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工業化

2008年11月 1日 (土)

工業化に代わるもの

次のような投稿がありました。
 「船舶、汽車、飛行機などをインドが製造するような、インドの工業化が必要だと考えていらっしゃいますか? 必要ないとすれば、インドが自由な独立した国家として責任を果たしていく、それに代わる手段を提示していただけないでしょうか。
 また、ここにあげたような産業を確立すべきだと思われるのであれば、その産業およびそこから生じる利益を管理していくのは、あなたのお考えでは、どのような主体であるべきでしょうか」

 どのような国のどの場合においても、工業化が必要であるとは思いません。インドについてはなおのこと必要でありません。独立したインドがこの喘いでいる世界に対して義務を果たす道は、大多数の国民がつつましい家屋(手工業)をきちんと整え世界と平和に付き合っていくことで、質素な中にも高潔な生き方を取り入れていくことでしかありません。高邁な思索は、物に囲まれた複雑な生活とは両立しません。そのような生活は時間に追われるからです。お金を第一にすれば能率が求められるのは避けられませんが、高潔に生きる術を身に付けて初めて我々は、人生のあらゆる魅力を享受することができるようになります。
 危ない生き方をすることに、興奮を覚えるかもしれません。危険に面と向かって生きることと危ない生き方をすることとを、きちんと区別する必要があります。野生の獣や野蛮な人が潜む森の中で一人、銃も持たずに神だけを助けとして勇気を持って生活する人は、危険に面と向かって生きています。いつも空中で生活して、世界をあっと言わせてやろうとして下界に飛び降りるような人は、危ない生き方をしている人です。前者は目的がありますが、後者は目的もなく生きています。
 重装備をした世界に面と向かい、仰々しさに囲まれているのですから、どれだけ広大な面積と人口を抱えていてもたった一つの国が、そのような質素な生き方取り入れていけるのだろうかと考えるのは、懐疑論者が考えがちな疑問です。この疑問に対する答えはきっぱりと単純なものです。質素な生活が価値ある生き方であるなら、それを目指すことも価値ある試みなのです。そのような努力をするのがたった一人であろうと、一グループであったとしてもです。
 同時に私は、重要な工業のいくつかは必要であると考えます。理論だけのまたは、武装した社会主義というものを私は支持しません。私は、大多数の改心を待つことなく自分の信念に基づいた行動をすべきだと考えます。ですから、重要な工業というものを列挙する必要はありません。多くの人が一緒に働いて成り立つような国有を目指したいです。人々の労働によって生産された物は、国家を通して熟練工かどうかの区別なく労働者に、分け与えられます。ただし、私が思い描けるのは、非暴力を基盤にした国家だけですから、武力によって金持ちの所有物を奪うことはしません。国有へと変換していく過程で、彼らが協力してくれるようにお願いしたいと思うのです。大金持ちであろうと貧乏人であろうと、社会のはみ出しものは存在しません。金持ちも貧乏人も、同じ病気がもたらした傷みです。「その全てをひっくるめて」全ての人が人間です。
 インドでも他の地域でも目にしてきたし、これからも目にするであろう非人道的行為を直視してなおこの信念を、私は高らかに宣言します。危険に面と向かって生きようではありませんか。
ハリジャン 1946年9月1日

ALTERNATIVE TO INDUSTRIALISM
A correspondent writes :
Do you then believe that industrialization of India--to the extent of India producing her own ships, locomotives, aeroplanes, etc.,--is necessary? If not, will you kindly suggest the alternative means by which India shall discharge her responsibilities as a free and independent nation?
  If you believe in the establishment of such industries, who should, in your opinion, exercise control over the management and the profits that will accrue?

  I do not believe that industrialization is necessary in any case for any country. It is much less so for India. Indeed, I believe that Independent India can only discharge her duty towards a groaning world by adopting a simple but ennobled life by developing her thousands of cottage [industries] and living at peace with the world. High thinking is inconsistent with complicated material life based on high speed imposed on us by Mammon worship. All the graces of life are possible only when we learn the art of living nobly.
  There may be sensation in living dangerously. We must draw the distinction between living in the face of danger and living dangerously. A man who dares to live alone in a forest infested by wild beasts and wilder men without a gun and with God as his only Help, lives in the face of danger. A man who lives perpetually in mid-air and dives to the earth below to the admiration of a gaping world lives dangerously. One is a purposeful, the other a purposeless, life.
  Whether such plain living is possible for an isolated nation, however large geographically and numerically in the face of a world armed to the teeth and in the midst of pomp and circumstance, is a question open to the doubt of a sceptic. The answer is straight and simple. If plain life is worth living, then the attempt is worth making even though only an individual or a group makes the effort.
  At the same time I believe that some key industries are necessary. I do not believe in armchair or armed socialism. I believe in action according to my belief, without waiting for wholesale conversion. Hence, without having to enumerate key industries, I would have State ownership where a large number of people have to work together. The ownership of the products of their labour, whether skilled or unskilled, will vest in them through the State. But as I can conceive such a State only based on non-violence, I would not dispossess monied men by force but would invite their co-operation in the process of conversion to State ownership. There are no pariahs of society, whether they are millionaires or paupers. The two are sores of the same disease. And all are men “for a’ that”.
  And I avow this belief in the face of the inhumanities we have witnessed and may still have to witness in India as elsewhere. Let us live in the face of danger.
ON THE TRAIN TO DELHI, August 25, 1946
Harijan, 1-9-1946

2008年9月 6日 (土)

機械の正しい使い方

どういう場合に機械を使って、どういう場合には機械を使うことを避けねばならないかを判断できれば、そして、機械を使っているときでも理解しつつそれを行うならば、相当数の困難な問題が、解決するでしょう。例えば、怪我をした時には、傷口にヨーチン(劇薬)を塗ります。しかし、熱を出して寝ている時に、ヨーチンを飲んだりはしません。医者が劇薬を処方するのと同じくらい、我々は注意深く機械を使用しなければなりません。機械の動力によって、経済成長をおおいに進めることができます。しかし、少数の資本家が一般の人々の利害に関係なく機械の動力を活用してきました。そのために、今日の衰退した我々の状況があるのです。
本日、友人と話していまして、村の牛が引く荷車にゴムのタイヤをつけたらどうだろうかということが話題になりました。私は友人たちにこう語りました。「私には明白に思えるのだが、ゴムのタイヤによって村の人々の生活が楽になることはないでしょう」と。実はその逆で、必要なものが増えてしまい、他者に依存するようになってしまいます。そしてこれがまた、村人たちにとって、新たな搾取される手段となるのです。
マヌ・ガンジーとの対話  ニューデリー 1947年4月10日
 [原文、グジャラート語]  Biharni Komi Agman, p. 179

If we are able to judge when to use a machine and when to avoid it and if while using it we do so with understanding, quite a few of our difficulties will be solved. For instance, if we are hurt tincture iodine (poisonous medicine) is applied to the affected part. But if we are down with fever we do not take tincture iodine orally. We should be as careful in using machines as a doctor is in prescribing poisonous medicines. Machine-power can make a valuable contribution towards economic progress. But a few capitalists have employed machine-power regardless of the interests of the common man and that is why our condition has deteriorated today.
While talking with some friends today we discussed the idea of fitting rubber tyres in bullock-carts in our villages. I told them that to me it was clear that rubber tyres will not make things easy for the villagers; on the contrary they will increase their requirements and make them dependent on others. And this will become another means of their exploitation.
TALK WITH MANU GANDHI   BHANGI NIVAS, NEW DELHI,
April 10, 1947 [From Gujarati] Biharni Komi Agman, p. 179

2008年9月 5日 (金)

経済成長と道徳的成長

....
私の経験と試みてきたことをご紹介する前に、今晩の演題についてお互いに理解しておくことが最善かと思われます。「経済成長は真の成長と衝突しているか」というのが演題ですが、私が理解しているところでは、経済成長とは限度のない物質的な伸展です。そして、本物の成長とは、道徳的成長を意味し、これは、我々のうちに潜む永遠の要素が成長していくことと同義です。ですから、演題は次のように言い変えることもできます。「道徳的成長は物質の増大に正比例しないのか」と。......300万人ものインド人が1日に1食で暮らしているというウィリアム・ウィルソン・ハンター卿(訳注:スコットランドの統計学者; インド帝国の統計調査をして集約した)が指摘した具体的な実例に、人々はとりつかれているようです。道徳的な幸福について考えたり、語ったりする前に、日々の必要を満たしてあげなければならないと、人々は言います。このことをもって、彼らはこう言うのです。「物質的な増大が、道徳心の増大を意味する」と。そして、そこから急に飛躍をするのです。「300万人に当てはまることは、普遍的に適用できる」と。厄介な事例によってとんでもない法律が作られることを、人々は忘れています。このような推論が、どれほど滑稽でばかげたこととなろうかは、言うまでもないでしょう。じりじりと締め上げられるような貧困が道徳的廃頽以外の結果をもたらすと言った人は、いまだかつて1人もいません。すべての人に生きる権利があります。ですから、自分自身を食べさせ、必要な衣類を得て、住まうための手段を獲得する権利があります。しかし、この非常に単純なことをするのに、経済学者や彼らの作る法律の助けを借りる必要はないのです。
 「明日のことを思い悩むな」(注:聖書「マタイ6:34」)は、世界のほぼすべての宗教経典に共通する命令です。よく秩序の保たれた社会では、生計を確保することはこの世で最も容易なことでなければいけませんし、実際にそうなのです。本当のところ、ある国がきちんと整っているかどうかは、その国に大金持ちが何人いるかで決まるのではなく、大衆が飢えていないことが試金石です。考察しなければならない唯一の命題は、「物質的な伸展イコール道徳的成長であると、普遍的に適用できる法則として提示できるか」ということになります。
 さてここで、いくつかの例を挙げたいと思います。ローマは、物質的に大変豊かになったときに、道徳的頽廃に悩みました。エジプトも同様でした。おそらく歴史に記録が残るほとんどの国が同じだったでしょう。王族で神聖なるクリシュナ神の末裔も贅沢三昧をするようになって、堕落しました。ロックフェラーやカーネギーが通常程度の道徳性も持っていないとは言いませんが、我々は彼らのことを寛大に評価してあげています。彼らに最高水準の道徳性を期待することすらしていないのです。彼らにとって、物質的な利益は、必ずしも道徳的進歩を意味しません。南アフリカで、私は何千人もの同国の人々と非常に親しい間柄になるという特権に浴しましたが、ほぼ例外なく富を多く持つ人ほど、道徳的に堕落しているのが見て取れました。ごく控え目に言っても、金持ちの同国人は、貧しい人々ほどには受動的抵抗の道徳的闘争を前進させることをしませんでした。金持ちは、非常に貧しい人々ほどには自尊心を傷つけられてはいなかったのです。あえて危険を顧みなければ、さらに核心に近づいて、富を所有することが本物の成長を妨げてきたことを示せるだろうにと思います。近代の教科書の多くよりも世界の経典が、経済法則については、はるかに安全で、健全な書物であるとさえ私は思っています。
 今晩、自らに問いかけている課題は、目新しいものではありません。2000年前にイエス・キリストに対しても、同じ問いがなされました。・・・・・イエスは更に言葉を続けられた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」・・・「はっきり言っておく。私のためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑を捨てた者は誰でも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」(注:聖書「マルコ10:24~25、29~31」)
 .....我々の前に提示された問いに対して、たしかにその通りであると証言する最も強力な事例は、世界の偉大なる師たちの生き様でしょう。イエス、マホメット、仏陀、ナーナク(シーク教の開祖)、カビール(ヒンドゥー思想とイスラム思想の合一をはかった。シーク教の先駆者)、シャンカラ(9 世紀のインドの哲学者)、ラーマクリシュナ(インドの宗教家; すべての宗教は唯一の究極的真理の異なる面を示すと唱えた)らは、幾千もの人々に計り知れない影響を及ぼし、彼らの人格形成に寄与しました。このような人々が生きてくれたおかげで、世界はより豊かになっているのです。そして、これらの人々はすべて、熟慮のすえ自らの運命として清貧を受け入れています。
 物を追い求める近代の熱狂が我々の目標になればなるほど、成長の道を転がり落ちてしまうのだと、私が信じていないならば、ここまで事細かに述べなくてもよかったでしょう。しかし、自分が述べてきたような経済成長は、本物の成長と対立するものであると私は考えるのです。だからこそ、古代の理想では、富を増大させる活動に制限を加えてきたのです。この理想によって、物に対する野望がすべて消滅してしまうわけではありません。いつの時代でもそうであったように、今でも、我々の中には、富を求めることを人生の目的にしている人がいます。しかし、それは理想を失うことであると、我々はいつも認識してきました。我々の中で最も多くの富を持つ人が、自らの意思で貧しい状態を保っていたならば、もっと高い精神状態に達していただろうと感じることがよくあるそうです。すばらしいことではありませんか。つまり、「神と富の両方に仕えることはできない」(聖書マタイ6;24)というのは、最も価値がある経済的真理です。私たちは選ばなければなりません。西洋の国々は今日、物質主義という化け物に踏みつけられてうめいています。道徳的な成長は止まってしまいました。西洋は、ポンド、シリング、ペニーで自分たちの成長を測っています。アメリカの富が標準になりました。他の国はアメリカに羨望の眼差しを向けます。「アメリカのやり方は避けながら、我々もアメリカの富を手にいれよう」と多くのインド人が言うのを耳にしてきました。そのようなことを試みれば、はじめから失敗するに決っていると、私はあえて申し上げます。
 我々は、「賢さと慎みを持ちながら、怒り狂うこと」(マクベス第2幕3)は同時にできません。道徳的に世界一になることを我々インド人に教えてくれるような指導者を持ちたいものです。我々のこの国は、かつて神々の住まいであったと言われています。製造所や工場の煙突から出る煙や騒音、線路を忙しく行き交う機関車で醜く変わり果てた土地では、神が住まうことを想像するのは不可能です。機関車は多くの客車をつないでおり、客車は人でいっぱいですが、大半の人は、いったい自分たちが何を追い求めているのかもわからないでいます。心が上の空であることが多く、箱詰めのイワシのようにすし詰めの不快さを味わい、全然知らない人たちに囲まれている状況に身を置いても、その人の気質が向上するわけではありません。人々は機会があれば、回りにいる人を追い払って自分の場所を確保したいと思っていて、同様に追い払われたりしているのです。私がこのようなことを述べましたのも、これらが、物質的な成長を象徴することであると考えられているからです。しかし、これらは、私たちの幸福をほんの少しも増やしてはくれません。
......
黄金よりも真理を、動力や富という見せ掛けの華やかさよりも恐れを克服した姿を、自己愛よりも博愛精神を示せれば、その時はじめて、我々のこの国は真に霊的な国となります。都会の家、宮殿、寺院から富に付随するものを拭い去り、それらの建物によって道徳性を示せるようになれば、どんな種類の敵の軍事力に対しても、重武装という重荷を負うことなく闘いに挑むことができます。神の国とその義をまず第一に求めようではありませんか。そうすれば、絶対に変わることのない約束として、すべてのものが加えて私たちに与えられるのです(参照:聖書「マタイ6:33」) 。これが本物の経済学です。私もあなた方も、これを大切にして、日常の生活でこれを固く守っていこうではありませんか。
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ミュアー大学経済協会でのスピーチ
          アラハバード  1916年12月22日
The Leader, 1916年12月25日

....
Before I take you to the field of my experiences and experiments, it is perhaps best to have a mutual understanding about the title of this evening's address: Does economic progress clash with real progress? By economic progress, I take it, we mean material advancement without limit and by real progress we mean moral progress, which again is the same thing as progress of the permanent element in us. The subject may therefore be stated thus: “Does not moral progress increase in the same proportion as material progress?”......They seem to be obsessed with the concrete case of thirty millions of India stated by the late Sir William Wilson Hunter to be living on one meal a day. They say that before we can think or talk of their moral welfare, we must satisfy their daily wants. With these, they say, material progress spells moral progress. And then is taken a sudden jump: what is true of thirty millions is true of the universe. They forget that hard cases make bad law. I need hardly say to you how ludicrously absurd this deduction would be.  No one has ever suggested that grinding pauperism can lead to anything else than moral degradation. Every human being has a right to live and therefore to find the wherewithal to feed himself and where necessary to clothe and house himself. But, for this very simple performance, we need no assistance from economists or their laws.
  “Take no thought for the morrow”(Matthew, 6: 34) is an injunction which finds an echo in almost all the religious scriptures of the world. In well-ordered society, the securing of one's livelihood should be and is found to be the easiest thing in the world. Indeed, the test of orderliness in a country is not the number of millionaires it owns, but the absence of starvation among its masses. The only statement that has to be examined is whether it can be laid down as a law of universal application that material advancement means moral progress.
  Now let us take a few illustrations. Rome suffered a moral fall when it attained high material affluence. So did Egypt and so perhaps most countries of which we have any historic record. The descendants, kinsmen of the royal and divine Krishna, too, fell when they were rolling in riches. We do not deny to the Rockefellers and the Carnegies possession of an ordinary measure of morality but we gladly judge them indulgently. I mean that we do not even expect them to satisfy the highest standard of morality. With them material gain has not necessarily meant moral gain. In South Africa, where I had the privilege of associating with thousands of our countrymen on most intimate terms, I observed almost invariably that the greater the possession of riches, the greater was their moral turpitude. Our rich men, to say the least, did not advance the moral struggle of passive resistance as did the poor. The rich men's sense of self-respect was not so much injured as that of the poorest. If I were not afraid of treading on dangerous ground, I would even come nearer home and show you that possession of riches has been a hindrance to real growth. I venture to think that the scriptures of the world are far safer and sounder treatises on laws of economics than many of the modern text-books.
  The question we are asking ourselves this evening is not a new one. It was addressed to Jesus two thousand years ago. .....Jesus answereth again and saith unto them; "how hard it is for them that trust in riches to enter into the kindgom of God. It is easier for a camel to go through the eye of a needle than for a rich man to enter into the kingdom of God!"..."Verily I say unto you there is no man that has left house or brethren or sisters, or father or mother, or wife or children or lands for my sake and the Gospels, but he shall receive one hundred fold, now in this time houses and brethren and sisters and mothers and children and lands with persecutions and in the world to come eternal life.  But many that are first shall be last and the last first."(Mark, 10:24-25, 29-31)
  .....Perhaps the strongest of all the testimonies in favour of the affirmative answer to the question before us are the lives of the greatest teachers of the world. Jesus, Mahomed, Buddha, Nanak, Kabir, Shankara, Ramakrishna were men who exercised an immense influence over and moulded the character of thousands of men. The world is the richer for their having lived in it. And they were all men who deliberately embraced poverty as their lot.
  I should not have laboured my point as I have done, if I did not believe that, in so far as we have made the modern materialistic craze our goal, in so far are we going downhill in the path of progress.  I hold that economic progress in the sense I have put it is antagonistic to real progress. Hence the ancient ideal has been the limitation of activities promoting wealth. This does not put an end to all material ambition. We should still have, as we have always had, in our midst people who make the pursuit of wealth their aim in life. But we have always recognised that it is a fall from the ideal. It is a beautiful thing to know that the wealthiest among us have often felt that to have remained voluntarily poor would have been a higher state for them.  That you cannot serve God and Mammon is an economic truth of the highest value. We have to make our choice. Western nations today are groaning under the heel of the monster-god of materialism. Their moral growth has become stunted. They measure their progress in £.s.d.  American wealth has become the standard. She [sic] is the envy of the other nations. I have heard many of our countrymen say that we will gain American wealth but avoid its methods. I venture to suggest that such an attempt if it were made is foredoomed to failure.
  We cannot be "wise, temperate and furious"(Macbeth, II, iii)in a moment.  I would have our leaders to teach us to be morally supreme in the world. This land of ours was once, we are told, the abode of the gods. It is not possible to conceive gods inhabiting a land which is made hideous by the smoke and the din of mill chimneys and factories and whose roadways are traversed by rushing engines dragging numerous cars crowded with men mostly who know not what they are after, who are often absent-minded, and whose tempers do not improve by being uncomfortably packed like sardines in boxes and finding themselves in the midst of utter strangers who would oust them if they could and whom they would in their turn oust similarly. I refer to these things because they are held to be symbolical of material progress. But they add not an atom to our happiness.
......
Ours will only then be a truly spiritual nation when we shall show more truth than gold, greater fearlessness than pomp of power and wealth, greater charity than love of self. If we will but clean town houses, our palaces and temples of the attributes of wealth and show in them the attributes of morality, we can offer battle to any combinations of hostile forces without having to carry the burden of a heavy militia. Let us seek first the kingdom of God and His righteousness and the irrevocable promise is that everything will be added with us. These are real economics. May you and I treasure them and enforce them in our daily life.
.....
SPEECH AT MUIR COLLEGE ECONOMIC SOCIETY,
          ALLAHABAD  December 22, 1916
The Leader, 25-12-1916

2008年9月 1日 (月)

悪の原因は工業主義にある

フランシス・G・ヒックマンとのインタビュー
        ボンベイ、1940年9月17日
...
ヒックマン:インドの人々に手紡ぎの布を使ってもらって、インドの工場では輸出用の布や糸をせっせと製造することにしてはいかがでしょうか。そうすれば、綿花栽培者を助けることにもなると思われませんか。
ガンジー:それでも構わないとは思いますが、インドの布を受け取る国が切実に求めているから供給するのでなければなりません。インドの利益のために、他の国々を搾取しようとは、少しも思いません。インド自身も、搾取という毒を持つ病気に苦しんでいます。我が祖国にそのような罪の加害者になってもらいたくありません。例えば、日本が自由な国としてインドの支援を求めるならば、そして、インドはこれこれの品物を安く生産できるのだから、それらを日本に輸出してくれないだろうかと要請するならば、我々は喜んでそれをするでしょう。しかし、私の計画では、陸軍や海軍の力を借りて、ある国が別の国に商品をダンピング輸出するようなことは、一切なくさねばならないのです。
ヒックマン:輸出商品を除いて、インドは何をアメリカに提供できるでしょうか。また、そのお返しとしてインドはアメリカに何を期待するでしょうか。
ガンジー:この質問を訂正しておかなければなりません。インドはどんな商品もアメリカに輸出していません。輸出しているのは原料だけです。このことは、祖国を愛する者ならみな、真剣に考えねばならない問題です。なぜなら、祖国が原料の輸出国にとどまっている事態を我慢できないからです。そのことは、手仕事、芸術それ自体が消滅することを意味しますし、これまでもそういうことを意味してきました。インドをあたかもアメリカの搾取のためにある国のごとく扱うことがないように、私はアメリカに希望します。そうではなくて、自由な国として扱ってもらいたいです。インドは武器を持ちませんが、だからこそインドによってこのように扱われたいとアメリカが望んでいるのと同じ扱いを、インドはアメリカに希望する資格があります。
ヒックマン:あなたは、イエスのメッセージを繰り返していらっしゃいますね。
ガンジー:その通りです。インドには専門的技術が不足しています。しかし、あなた方がイエスの教えを受け入れ、それに従うことに同意すればすぐに、アメリカがあらゆる技術を独占していることに私は文句を言う必要がなくなるでしょう。その場合、あなた方は次のように言うことになります。「専門技術が不足している姉妹国がある。私たちの技術で助けてあげよう。ただし、搾取するためでも、すごく高い料金を請求するためでもなく、その姉妹国の利益となるためにするのだ。だから、無料で提供してあげよう」と。では、あなたがたの国から派遣されている宣教師についても、一言申し上げさせてください。あなた方は彼らを無料でここに派遣しています。しかし、それも帝国主義の搾取の一部になっています。といいますのも、これらの宣教師は、私たちをアメリカ人のようにしたいと思っているからです。あなたがたの商品をもっと買うように、あなた方が持っているような自動車や贅沢品がないとやっていけないような人に、私たちをしたいと思っているのです。ですから、あなた方がインドに伝えているキリスト教は、本物ではありません。いわゆるクリスチャン人口を増やすことを目的としないで、学校、大学、病院を建てているのであれば、あなたがたの慈善事業も汚点がないでしょうに・・・
.....
ガンジー:ネルーは、工業化を求めています。社会主義化すれば、工業化しても資本主義の害悪に染まらないだろうと考えているからです。害悪は工業主義そのものに付随しているというのが、私自身の見解です。ですから、いくら社会主義を進めても、害悪を根絶することはできません。
....
ハリジャン 1940年9月29日

INTERVIEW TO FRANCIS G. HICKMAN
      BOMBAY,[September 17, 1940]
...
HICKMAN: Why not have Indian people use Indian hand-spun cloth and keep her mills busy for the export of manufactured cloth and yarn? Don't you think that this would help the cotton-grower?
Gandhi: I would not mind such a thing but it must be in order to supply the felt needs of the country which received our cloth. I have no idea of exploiting other countries for the benefit of India. We are suffering from the poisonous disease of exploitation ourselves, and I would not like my country to be guilty of any such thing. If Japan, say, as a free country wanted India's help, and said we could produce certain goods cheaper, and we might export them to Japan, we would gladly do so.  But under my scheme of things all dumping of goods by one country on another, supported by her army and her navy, has to cease.
HICKMAN: Apart from export of merchandise what has India to give America, and turn what does India expect from America?
Gandhi: I must correct your question for you.  India sends no merchandise to America; she sends only raw material, and that is a matter or serious consideration for every nationalist. For we cannot suffer our country remaining an exporter of raw produce, for it means (as it has meant) extinction of handicrafts and art itself. I would expect America to treat India not as though India was a country for American exploitation but as if India was a free country, although unarmed, and deserving, therefore, the same treatment that America would wish at the hands of India.
HICKMAN: You are repeating, Sir, the message of Jesus.
Gandhi: I agree. We are poor in technical skill, but as soon as you accept and consent to follow Jesus’s teaching, I would not have to complain of all the skill being monopolized by America. You will then say, ‘Here is a sister country poor in technical skill, let us offer our skilled assistance not for exploitation, not for a terrific price, but for its benefit, and so for nothing.’ And here let me say a word about your missionaries. You send them here for nothing, but that also is part of imperialist exploitation. For they would like to make us like you, better buyers of your goods, and unable to do without your cars and luxuries. So the Christianity that you send us is adulterated. If you established your schools, colleges and hospitals without the object of adding to the number of the so-called Christian population, your philanthropy would be untainted.
.....
Gandhi: Pandit Nehru wants industrialization because he thinks that, if it is socialized, it would be free from the evils of capitalism. My own view is that evils are inherent in industrialism, and no amount of socialization can eradicate them.
....
Harijan, 29-9-1940