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2010年9月

2010年9月29日 (水)

「行動せよ、さもなくば死を!」の真意

「殺せ、さもなくば殺されよ」を意味してはいません。・・本当の意味は、我々は自らの義務を果たし、必要があれば、その義務を遂行する中で死なねばならないということです。

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 故チョーダリー・ラムバーイ・ダット氏が作られた詩にに、私の心をいつも深く動かす次の一節があります。「我々には、決して敗北はない。たとえ死んだとしても」というものです。これこそ、私がみなさんに期待する精神です。・・サティヤーグラヒ(サティヤーグラハを実行する人=非暴力の戦士)は、敗北という言葉を知りません。
 さらに、「英国人がやることはすべて悪に決まっている」などと、サティヤーグラヒには口にしてほしくはありません。英国人が必ずしも邪悪であるというわけではありません。英国人の中には、良い人もいれば、悪い人もいます。他のどの国民も同じことです。私たち自身にも欠点があります。もし、英国人の中に良いところがなかったのであれば、今日のように強大にはなれなかったはずです。彼らはやってきて、インドを搾取しました。これは、我々が内輪もめをしていたからであり、我々が自らを搾取されるままにしてしまったからです。
 神の世界では、純粋な悪というものは、決して栄えることがありません。悪魔が強い勢力を誇っているように見える場合でさえも、神が支配しておられるのです。なぜなら、神の許しがあって初めて悪魔は存在するものだからです。
 道徳的意識が皆無の人に対しては、サティヤーグラハ(真理を固持し、宣言すること=非暴力の闘争)は何の効力も発揮できないという人がいます。私は、この考えに反論します。最も頑なな心であっても、我々が真実で、十分な忍耐力を備えていれば、溶かせるに決まっています。サティヤーグラヒは、自らの命を捧げます。しかし、あきらめることはしません。これこそが、「行動か、さもなくば死を」のスローガンが意味することです。このスローガンは、「殺せ、さもなくば殺されよ」を意味してはいません。そのように言うことは、この本当の意味を意図的に歪曲し、変容させることになります。本当の意味は、我々は自らの義務を果たし、必要があれば、その義務を遂行する中で死なねばならないということです。殺すことをせずに死ぬことが、サティヤーグラヒの印です。もし、その理想に沿った生き方が我々にできていたならば、もう今は、スワラージ(自治・独立)を勝ち取っていたことでしょう。しかし、我々のアヒンサーは足が萎えています。松葉杖をついて歩いてきました。それでも、今の強さまで私たちを導いてくれました。1942年に何が起きたか、私は知っています。破壊活動や地下活動によって、この国は今の力を得たと、言われるかもしれません。42年の闘争において、破壊活動が、会議派の名の下に行われたことを否定することはできません。しかし、大衆が力を得たのはそのためであるという主張は、全くでたらめだと断言します。大衆が手にした力はどれも、徹頭徹尾、アヒンサー(非暴力)によるものです。その実践がどれほど不完全で、欠陥だらけだったとしても、アヒンサーによってもたらされたことなのです。我々自身が不完全ですから、我々のアヒンサーも不完全です。私のような不完全な人間が、提示したアヒンサーですから、不完全なのです。そうであれば、そのような不完全な器によってさえも、このような輝かしい成果をあげられるのであれば、完全のサティヤーグラヒの手になれば、どんなことでも達成できるはずです。
 1942年に我が国民は、大変な勇気を示しました。しかし、目標を達成するには、もっと大きな勇気が必要とされるでしょう。我々は、多くのことを為してきました。しかし、もっと多くのやるべきことが残されています。そのためには、忍耐、謙遜、とらわれない心を持つ必要があります。
A.I.C.Cでのスピーチ ボンベイにて 1946年7月7日

     One line from a song composed by the late Choudhary Rambhaj Dutt has always made a very deep appeal to me. It means:“We will never be defeated--nay, not even in death.” That is the spirit in which I expect you to approach this resolution. A satyagrahi knows no defeat.
     Nor would I expect a satyagrahi to say that whatever Englishmen do must be bad. The English are not necessarily bad. There are good men and bad men among the English people as among any other people. We ourselves are not free from defects. The English could not have risen to their present strength if they had not some good in them. They have come and exploited India, because we quarrelled amongst ourselves and allowed ourselves to be exploited.
     In God’s world unmixed evil never prospers. God rules even where Satan seems to hold sway, because the latter exists only on His sufferance.  Some people say that satyagraha is of no avail against a person who has no moral sense. I join issue with that. The stoniest heart must melt if we are true and have enough patience. A satyagrahi lays down his life, but never gives up. That is the meaning of the “Do or die”slogan. That slogan does not mean ‘Kill or be killed’. That would be wilful distortion and travesty of its true meaning. The true meaning is that we must do our duty and die in the course of performing it if necessary. To die without killing is the badge of a satyagrahi. If we had lived up to that ideal we would have won swaraj by now. But our ahimsa was lame. It walked on crutches. Even so it has brought us to our present strength.I know what happened in 1942. You will perhaps say that it was sabotage and underground activity that had brought the country to its present strength. It cannot be denied that sabotage activity was carried on in the name of the Congress during the 1942 struggle but I deny in toto that the strength of the masses is due to that. Whatever strength the masses have is due entirely to ahimsa however imperfect or defective its practice might have been. Our ahimsa was imperfect because we were imperfect, because it was presented to you by an imperfect being like myself. If then, even in the hands of imperfect instruments it could produce such brilliant results, what could it not have achieved in the hands of a perfect satyagrahi?
     In 1942 our people showed great valour. But greater valour will be required of us before our goal is reached. We have done much, but more remains to be done. For that we must have patience and humility and detachment.
SPEECH AT A. I. C. C. BOMBAY, July 7, 1946

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