲法については、忘れることにしましょう。と言いますのも、憲法が制定されてからも、我々の取り組みは継続していかねばならないからです。我々は、別のやり方で自分たちの目的を追求していかねばなりません。大臣になりたいという野望に屈してはなりません。
 本当に貧しい村人は、困窮という亡霊に取りつかれています。必需品を手に入れる以上のことは考えられません。この村人には、非暴力がわかりませんし、私も彼に非暴力の話をしたいとは思いません。私がするとすれば、この人が糸紡ぎを上手になり、まずまず最低限生活できる賃金を得られるようにしてあげることくらいです。我々の仕事が、しっかりさえしていれば、小規模でも構いません。2、3か月もすれば憲法制定の仕事は終わるでしょう。その後は何をすべきでしょうか。実際に行動を起こし、成功へと導く責任はあなた方の肩にかかっています。皆さんが心に描いているまさにそのままの憲法が手に入ったとしましょう。しかし、うまく機能させることができなければどうでしょうか。5年後には、次のように言う者が現れるでしょう。「あなたの出番は終わりです。今度は我々の番ですよ」と。皆さんは諦めねばなりません。そして、彼らが権力を握ろうとするでしょう。独裁体制を敷き、国民会議派を締め出すかもしれません。これと対照的に、権力は握らないが、人心を手中に握っている場合を考えてみましょう。誰でも願う人を選挙で選出して送り出すことができます。選挙人の支持を得ている限り、会派の一員になるならないの心配は忘れてしまうことです。根本的なことを考え、それをできるだけ大切にすべきです。自分をどの程度まで純粋にできたかが、唯一の基準となります。この精神に満たされたものが数人いるだけで、状況を変えることができます。人々はすぐにその変化を見て取り、それに対して反応が鈍いということはないはずです。努力を要する困難な仕事ではありますが、報いも大きいのです。

DISCUSSION AT CONSTRUCTIVE WORKS COMMITTEE MEETING  NEW DELHI, December 11/12, 1947
     The first thing we have to do is to improve our national character. No revolution is possible till we build our character. The pity is that though swaraj is so recent an achievement, there is already a slackness in constructive efforts....
     We must first purify ourselves. The Congress has always had the constructive programme. Now it has the power. Why is it then that our work is not progressing? It may be that we have no heart....  I can say that things are in such a state because our hearts are not pure. A current was generated. The people caught on to the idea that that was the way to overcome the British. Villagers too flocked to us in ever larger numbers. It gladdened us that there was such awakening in the country. But in the forefront were intellectuals.  And the result was that the freedom that came was not true freedom.  The fight being over, our interest in the constructive programme waned. Constructive work is not a strategy or a technique of fighting.  Constructive work connotes a way of life. It can be carried on only by men who have adopted it by the heart as well as by the intellect.
     ....The Congress lent the constructiv workers' Sanghs its name and also gave them the charter to function.  But the Congressmen failed to come up to the scratch and to shoulder the burden. Such is our bankruptcy....  Soon we shall have adult suffrage. That is a good thing. But to regard adult suffrage as a means of capturing political power, would be to put it to corrupt use.
     The objective of the constructive works organizations is to generate political power. But if we say that political power having come, it must be ours as a price for our labours, it would degrade us and spell our ruin. Take the case of the Charkha Sangh. It has the largest membership of all the Sanghs. But we have never endeavoured to get its members enrolled on the voters' list. It was suggested at one time that we should get their names enrolled on the Congress register.  I opposed it.  "Do we want to capture the Congress?", I asked. That would be tantamount to killing it. The Congress can be ours only by right of service....  What actually happened was that the people from the village came and sought our advice as to whom they should give their vote, because they knew that we were their true servants and had no axe to grind.
     Today politics has become corrupt. Anybody who goes into politics gets contaminated. Let us keep out of it altogether. Our influence will grow thereby. The greater our inner purity, the greater shall be our hold on the people, without any effort on our part.
     My eyes have now been opened. I see that what we practised during the fight with the British under the name of non-violence, was not really non-violence.  God had purposely sealed my eyes, as He wanted to accomplish His great purpose through me. That purpose being accomplished, He has restored to me my sight. Now I can see with open eyes what is to be done....
     You have met here as the constructive wing of the Congress. For that you need not get into any committee. Your work is among the masses.  The Constituent Assembly is today forging the Constitution. Do not bother about making changes in it....We have to resuscitate the village, make it prosperous and give it more education and more power. What good will the Constitution be if the village does not find its due place in it?... We must recognize the fact that the social order of our dreams cannot come through the Congress of today. Nobody knows what shape the Constitution will ultimately take.  I say, leave it to those who are labouring at it.... The Charkha Sangh is the biggest Sangh. It has funds. It is pursuing the policy of decentralization. I am not unaware of its perils and its difficulties. We have to create a superior, more advanced type of khadi worker. Not till then, shall Panchayat Raj become a reality. The workers of the Charkha Sangh are not there merely to earn a living for themselves or merely to distribute some wages to the spinners and weavers, etc., by way of poor relief. The only goal worthy of their ambition is to create a non-violent order of society. But, in this they have not made much headway. If our khadi workers are there for wages only, then we had better bid good-bye to the dream of realizing a non-violent social order. The success will depend on our uttermost purity. Impatience would be fatal.
     We are today rather poor. But this poverty does not discourage me. Only now we are coming to realize that all our workers are from cities. They do not even know what non-violence is. When a woman gives me yarn she does it for money. But why does she covet money?  The root cause is poverty. It is that root we have to destroy. Where is khadi today? The people who wear khadi do so to gain political ends.  There is no credit in it. Our work may be slow but we can generate great strength through it. Let us forget about the Congress Constitution, because even after the Constitution has been given shape our work must go on. We have to pursue our ends in a different way.  You must not succumb to the desire to become ministers.
     The really poor villager is haunted by the spectre of destitution.  He cannot see beyond the satisfaction of his primary needs. The villager does not understand non-violence, nor do I talk to him of it, but I try only to see that he becomes a good spinner and gets a fair minimum subsistence wage. I do not mind if the volume of our work is small, so long as it is solid. Constitution-making will be over in a few months. What next? The responsibility of working it and making a success of it will rest on you. Suppose you get a constitution after your heart, but it does not work. After five years, someone will say: 'You had your innings, now give us a chance.'  You will have to give in and they may try to seize power, set up a dictatorship and strangulate the Congress. Per contra, suppose you do not assume power but gain hold on the public, you will be able to return at the polls whomsoever you may wish. Forget membership so long as the voters are in your hand. Think of the root and take care of it as much as you can, and make self-purification the sole criterion. Even a handful imbued with this spirit will be able to transform the atmosphere. The people will soon perceive the change and they will not be slow to respond to it. Yours is an uphill and difficult task but it is full of rich promise.
vol.98 pp.34-38

2011年7月22日 (金)

非協力運動としてのスワデシ(国産品愛用)

 非協力とは、自己犠牲の鍛錬にほかなりません。とどまるところを知らない犠牲を捧げることができる国は、どこまでも向上できると私は信じています。犠牲が純粋であればあるほど、より速く前進できます。スワデシ(国産品愛用)は、男女、子供を問わず、手始めとして、人々に純粋な自己犠牲を行う機会を提供してくれます。それゆえ、我々がどの程度犠牲を払うことができるかの、試金石となります。・・・・・大多数のインド人が、外国製の布を身にまとったり、使用することを拒否し、自分たちの家庭で作ることのできる簡素な布に満足するならば、そのことは、我々が必要な物を確保するための組織力、活力、協力体制、自己犠牲を持っていることの証明となります。国民がどれほど連帯しているかを驚異的に示すことになります。
 このような成果を現実にするには、願うだけでは無理です。どんなに有能で、真摯な人であっても一人ではできません。インド中のいたる所にスワデシのお店を立ち上げても、だめです。どんどん生産して、うまく流通させることによってのみ、これが可能となります。生産するとは、大勢の女性が、各家庭で糸を紡ぐことを意味します。そのためには、 綿打ち済みの篠綿を届け、糸を回収し、労賃を支払うことをまじめにやってくれる男性たちも必要です。さらに、糸紡ぎ車を何千台も作らなければなりません。代々続く機織り職人がその崇高な天からの使命に再び従事するよう彼らを促し、彼らに家庭で紡いだ糸を供給し、仕事を始められるようにする必要があります。非協力の一項目としてのスワデシは、私にとって、このように力強い運動なのです。しかし、そのような力がないと卑下することはありません。このことのために働くすべての人が、何かをなしてくれることを私は期待しています。他に何もできなくても、生産を増やし、そして流通を増やすことで、まず、スワデシを進展させることができるなら、何かが達成できると期待しているのです。すでにインドで生産され、流通している布に満足するなら、それだけで、その輪の中に入っていることになります。
Young India, 25-8-1920

     Non-co-operation is nothing but discipline in self-sacrifice.  And I believe that a nation that is capable of limitless sacrifice is capable of rising to limitless heights. The purer the sacrifice the quicker the progress. Swadeshi offers man, woman and child an occasion to make a beginning in self-sacrifice of pure type. It therefore presents an opportunity for testing our capacity for sacrifice....  If crores of people will refuse to wear or use foreign cloth and be satisfied with the simple cloth that we can produce in our homes, it will be proof of our organizing ability, energy, co-operation and self-sacrifice that will enable us to secure all we need. It will be a striking demonstration of national solidarity.
     Such a consummation cannot be achieved for the mere wish. It cannot be achieved by one man, no matter how capable and sincere he may be. It cannot be achieved by dotting India with swadeshi stores.  It can only be achieved by new production and judicious distribution.  Production means lakhs of women spinning in their own homes. This requires earnest men to be engaged in honestly distributing carded cotton and collecting yarn and paying for it. It means manufacture of thousands of spinning-wheels. It means inducing the hereditary weavers to return to their noble calling and distributing home-spun yarn amongst them and setting their manufactures. It is thus only as an energizing agent that I can think of swadeshi as a plank in non-cooperation.  But it is not to be despised in that capacity. And I hope that every worker for the cause, even if he can do nothing else, will have done something if he can advance swadeshi first by increasing production and then distribution. He would be simply moving in a circle if he is satisfied with distributing cloth that is already being manufactured in India.
Young India, 25-8-1920 

2011年5月31日 (火)

独立を手にする前に

     何度講演会を開いても、独立にふさわしい私たちになれるわけでは決してありません。我々が行動して初めて、備えができるのです。今、私たちはどのように自らを統治しようとしているのでしょうか?
     ... 昨晩、私はヴィシュワナス寺院を訪れました。参道を歩きながら、次のような思いが私の心をとらえました。この壮大な寺院に空から舞い降りてくる人があれば、そして、ヒンズー教徒としての我々を評価するなら、その人が我々を断罪しても、文句を言えないのではあるまいかと。この壮大な寺院が、我々の人格を映し出してはいないでしょうか? 私はヒンズー教徒として、実感を込めて語っています。我々の聖なる寺院への参道が、このように汚れていて良いのでしょうか? 周囲の家々は、無秩序に建てられています。参道は曲がりくねり、細くなっています。私たちの寺院でさえも、広大さと清潔のモデルでないなら、どんな独立を私たちは手に入れるでしょうか? 英国がインドから立ち去るや否や、私たちの寺院は、神聖で、清潔で、平和に満ちた場所となるでしょうか? 自発的にせよ、強制されてにせよ、英国が一切合財を持って、立ち去りさえすればよいのでしょうか?
 会議派議長の次の主張に、私は心から賛同します。つまり、私たちは独立について考える前に、必要な歩みを一歩一歩していかねばなりません。...衛生についての基本的知識も持ち合わせていないのですから。....
     ... 独立を求めて進んでいく中で、これらのことを正していかねばなりません。
ベナレス・ヒンディー大学での講演 1916年2月4日

     No amount of speeches will ever make us fit for self-government.  It is only our conduct that will fit us for it.  And how are we trying to govern ourselves?
     ... I visited the Vishwanath temple last evening, and as I was walking through those lanes, these were the thoughts that touched me.  If a stranger dropped from above on to this great temple, and he had to consider what we as Hindus were, would he not be justified in condemning us?  Is not this great temple a reflection of our own character?  I speak feelingly, as a Hindu.  Is it right that the lanes of our sacred temple should be as dirty as they are?  The houses round about are built anyhow.  The lanes are tortuous and narrow.  If even our temples are not models of roominess and cleanliness, what can our self-government be?  Shall our temples be abodes of holiness, cleanliness and peace as soon as the English have retired from India, either of their own pleasure or by compulsion, bag and baggage?
     I entirely agree with the President of the Congress that before we think of self-government, we shall have to do the necessary plodding...We do not know the elementary laws of cleanliness....
     ... We must set these things right in our progress towards self-government.  Benaras Hindu University Speech  (4-2-1916)
    The Selected Works of Mahatma Gandhi Vol.VI  The Voice of Truth PP.7-9

2011年5月17日 (火)

講演よりも大切なこと

私自身は、スピーチや講演というものにうんざりしています。・・・耳や目を楽しませるだけでは、不足していることがあります。心を震わせ、手と足を動かすことが、どうしても必要です。  ベナレス・ヒンディー大学での講演 1916年2月4日

I myself have been fed up with speeches and lectures.... It is not enough that our ears are feasted, that our eyes are feasted, but it is necessary that our hearts have got to be touched and that our hands and feet have got to be moved.
  Benaras Hindu University Speech  (4-2-1916)
    The Selected Works of Mahatma Gandhi Vol.VI  The Voice of Truth P.4

2009年8月 7日 (金)

糧を得る労働

 アシュラムでは、男性も女性も全ての人が、生きるために働かねばならない決まりになっています。この原則は、トルストイの小論を読んでいて頭にひらめきました。彼は、ロシアの作家、ボンダレフに言及して、糧を得るための労働が極めて重要であると気づいた述べています。そして、これこそが最近気づいた最も注目すべき事柄だと、彼は述べるのです。健康な人であれば誰もが、自分が食べるだけの物は労働して得なければならないというのが、この考えです。知的能力も、生活の糧を手に入れたり、富を蓄えるために用いるのではなく、人類に奉仕するためだけに用いるべきです。この原則をあらゆる場所で守ることができれば、全ての人が平等になります。だれ1人飢えることはなく、この世界は多くの罪から救われるでしょう。
 この黄金律が、世界中で守られることは決してないかもしれません。大変多くの人が意に反して、この原則を理解することなく、これに従っています。しかし、彼らの心は反対の方向に向かっています。そのため、彼ら自身は幸せではありませんし、彼らの労働も、本来あるべき実を結んでいません。この原則を理解し、それを実際に追及する人々には、この状況が発奮材料となります。率先してこの原則に従うことで、このような人々は、健康に恵まれますし、心も全く平安です。そして、奉仕する力が増大することは言うまでもありません。
 トルストイの言葉は、私の心に深く刻まれました。南アフリカにいた頃から私はすでに、できるだけこの原則に従おうとしてきました。アシュラムが創設されてからは、糧を得るための労働いうのが、おそらくはアシュラムの最も顕著な特徴となってきました。
 この同じ原則が、ギータ(ヒンズー教の経典)の3章にも明記されていると、私は思います。この章にあるヤジュナ(犠牲)という言葉が、肉体労働を意味しているとまで言うつもりはありません。しかし、ギータが、「雨は犠牲の賜物である」(14節)と語る時、肉体労働の必要性を説いているのだと、私は思います。「犠牲のおさがり」(13節)とは、額に汗して獲得したパンのことです。自分の食い扶持のために労働することが、ギータではヤジュナに分類されてきました。自分の肉体を維持するのに十分な量を超えて食べる人は、みんな盗人です。しかも私たちのほとんどが、自分を維持するのに必要な労働を十分には行っていません。自分の生活費以上を受け取る権利は人にはないのだと、私は信じていますし、働いている人は誰でも、生きていけるだけの報酬をもらう資格があるとも、確信しています。
 だからと言って、分業ということを排除するわけではありません。人が本質的に必要とする物を作るには、何であっても肉体労働が関わってきます。ですから、必要不可欠な職業でのすべての労働が、糧を得る労働とみなされます。しかし、私たちの多くはそのような労働を行っていませんので、健康を維持するために運動をしなければならない始末です。日々、畑を耕している人は、呼吸運動やストレッチ運動をする必要がありません。本当のところ、健康に関するほかのルールも守っていれば、この人は絶対に病気になることはないでしょう。
 神は、その瞬間、瞬間にきっかり必要なだけしか、決して創造されません。ですから、もし誰かが自分が本当に必要とする以上を自分のものとしてしまうなら、隣人を困窮させることになります。世界のさまざまな所で人々が飢えていますが、これは、我々の多くが必要とするよりもはるかに多くを独占しているためです。我々は自然の恵みを好きなように利用しても構わないかもしれません。しかし、地球の勘定書きにおいては、借方は常に貸方と一致しています。どちらの欄にも差額はありません。
 人間は農業の機械化および化学肥料によって、収穫高を増大させ、同様に工業生産高も増大させていますが、この事実によって、勘定書きの法則が無効になることはありません。自然界のエネルギーを変形させているに過ぎないからです。どんなに一生懸命やっても、収支はいつもゼロです。
 いずれにせよ、アシュラムで最も守られている決まりが、この糧のための労働ですが、驚くにはあたりません。普通に注意を払えば、これを守るのは簡単です。1日のうちの数時間、他のことをせずに働くことだけをすればよいのです。 そうすれば仕事が入り込むことになります。労働者が怠け者であったり、技量不足だったり、不注意である場合もあります。しかし、そのような人も、それでも決められた時間を働きます。また、ある仕事はすぐに物を生み出すことができます。ですから、労働者はそれ相応の時間、気を抜くことができません。肉体労働が重要な役割を果たしている施設では、召使はほとんどいません。水汲み、薪割り、ランプの掃除と注油、トイレ掃除、道路や家屋の清掃、洗濯、料理・・・これら全ての仕事を、いつも行うべきです。
 この他にもさまざまな活動がアシュラムで行われています。労働の原則を守った結果でありますし、守ろうとするからでもあります。例えば、農業、酪農、機織り、大工、皮なめしなどがあって、アシュラムの多くのメンバーが携わって初めてできることです。
 これだけの活動があれば、糧を得る労働を十分に満たしていると、考えてよいかもしれません。しかし、ヤジュナ(犠牲)にとって欠くことのできない別の側面があります。それは、他者に奉仕するということです。この後者に関して、アシュラムには欠けているものがあると言えるのかもしれません。アシュラムが理想とすることは、奉仕するために生きるということです。そのような施設であれば、無為に過ごしたり、義務を逃れたりする余地はありません。すべてのことが、快く率先してなされなければなりません。もし、実際にこういう具合になれば、アシュラムの働きは、今よりも、もっと実り豊かになるでしょう。しかし、我々はそのような幸せな状態からは、まだまだ程遠いのです。ですから、アシュラムの活動は全て、ある意味ヤジュナ的であるとしても、それでも、少なくとも1時間は、貧者の身をまとった神(ダリドゥラナーラーヤナ)の名のもとに、皆が紡ぐ義務があるのです。
 肉体労働が最高位におかれているアシュラムのような施設では、知性が発達する余地がないと、人々はよく言います。しかし、私が経験してきたことは全く逆です。アシュラムにやってきた人は誰でも、知的な面でも成長していきました。アシュラムに滞在したために悪くなった人は、一人も知りません。
 知性の発達とは、この宇宙の事実を知識として知ることだと、考えられることが多いです。アシュラムにいる生徒たちに、そのような知識をせっせと授けていないのは、全くその通りです。しかし、知性の発達というのが、理解力及び識別力であるのなら、アシュラムで十分提供されています。賃金を得るためだけに、肉体労働が行われるのであれば、労働者が愚鈍で無関心になってしまうこともあるでしょう。その場合、物事をどのように、なぜ行うのかを教えてくれる人はいません。労働者自身も、自分の仕事に興味もなければ、どんな関心も払いません。しかし、アシュラムではこのようではありません。どんなことでも、トイレ掃除でも、知性を働かせて、熱心に、神への愛の表明として行うべきです。その結果、アシュラムのあらゆる活動において、知性を発達させる場面が存在します。自分が抱える課題について、完全な知識を獲得するように各自は促されます。これを怠る人は、その結果を引き受けねばなりません。アシュラムにいる人は誰もが、労働者です。賃金奴隷は1人もいません。
 知識が得られるのは書物を通してだけだと思い込むのは、とんでもない迷信です。我々はこの誤りを退けねばなりません。読書も、生活にいろどりを添えてくれます。しかし、読書が役に立つのは、それにふさわしい場においてだけです。肉体労働を犠牲にして、書物の知識を養うことになるのであれば、それに対抗する必要があります。我々の時間の大半は、肉体労働に捧げるべきです。読書する時間は少しでよいのです。今日のインドでは、豊かで上流と言われる人々が、肉体労働を軽蔑しています。ですので、労働の尊厳を力説することが、本当に必要なのです。さらには、知性を本当に発達させるためにも、何らかの有益な肉体労働に従事すべきです。

BREAD LABOUR
  The Ashram holds that every man and woman must work in order to live. This principle came home to me upon reading one of Tolstoy’s essays. Referring to the Russian writer Bondareff, Tolstoy observes that his discovery of the vital importance of bread labour is one of the most remarkable discoveries of modern times. The idea is that every healthy individual must labour enough for his food, and his intellectual faculties must be exercised not in order to obtain a living or amass a fortune but only in the service of mankind. If this principle is observed everywhere, all men would be equal, none would starve and the world would be saved from many a sin.
  It is possible that this golden rule will never be observed by the whole world. Millions observe it in spite of themselves without understanding it. But their mind is working in a contrary direction, so that they are unhappy themselves and their labour is not as fruitful as it should be. This state of things serves as an incentive to those who understand and seek to practise the rule. By rendering a willing obedience to it they enjoy good health as well as perfect peace and develop their capacity for service.
  Tolstoy made a deep impression on my mind, and even in South Africa I began to observe the rule to the best of my ability.  And ever since the Ashram was founded, bread labour has been perhaps its most characteristic feature.
  In my opinion the same principle has been set forth in the third chapter of the Gita. I do not go so far as to say that the word yajna (sacrifice) there means body labour. But when the Gita says that ‘rain comes from sacrifice’, (verse 14), I think it indicates the necessity of bodily labour. The ‘residue of sacrifice’ (verse 13) is the bread that we have won in the sweat of our brow. Labouring enough for one's food has been classed in the Gita as a yajna. Whoever eats more than is enough for sustaining the body is a thief, for most of us hardly perform labour enough to maintain themselves. I believe that a man has no right to receive anything more than his keep, and that everyone who labours is entitled to a living wage.
  This does not rule out the division of labour. The manufacture of everything needed to satisfy essential human wants involves bodily labour, so that labour in all essential occupations counts as bread labour. But as many of us do not perform such labour, they have to take exercise in order to preserve their health. A cultivator working on his farm from day to day has not to take breathing exercise or stretch his muscles. Indeed if he observes the other laws of health, he will never be afflicted with illness.
  God never creates more than what is strictly needed for the moment, with the result that if anyone appropriates more than he really needs, he reduces his neighbour to destitution. The starvation of people in several parts of the world is due to many of us seizing very much more than we need. We may utilize the gifts of nature just as we choose, but in her books the debits are always equal to the credits.  There is no balance in either column.
  This law is not invalidated by the fact that men raise bigger crops by mechanizing agriculture and using artificial fertilizers, and similarly increase the industrial output. This only means a transformation of natural energy. Try as we might, the balance is always nil.
  Be that as it may, the observance best kept in the Ashram is that of bread labour, and no wonder. Its fulfilment is easy with ordinary care. For certain hours in the day, there is nothing to be done but work. Work is therefore bound to be put in. A worker may be lazy, inefficient or inattentive, but he works for a number of hours all the same. Again certain kinds of labour are capable of yielding an immediate product and the worker cannot idle away a considerable amount of his time. In an institution where body labour plays a prominent part there are few servants. Drawing water, splitting firewood, cleaning and filling lamps with oil, sanitary service, sweeping the roads and houses, washing one’s clothes, cooking,---all these tasks must always be performed.
  Besides this there are various activities carried on in the Ashram as a result of and in order to help fulfilment of the observances, such as agriculture, dairying, weaving, carpentry, tanning and the like which must be attended to by many members of the Ashram.
  All these activities may be deemed sufficient for keeping the observance of bread labour, but another essential feature of yajna (sacrifice) is the idea of serving others, and the Ashram will perhaps be found wanting from this latter standpoint. The Ashram ideal is to live to serve. In such an institution there is no room for idleness or shirking duty, and everything should be done with right goodwill. If this were actually the case, the Ashram ministry would be more fruitful than it is. But we are still very far from such a happy condition. Therefore although in a sense every activity in the Ashram is of the nature of yajna, it is compulsory for all to spin for at least one hour in the name of God incarnated as the Poor (Daridranarayana).
  People often say that in an institution like the Ashram where body labour is given pride of place there is no scope for intellectual development, but my experience is just the reverse. Everyone who has been to the Ashram has made intellectual progress as well; I know of none who was the worse on account of a sojourn in the Ashram.
  Intellectual development is often supposed to mean a knowledge of facts concerning the universe. I freely admit that such knowledge is not laboriously imparted to the students in the Ashram.  But if intellectual progress spells understanding and discrimination,there is adequate provision for it in the Ashram. Where body labour is performed for mere wages, it is possible that the labourer becomes dull and listless. No one tells him how and why things are done; he himself has no curiosity and takes no interest in his work. But such is not the case in the Ashram. Everything including sanitary service must be done intelligently, enthusiastically and for the love of God. Thus there is scope for intellectual development in all departments of Ashram activity. Everyone is encouraged to acquire full knowledge of his own subject. Anyone who neglects to do this must answer for it.  Everyone in the Ashram is a labourer; none is a wage-slave.
  It is a gross superstition to imagine that knowledge is acquired only through books. We must discard this error. Reading books has a place in life, but is useful only in its own place. If book-knowledge is cultivated at the cost of body labour, we must raise a revolt against it.  Most of our time must be devoted to body labour, and only a little to reading. As in India today the rich and the so-called higher classes despise body labour, it is very necessary to insist on the dignity of labour. Even for real intellectual development one should engage in some useful bodily activity.
(Ashuram Observances in Action  VI Bread Labour)

2009年5月28日 (木)

日本に対する非暴力の抵抗

 日本が我々の戸口に立っています。非暴力のやり方で、我々はどうすべきでしょうか。もし、インドが自由の国であれば、非暴力のやり方で、日本がこの国にはいるのを防ぐことができるでしょうに。そうであれば、日本軍が陸路侵入するや、非暴力の抵抗を始められるのですが・・。そして、非暴力の抵抗者は、日本軍に対するどんな支援も拒否することになります。水を差し出すことさえしません。自分たちの国を盗み取る者を支援する義務は全くないからです。しかし、一人の日本人が道に迷い、のどが渇いて死にそうになっていて、人として助けを乞うのであれば、非暴力の抵抗者はどんな人も敵とはみなしませんので、渇きを訴える人に水を与えるでしょう。仮に日本軍が水をくれと、抵抗者に強要するなら、抵抗者は抵抗する中で死を覚悟せねばなりません。日本軍が抵抗者を皆殺しにすることも考えられます。そのような非暴力の抵抗者が心の中で信じているのは、侵略者もやがて、非暴力の抵抗者を殺すことに、精神的にも、さらには肉体的にもうんざりするだろうということです。侵略者は、相手に傷を負わそうとすることなく、協力を拒む彼にとって新しいこの力は何だろうと、探求を始めることになります。そしておそらく、これ以上殺戮することを思いとどまるでしょう。しかし、日本軍が全くの冷血漢で、何人殺そうとまったく気にかけない人たちだと判明する場合もあるでしょう。それでも屈服するくらいなら絶滅を選ぶ限り、非暴力の抵抗者が勝利を勝ち取ることになります。
 しかし、物事はここに述べたほど単純にはならないでしょう。この国には少なくとも4種類の当事者が存在します。まず、英国と英国が招き入れた軍隊です。日本は、インドに対してどんな野心も持っていないと宣言しています。彼らは英国とだけ戦っています。こういうことですから、日本に在留するインド人には、日本を支援している人たちもいます。そのようなインド人が何人くらいいるのかを推測するのは困難ですが、日本の宣言を信じて、日本はインドを英国のくびきから救い出したら、撤退するだろうと考えているインド人が相当数いることは間違いありません。たとえ最悪の結果になるとしても、彼らは英国のくびきにあまりにも疲れ切っていますので、気分転換に日本によるくびきを歓迎することさえしそうですこれが第2の当事者です。第3の当事者は、中立派です。彼らは、非暴力を用いることはしませんが、英国にも日本にも支援の手を差し伸べたりはしないでしょう。
 第4の最後に残った当事者は、非暴力の抵抗者です。彼らがほんの少数派であれば、未来への例示となることを除けば、彼らの抵抗に効果は期待できません。このような抵抗者は、それぞれの場所で穏やかに死んでいくことになります。しかし、侵略者を前にして膝を屈することは絶対にしません。彼らは、約束に騙されたりはしません。彼らは、英国のくびきからの解放を求めるのに、第3者の助けを借りたりはしません彼らは自分たちの闘い方に絶対の確信をおいており、それ以外はいっさい信じていません。彼らは、無学の大衆を代弁して闘っています。救いというものがあることさえもおそらく知らないような人々のためにです。彼らは、英国に敵意を抱くことも、日本に好意を寄せることもしていません。彼らは、他のすべての国の幸運を願うのと同様に、両国の幸運を願っています。両国には正しい行いをしてもらいたいと思っています。どのような状況にあっても、人を正しい道に導くのは、非暴力だけだと彼らは信じています。ですから、仲間が足りなくて、非暴力の抵抗者がゴールにたどり着けないとしても、その道をあきらめることはなく、死に至るまで追求していきます。
 非暴力を信奉する者が果たすべき仕事は、非常に困難な仕事です。しかし、自らの使命を確信する者は、どんなに困難であってもくじけることはありません。
 延々と続く苦しみとなるでしょう。非暴力の抵抗者が、不可能に挑戦しないようにしましょう。彼らの力は限られています。ケララ州に住む抵抗者が、今現在危険が差し迫っているアッサム州を体を張って防衛しなければならないわけではありません。アッサム州が非暴力に傾倒していれば、自分で自分を守ることが十分にできます。非暴力に関心がなければ、ケララ州からどんな非暴力の一団が来たところで、アッサム州を助けることはできませんし、他の州についても同様です。ケララ州は、ケララの中で非暴力を実践することで、アッサムや他の州を助けることができます。日本軍が仮に、インドで足がかりを得るようなことがあっても、アッサムで立ち止まることはないでしょう。英国を打ち負かすために、日本軍はインド全土を征服しなければなりません。英国は寸分も失うまいと、必死で戦うでしょう。英国にとってはおそらく、インドを失うことは完敗を意味するはずですから。しかし、英国の立場がどうであろうと、日本軍はインドを完全に手中に収めるまで、手を休めるはずがありません。ですから非暴力の抵抗者は、どこにいようと、その場所にとどまるべきなのです。
 明確にしておかねばならないことが一つあります。英国軍が実際に敵と戦っている場所で、直接的な抵抗運動がうまくいくと期待するのはおそらく無理でしょう。暴力行為と混ざったり、手を結ぶ結果になる場合、非暴力の抵抗とはなりえません。
 ですので、これまで何度も述べてきたことを繰り返させてください。非暴力を準備する、もっと言えばそれを表現する最良の方法は、建設的プログラムを断固として推進することです。建設的プログラムに支えられていなくても非暴力の力を提示できると思っている人は皆、いざという時に惨めに失敗します。それは、腹をすかせた素手の男が、十分に腹ごしらえをして鎧兜で身をかためた兵士を相手に、腕力で対抗しようとするようなもので、最初から失敗する運命にあります。建設的プログラムの有効性を信じない人は、飢える大多数の人々のことを具体的に思いやることがない人なのだと、私は感じます。そのような思いやりの感情を欠いていれば、非暴力のやり方で闘うことができません。私が飢える人々と一体となっていくにつれて、それと同じペースで非暴力が実際に広まってきました。私が考える非暴力から、いまだに私が程遠い状態にあるのは、名もない人々と一体であるという私が考える状態から、私がいまだに程遠い状態にあるからではないでしょうか。ワルダへの汽車の中で 1942年4月5日
ハリジャン 1942年4月12日

Japan is knocking at our gates. What are we to do in a nonviolent way? If we were a free country, things could be done nonviolently to prevent the Japanese from entering the country. As it is, non-violent resistance could commence the moment they effected a landing. Thus non-violent resisters would refuse them any help, even water. For it is no part of their duty to help anyone to steal their country. But if a Japanese had missed his way and was dying of thirst and sought help as a human being, a non-violent resister, who may not regard anyone as his enemy, would give water to the thirsty one.  Suppose the Japanese compel resisters to give them water, the resisters must die in the act of resistance. It is conceivable that they will exterminate all resisters. The underlying belief in such non-violent resistance is that the aggressor will, in time, be mentally and even physically tired of killing non-violent resisters. He will begin to search what this new (for him) force is which refuses co-operation without seeking to hurt, and will probably desist from further slaughter. But the resisters may find that the Japanese are utterly heartless and that they do not care how many they kill. The non-violent resisters will have won the day in as much as they will have preferred extermination to submission.
  But things will not happen quite so simply as I have put them.  There are at least four parties in the country. First the British and the army they have brought into being. The Japanese declare that they have no designs upon India. Their quarrel is only with the British. In this they are assisted by some Indians who are in Japan. It is difficult to guess how many, but there must be a fairly large number who believe in the declaration of the Japanese and think that they will deliver the country from the British yoke and retire. Even if the worst happens, their fatigue of the British yoke is so great that they would even welcome the Japanese yoke for a change. This is the second party. The third are the neutrals, who though not non-violent will help neither the British nor the Japanese.
  The fourth and last are non-violent resisters. If they are only a few, their resistance will be ineffective except as an example for the future. Such resisters will calmly die wherever they are but will not bend the knee before the aggressor. They will not be deceived by promises. They do not seek deliverance from the British yoke through the help of a third party. They believe implicitly in their own way of fighting and no other. Their fight is on behalf of the dumb millions who do not perhaps know that there is such a thing as deliverance. They have neither hatred for the British nor love for the Japanese. They wish well to both as to all others. They would like both to do what is right. They believe that non-violence alone will lead men to do right under all circumstances. Therefore, if for want of enough companions non-violent resisters cannot reach the goal, they will not give up their way but pursue it to death.
  The task before the votaries of non-violence is very difficult.  But no difficulty can baffle men who have faith in their mission.
  This is going to be a long drawn out agony. Let non-violent resisters not make impossible attempts. Their powers are limited. A resister in Kerala is not physically responsible for the defence of Assam which is just now in imminent danger. If Assam is non-violently inclined, it is well able to take care of itself. If it is not, no party of non-violent resisters from Kerala can help it or any other province. Kerala can help Assam, etc., by demonstrating its non-violence in Kerala itself. The Japanese army, if it gets a foothold in India, will not stop at Assam. In order to defeat the British, it has to overrun the whole country. The British will fight every inch of the ground. Loss of India will probably be admission of complete defeat for them. But whether it is so or not, it is quite clear that Japan will not rest till India is wholly in her hands. Hence non-violent resisters must remain at their posts wherever they are.
  One thing has to be made clear. Where the British army is actually engaging the ‘enemy’, it would be perhaps improper for direct resistance to function. It will not be non-violent resistance when it is mixed with, or allies itself to, violence.
  Let me therefore reiterate what I have said so often. The best preparation for, and even the expression of, non-violence lies in the determined pursuit of the constructive programme. Anyone who believes that without the backing of the constructive programme he will show non-violent strength when the testing time comes will fail miserably. It will be, like the attempt of a starving unarmed man to match his physical strength against a fully fed and panoplied soldier, foredoomed to failure. He who has no belief in the constructive programme has, in my opinion, no concrete feeling for the starved millions. He who is devoid of that feeling cannot fight non-violently.  In actual practice the expansion of my non-violence has kept exact pace with that of my identification with starved humanity. I am still far from the non-violence of my conception, for am I not still far away from the identification of my conception with dumb humanity?
ON THE TRAIN TO WARDHA, April 5, 1942
Harijan, 12-4-1942

2009年2月24日 (火)

良薬口に苦し

楽しいことなら何でも有益というわけではありません。年齢を重ねた今でも、私にとって楽しいことの全てが、私に益であるわけではないことを、私はわきまえています。ですから、いろいろな場合に、年上の人の助言を求めます。さらに言えば、だからこそ、師を見つけて、その師の庇護と援助を求めるという伝統を、我々は昔から維持してきていたのです。修行者は、師の前にひれ伏し、師が自分たちの歩みを導き、師が選ばれることで頭を満たしてくださるようにと懇願したものです。今日では、あらゆることを指導できる師は存在しませんし、自らを完全に明け渡すという問題が生じることもありません。しかし、ここ(ガンジーが開設した国民学校)では、教師が皆さんを他でもない、正しい道に導いてくださっていることを確信する必要があります。最初は、辛く感じることも多くあります。しかし、長い目で見れば、有益なのです。このような確信を持って、辛いことにも耐える必要があります。これが私の皆さんへの助言であり、祈りです。
Navajivan, 18-2-1925
(英国政府が設立した学校をボイコットするように求めたガンジーが、インドの学生のための学校を設立し、糸紡ぎなどを中心課題としたが、有利な就職先を求めて英国政府系の学校に復学する者があとを絶たなかった。そのため、なぜこの学校にとどまることが大切かを説いたスピーチの一部)

  Whatever is pleasant is not always beneficial.  Even now when I have grown old I know that everything that pleases me does not prove beneficial to me.  We do therefore consult elders on many occasions.  It is for this reason again that we have the ancient tradition of finding out a guru and seeking his shelter and support.  A student used to prostrate himself before the guru and entreat him to guide his steps and stuff his brain with anything that he chose.  These days an all-around guru is not available and the question of complete surrender does not arise.  However, you need here the assurance that the teachers are leading you along the right path and not otherwise.  Many things are bitter in the beginning but beneficial in the long run.  With this faith you should swallow a bitter pill.  This is my advice as well as prayer to you.
Navajivan, 18-2-1925

2008年12月10日 (水)

必要なのは身を粉にして働く労働者

 今や独立を達成したも同然です。しかし、それは政治的な独立でしかありません。英国がインドから撤退すれば、快適で便利になるなどと誰にも思ってもらっては困ります。そんなことになれば、建設的プログラムは上辺だけになってしまいます。しかし、現状から鑑みて、独立後少なくとも10年ぐらいは、我々の状況が悪化することは止まらないでしょう。この政治的独立によって確かに、重石は取り去られるでしょうし、我々が夢にまで見た目的の地に到達できるわけです。しかし、本当に大変な仕事は、独立後でなければやれないのです。インドから貧困と失業がなくならない限り、我々が自由を得たという意見に私は賛同できません。真の富は、宝飾品やお金ではありません。人々にまともな食事、衣類、教育を提供して、我々が一人残らず健康な生活を送られるようになることが、本物の富です。国が豊かで自由であるというのは、その国民が必要をまかなえるだけを容易に稼げてこそ言えることです。しかし、今や、現状はあまりにも悲惨で、きらびやかに贅沢三昧に暮らす人々がいる一方で、他方、体を覆うのに十分な衣類もなく、餓死寸前の人々もまた存在しています。人々は今現在、仕事がなくて、ぼんやり座り込んでいます。人には、各自の能力を伸ばす機会が存分に与えられるべきです。建設的仕事に従事する労働者が目覚めてこそ、そのような機会は訪れます。国には確かに政治家も必要です。しかし、この国の繁栄のために精一杯働くことが必要とされているこの時にあっては、我々は身を粉にして働く建設的労働者を必要としているのです。機械に囚われている人々は、幻滅を味わうことになると私は確信しています。幻滅を感じた後になるとしても、すべての人がチャルカ(糸紡ぎ車)に取り組まねばならなくなるでしょう。人はあらゆることにおいて、自らを頼む必要があります。自らの自由意志で働き始めなくても、時がたち、状況に迫られて、せざるを得なくなるでしょう。しかし、今は、自由を求める我々のやり方に息苦しさを、私は感じています。光がどこにも見当たりません。英国が権力を譲り渡そうとしているため、あらゆる団体がその権力を手に入れてやろうと夢中になっています。しかし、もし我々が自らの務めを果たさないならば、こんな自由よりも奴隷状態の方がよかったと、人々がいうような事態をもたらしかねません。建設的労働者が大胆で恐れを知らなければ、それだけそのような性質が、行動にあらわれます。そして、彼らがなす仕事を通じて、周囲に広まっていきます。このような健全な空気をこの国が呼吸すれば、間違いなくこの国は健やかに成長していくことでしょう。ですから、建設的仕事に従事するすべての労働者が、心の腰に帯を締め(新約聖書:第1ペテロ1:13)、熱心に行動を起こす時が来ています。この瞬間を有益に活用して、神が与えてくださったこの人生を胸のはれるものにしようではありませんか。
(From Gujarati)  Biharni Komi Agman, P.346-7  (1947年5月13日)

Advice to Constructive Workers  May 13, 1947
  Independence is now as good as come.  But it is only political independence.  Let not anyone think that once the British quit India there will be more comfort and convenience and the constructive programme would become superfluous.  But from the prevailing atmosphere it seems that for at least a decade after independence our condition would continue to deteriorate.  This political freedom no doubt will remove the restraints over us and we shall be able to accomplish our cherished aims.  Real hard work will have to be done only after independence.  Unless poverty and unemployment are wiped out from India, I would not agree that we have attained freedom.  Real wealth does not consist in jewellery and money, but in providing for proper food, clothes, education, and creating healthy conditions of living for every one of us.  A country can be called prosperous and free only when its citizens can easily earn enough to meet their needs.  But today the situation is so tragic that on the one hand there are people who roll in pomp and luxury and on the other there are people who do not have enough clothes to cover their bodies and who live on the brink of starvation.  Today men are sitting idle having no work to do.  A man should have full opportunity to develop himself.  That will happen only when there is an awakening among the constructive workers.  The country does need politicians.  But now when it is necessary to work hard for the prosperity of the country we need devoted constructive workers. I am convinced that people who are wedded to machinery are going to be disillusioned.  Everyone, if only after being disillusioned, will have to ply the charkha.  One has to be self-reliant in everything.  If people do not start working of their own free will, time and circumstances will make them do so.  Bur right now I find it suffocating to see the manner in which we are marching towards freedom.  I find no light anywhere.  Now that the British are contemplating transfer of power every community is keen on grabbing it.  But, if we do not do our duty, we will be giving a chance for the people to say that slavery was better than this freedom.  To the extent the constructive workers are bold and fearless, these qualities would be reflected in their actions and through their work spread in the atmosphere.  If the nation breathes such a healthy air, it would definitely grow healthy.  So, the time has come for every constructive worker to gird up his loins and plunge into action.  Let him put this moment to good use and justify the life God has granted him.
(From Gujarati)  Biharni Komi Agman, P.346-7 

2008年12月 5日 (金)

追悼ではなく仕事の継続を

 今私は見せかけだけのものは何も求めていません。ジャムナラル氏(訳注)の記念碑を建てても、彼のことを永久に憶えていられるわけではありません。碑文を読んで、しばらくすると忘れてしまうのです。しかし、この世界のためにこんなにも働いてくれた彼の仕事を、誰かが永久に継続しようと決意するなら、それこそ氏に対する本当の意味での追悼となるのです。しかし私は皆さんに無理やり何かさせようとは思いません。皆さんに何か期待しているわけでも全くありません。何かやりたい人があれば、その人の魂を喜ばせるためにやらせてあげればよいのです。誰かが見せかけで何かをやっても、私はうれしくありませんし、ジャムナラル氏の精神を傷つけることになります。

(訳注)ジャムナラル氏:ガンジーの賛同者で、糸紡ぎの取り組みを始め、教育や村落手工業の復活に尽力した。ガンジーのこの文章は、ジャムナラル氏が亡くなって数日後に、仲間たちの前で行った演説の一部。

  Today I do not want anything for show. We cannot perpetuate Jamnalalji's memory by erecting a memorial to him. People will read the inscription and forget it after a time. But if someone resolves to perpetuate the work of this man, who did so much for the world, it will be a true memorial to him.  But I do not want to force you, nor do I expect anything from you. If anyone wants to do anything let him do it for the good of his own soul. If anything is done for appearances it will hurt me and it will hurt the spirit of Jamnalalji.
[From Hindi]
Harijan, 8-3-1942