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2011年8月 7日 (日)

恒久平和を願って

 恒久平和が実現可能だと信じないのは、人間の中にある神的な存在を信じないということです。これまでのやり方がうまくいかなかったのは、そのために奮闘してきた人々の方に、もっとも根本にあるべき誠実さが欠けていたからです。これが欠けていることに気づいていたのでもありません。平和は、達成するための条件の一部を遂行するだけでは、手に入りません。化学反応であっても、それに必要な条件が全部揃わなければ、反応は起こりません。破壊の動力源を手元に握っている人類の指導者と目される人々が、それを使用することから完全に手を引くならば、その意味することを十分に知った上でそうするならば、恒久平和を達成できます。地上の大国が、その帝国主義の野望を捨てることをしなければ、これは全くできない相談です。魂を破壊する競争をよいことだと信じたり、欲望の拡大を望んだり、そして、それゆえ物質的な富の増大を願ったりすることをやめない限り、無理でしょう。私は確信しているのですが、悪の根源には、生ける神への生きた信仰の欠如ということがあります。人類にとって、これほどの悲劇はないのですが、イエスのメッセージを信じていると主張する地上の民族が、彼らはイエスのことを平和の君と呼んでいるのですが、そう主張する彼らが、実際の行動でその信じていることを見せてくれることがほとんどありません。まじめなクリスチャンの聖職者たちが、イエスのメッセージの及ぶ範囲を選ばれた個人にだけ限っているのを見るのは、心痛むことです。子供の頃から教えられてきましたし、実際の生活でもその正しさを試してきましたが、人にとって最も大切な美徳を、人類のもっとも卑しい者であっても養い育てることができます。この疑うことのできない普遍的な可能性こそ、人間が、神によって創造された他の生物と際だって異なっているところです。大国の一国であっても、手放すという最高の行為を無条件で実行するならば、私たちの多くが生きている間に、この地上に見える形で平和が実現するのを目にすることでしょう。
Harijan, 18-6-1938

     Not to believe in the possibility of permanent peace is to disbelieve the godliness of human nature. Methods hitherto adopted have failed because rock-bottom sincerity on the part of those who have striven has been lacking. Not that they have realized this lack. Peace is unattainable by part performance of conditions, even as a chemical combination is impossible without complete fulfilment of the conditions of attainment thereof. If the recognized leaders of mankind who have control over engines of destruction were wholly to renounce their use, with full knowledge of its implications, permanent peace can be obtained. This is clearly impossible without the great Powers of the earth renouncing their imperialistic design. This again seems impossible without great nations ceasing to believe in soul-destroying competition and to desire to multiply wants and therefore increase their material possessions. It is my conviction that the root of the evil is want of a living faith in a living God. It is a first-class human tragedy that peoples of the earth who claim to believe in the message of Jesus who they describe as the Prince of Peace show little of that belief in actual practice. It is painful to see sincere Christian divines limiting the scope of Jesus’ message to select individuals. I have been taught from my childhood and tested the truth by experience that the primary virtues of mankind are possible of cultivation by the meanest of the human species. It is this undoubted universal possibility that distinguishes the humans from the rest of God's creation. If even one great nation were unconditionally to perform the supreme act of renunciation, many of us would see in our lifetime visible peace established on earth.
Harijan, 18-6-1938
vol.68 pp.209-210

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