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2012年8月15日 (水)

非暴力の民主国家

 

インド独立前夜、インドとパキスタンの分離を巡って暴力が吹き荒れるときに、非暴力の民主的な国は、一人一人が実現するものであることを述べた。祈りの集会でのガンジーのスピーチより(1947年7月)

自分たちの国は民主国家だと表明する国が今はあります。しかし、当然のことですが、そう宣言するだけで民主的になるわけではありません。人民による統治が存在するのであれば、どうして軍隊が必要でしょうか? 軍隊が統治していれば、人民による統治は不可能です。軍隊が統治する国による世界連合などあり得ません。ドイツや日本の軍時独裁政権は、さまざまな国を自分たちの友好国に迎え入れようとしました。しかし、そのようにだましても長続きはしませんでした。・・・

 ・・・我々の非暴力は弱者の非暴力にすぎませんでした。しかし、現実問題として、弱さと非暴力は両立できません。ですから、非暴力というよりも、むしろ受動的抵抗と呼ぶべきです。・・・受動的抵抗は、能動的な武力による抵抗への備えとなります。結果として、人々の心の中にあった暴力が、今、現実に噴出しているのです。

 我々の受動的抵抗といえども、完敗したわけではありません。自由をほぼこの手に納めています。今日我々が目にする暴力は、臆病者の暴力です。勇敢な暴力というものも存在します。4、5人の男が戦って、剣で殺されるなら、そこには暴力が存在しますが、その暴力は勇気ある暴力です。しかし、1万人の軍人が、非武装のある村を襲い、妻子ともども村人たちを殺戮するなら、これは臆病者の暴力です。アメリカは日本に原爆を落としました。これは臆病者の暴力でした。勇気ある非暴力であれば、見る価値があります。そのような非暴力を生きているうちに目にしたいものです。そのためには、内なる強さを持つ必要があります。これこそ比類なき武器です。その美が人々にわかっていたなら、この間、失われた命や財産は、どれも失われはしなかったでしょう。

 私は過去32年間、人々に伝えようとした非暴力の教えを、人々が学んでいたなら、今日のような食料や衣類の配給も必要なかったでしょう。食べ物や衣類を賢く食べたり、使ったりしていたなら、どちらもインドで不足するはずがありません。人々が誠実に生き、互いに助け合うなら、役所に頼る必要もなくなるでしょう。・・・公務員は、自らを人民の僕とは思っていませんし、人民に奉仕するために雇われているわけでもありません。外国の統治を何とか維持していくために、存在しています。役場につめたまま、命令を出しては、手下に伝えさせています。もし、我々が自分たちの足で立つことを知り、役所に頼ることをやめるなら、配給も役所も今のインドに必要ありません。確かに行政を動かすのにある種の公務員は必要です。やがて、公務員が変化して、人に奉仕するために仕事をするようになるなら、その時、真に民主的な体制が出現するのです。

 

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