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2010年5月

2010年5月 3日 (月)

ユダヤ人問題について

 聖書で言うパレスチナとは、地理的な地域ではありません。それは、彼らの心に存在するものです。・・・宗教的行為は、銃剣や爆弾に助けられて行ってはならないのです。アラブ人の善意によってしか、彼らはパレスチナに定住することはできません。

 パレスチナにおけるアラブ・ユダヤ問題およびドイツでユダヤ人が迫害されていることについて私の見解を公にするように求める手紙を何通か受け取っております。この大変難しい問題についての私の考えを、ためらうことなく提示させていただきたいと思います。
 私の心はいつもユダヤ人の方々とともにあります。私は南アフリカでユダヤ人の方々と親しくさせていただきました。中には生涯の友となった人もいます。このような友人たちから私は、長年に渡るユダヤ人迫害についての多くを知ることとなりました。キリスト教における不可触民に彼らはなっています。キリスト教徒が彼らを扱うやり方は、ヒンズー教徒が不可触民を扱うやり方によく似ています。どちらの場合も宗教的制裁ということを引き合いに出して、彼らが被っている非人間的扱いが正当化されています。ですから、友情を抜きにしても、私がユダヤ人の方々を気の毒に思う共通の普遍的な理由もまた存在します。
 しかし、同情しているからと言って、正義という要件について私は盲目的になったりはしません。ユダヤ人の故国を求める要求は、私の心をそれほど動かしません。・・・彼らはどうして、地上のほかの民族のように、自分たちが生まれ、生活しているところを故郷としないのでしょうか?
 英国が英国人のものであり、フランスがフランス人のものであるように、パレスチナはアラブ人のものです。ユダヤ人をアラブ人に押しつけるのは、間違ったことですし、非人間的なことです。今日パレスチナで生じている事態は、どのような道徳的規範に照らしても、正当化できるものではありません。・・・誇り高きアラブ人を押し退けて、ユダヤ人の故国を部分的あるいは全体的に再建することは、間違いなく人道的意味から犯罪行為となりましょう。
 ユダヤ人がどこで生まれ育とうとも、そこで正当に扱われることを要求することこそ、気高いことと言えましょう。フランスで生まれたユダヤ人は、フランスで生まれたキリスト教徒がフランス人であるのと全く同じ意味で、フランス人です。ユダヤ人にはパレスチナ以外に故国がないとしても、彼らが今住んでいる別の地域から強性的に立ち退かされることをユダヤの人々は喜ぶでしょうか? あるいは、思いのままに滞在できる故郷を2ヶ所に持ちたいというのでしょうか? このように故国を求める声を上げているために、ユダヤ人を追放できるもっともらしい口実をドイツに与えてしまっています。
 しかし、ドイツによるユダヤ人の迫害は歴史に類を見ないもののようです。これまでのどの暴君といえども、ヒットラーほどひどくはありませんでした。ヒットラーは、宗教的熱狂に駆られて行動しています。彼は排他的で軍国主義的な新しい宗教を広めようとしています。そしてその美名の名の下に、そこでは、今後はどのような非人道的振る舞いも、賞賛されるべき人道的行為となるのです。・・・人道の名の下に、人道のためにと正当化されうるような戦争が仮にあるとすれば、人類全体がいわれのない迫害にさらされるのを防ぐために、ドイツに対して戦争をするのは、全く正当なのでしょう。しかし、私はどのような戦争も信じていません。そのような戦争の可否を論じることは、ですから、私の範疇外のことです。・・・
 人道主義のふりをする偽善や弱さという足かせがなければ、暴力はどれほど効果的に力を発揮するかを、ドイツは世界に示してくれています。・・・自尊心を維持し、絶望や見捨てられた孤立感を感じなくてすむ方法があるでしょうか? あると、私は申し上げたいのです。生ける神への信仰がある人なら、絶望したり、孤立感に陥る必要はありません。ユダヤ人にとってエホバは、キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒にとっての神以上に身近な神です。もっとも、実際のところは、神の実体はすべてに共通しており、神は誰にも頼らずに存在し、言葉では言い表せない存在です。しかし、ユダヤ人は、神に人格を付与し、彼らの行動のすべてを支配しておられると信じていますので、絶望を感じるはずがないのです。もし私がユダヤ人で、ドイツに生まれ、そこで生計を営んでいるとすれば、立派な異教徒のドイツ人が主張する以上に、ドイツが自分の故郷であると私は主張するでしょう。そして、私を撃ち殺すか、牢屋に放り込むかしたらよいと、言ってやることでしょう。私は追放されたり、差別的に扱われることは拒否します。そして、このようにするために、仲間のユダヤ人が私と一緒に市民的抵抗をしてくれるようになるまで待つのではなく、最終的には他の人たちも私の例に倣うようになると、私は確信することでしょう。もし1人のユダヤ人が、あるいはすべてのユダヤ人がここに挙げました処方箋を受け入れてくださるならば、その人あるいは彼らは、今よりもひどい状況になるはずがありません。自発的に苦難を耐え忍ぶことによって、彼らの内側が強められ、喜びがもたらされます。ドイツの外の世界でいくら多くの同情的決議をなしたところで、これをもたらすことはできません。実際、たとえ英国、フランス、アメリカがドイツに対して宣戦布告をしたところで、それによって心の内側に喜びや、強さをもたらすことはできません。ヒットラーの考え抜かれた暴力に鑑みれば、結局は、そのような宣戦布告に対する最初の応答として、ユダヤ人が広範囲に虐殺されることになるかもしれません。しかし、もしユダヤ人が自ら苦しみを引き受けられるよう、心の持ちようを変えるならば、私が今思い描いたような虐殺をも感謝と喜びの日に変えることができるでしょう。暴君の手に捕らえられていてもエホバは、この民族を救い出してくださったのです。神を畏れる人々にとっては、死も恐ろしいことでは全然ないのです。それは、喜びの眠りです。そして、長く眠っただけよりいっそう爽快になれる目覚めへと続きます。
 ・・・そして、南アフリカのインド人によるサティヤーグラハ(真理を宣言する非暴力不服従)運動において、まさにその模範例が存在するのです。そこでは、インド人はドイツでユダヤ人が置かれているのとまったく同じ状況におかれていました。ここでも、宗教に関係した迫害が行われていました。クリューガー大統領は、白人のキリスト教徒が神に選ばれた存在であり、インド人は劣った人種であり、白人に仕えるのがその務めであるとよく言っていました。トランスヴァール共和国憲法の基本的条項の中に、白人とアジア人を含めた有色人種の間が平等であってはならないという規定がありました。そこでもインド人は、ロケーションと表現されるゲットーの中に押し込められていたのです。その他にも、ドイツのユダヤ人とほぼ同様の困難さがありました。ほんの少数の存在であったインド人が、外部の世界からもインド政府からも支援を受けることなく、サティヤーグラハという手段で立ち上がりました。実際、イギリスの高官たちは、サティヤーグラハの闘士たちを説得して、彼らの計画を思いとどまらせようとしました。世界世論やインド政府が手を差し伸べるようになったのは、8年間の戦いを経てからです。しかも、その支援すらも、外交的な圧力によって得られたのであって、戦争という脅かしによってではありません。
 しかし、ドイツのユダヤ人は、南アフリカのインド人よりもはるかによい条件の下で、サティヤーグラハを展開することができます。ユダヤ人は、ドイツの中で小さくまとまった均一な集団です。南アフリカのインド人とは比較にならないほど才能豊かな方々です。しかも、彼らを支持する世界世論も形成されています。彼らの中から勇気と展望を持った人が立ち上がり、非暴力の行動へとユダヤ人を導くなら、絶望の冬が、瞬く間に希望の夏へと変わると、私は確信しています。そして、今日では下劣な人狩りとなってしまっていますが、丸腰の男女が落ち着き払って、しかも毅然とした抵抗を行う事態へと変えていくことができます。このような人々は、苦難を引き受ける強さを持っています。そしてその強さは、エホバによって与えられたものです。そして、これこそが非人間的男が引き起こした神不在の狂気に対する、本物の宗教的抵抗となります。ドイツ在住のユダヤ人の人々は、最終的にはドイツ人異教徒らに勝利を収めることになるでしょう。人間の尊厳を敬うようにドイツ人を変えていくことになるからです。このようなユダヤ人は、仲間のドイツ人に奉仕の手を差し伸べていることになります。知らず知らずのうちであろうとドイツという名に泥を塗っているドイツ人に対して、彼らこそ本物のドイツ人であることを証明することになります。
 さて、今度はパレスチナにいるユダヤ人に申し上げたいのですが、彼らが間違っていることに疑問の余地はありません。聖書で言うパレスチナとは、地理的な地域ではありません。それは、彼らの心に存在するものです。しかし、仮に彼らが彼らの故国として地理上のパレスチナを求めねばならないとしても、英国の銃を笠に着てそこに入っていくのは、間違っています。宗教的行為は、銃剣や爆弾に助けられて行ってはならないのです。アラブ人の善意によってしか、彼らはパレスチナに定住することはできません。彼らは、アラブ人の心を和らげるように努力すべきです。ユダヤ人の心を支配しておられる神と同じ神が、アラブ人の心を支配しておられるのです。彼らはアラブ人の前でサティヤーグラハを展開することができます。そして、小指一本を彼らに向けてあげることなしに、拳銃で撃たれたり、死海に投げ込まれたりするために自らを捧げることができます。そうすれば、彼らの宗教的な野望において、世界世論が彼らの味方についてくれることになるでしょう。英国の銃剣による支援を手離しさえすれば、アラブ人に納得してもらうやり方はいくらでもあります。ところが実際には、ユダヤ人は彼らに何の危害も加えていない人々を略奪することにおいて、英国の共謀者になってしまっています。
 私は、アラブの過激派を擁護しているのではありません。彼らが自分たちの国を不当に侵略されたとみなしているのは、正しいことですが、それに抵抗するのに、非暴力のやり方を選んでくれていたらと残念です。しかし、正邪についての一般に受け入れられている規範に従えば、圧倒的な強敵を前にしてのアラブ人の抵抗を非難するようなことは言えません。
 選ばれた民であると主張するユダヤ人の方々には、地上での彼らの立場を弁明するのに、非暴力のやり方を選ぶことで、彼らにその権利があることを立証してもらいたいものです。パレスチナを含めて、どの国でも彼らの故国です。ただし、侵略によってではなく、愛の奉仕によってそうなるのです。ユダヤ人の友人が、セシル・ロスの書いた「ユダヤ人による文明への貢献」という本を送ってくれました。世界の文学、芸術、音楽、演劇、科学、医学、農学においてユダヤ人がなした功績が記録されており、彼らによって世界がどれほど豊かになったかがわかります。意志さえあれば、ユダヤ人は、西洋社会の賤民として扱われたり、軽蔑されたり、あるいは庇護されたりすることを拒否することができます。人間であること、つまり神によって選ばれ創造された者であることによって、世界の注目と尊敬を集めることができます。どんどん野獣へと堕ちていき、神から見捨てられるような人になることによってではありません。これまでなしてきた彼らの様々な貢献に加えて、さらにもっと素晴らしい非暴力の行動という貢献を彼らはなすことができます。
Harijan, 26-11-1938

THE JEWS
     Several letters have been received by me asking me to declare my views about the Arab-Jew question in Palestine and the persecution of the Jews in Germany. It is not without hesitation that I venture to offer my views on this very difficult question.
     My sympathies are all with the Jews. I have known them intimately in South Africa. Some of them became life-long companions.  Through these friends I came to learn much of their age-long persecution. They have been the untouchables of Christianity. The parallel between their treatment by Christians and the treatment of untouchables by Hindus is very close. Religious sanction has been invoked in both cases for the justification of the inhuman treatment meted out to them. Apart from the friendships, therefore, there is the more common universal reason for my sympathy for the Jews.
     But my sympathy does not blind me to the requirements of justice. The cry for the national home for the Jews does not make much appeal to me.... Why should they not, like other peoples of the earth, make that country their home where they are born and where they earn their livelihood?
     Palestine belongs to the Arabs in the same sense that England belongs to the English or France to the French. It is wrong and inhuman to impose the Jews on the Arabs. What is going on in Palestine today cannot be justified by any moral code of conduct.... Surely it would be a crime against humanity to reduce the proud Arabs so that Palestine can be restored to the Jews partly or wholly as their national home.
     The nobler course would be to insist on a just treatment of the Jews wherever they are born and bred. The Jews born in France are French in precisely the same sense that Christians born in France are French. If the Jews have no home but Palestine, will they relish the idea of being forced to leave the other parts of the world in which they are settled? Or do they want a double home where they can remain at will? This cry for the national home affords a colourable justification for the German expulsion of the Jews.
     But the German persecution of the Jews seems to have no parallel in history. The tyrants of old never went so mad as Hitler seems to have gone. And he is doing it with religious zeal. For he is propounding a new religion of exclusive and militant nationalism in the name of which any inhumanity becomes an act of humanity to be rewarded here and hereafter.... If there ever could be a justifiable war in the name of and for humanity, a war against Germany, to prevent the wanton persecution of a whole race, would be completely justified. But I do not believe in any war. A discussion of the pros and cons of such a war is therefore outside my horizon or province....
     Germany is showing to the world how efficiently violence can be worked when it is not hampered by any hypocrisy or weakness masquerading as humanitarianism.... Is there a way to preserve their self-respect, and not to feel helpless, neglected and forlorn? I submit there is. No person who has faith in a living God need feel helpless or forlorn. Jehovah of the Jews is a God more personal than the God of the Christians, the Mussalmans or the Hindus, though, as a matter of fact in essence, He is common to all and one without a second and beyond description. But as the Jews attribute personality to God and believe that He rules every action of theirs, they ought not to feel helpless. If I were a Jew and were born in Germany and earned my livelihood there, I would claim Germany as my home even as the tallest gentile German may, and challenge him to shoot me or cast me in the dungeon; I would refuse to be expelled or to submit to discriminating treatment. And for doing this, I should not wait for the fellow Jews to join me in civil resistance but would have confidence that in the end the rest are bound to follow my example. If one Jew or all the Jews were to accept the prescription here offered, he or they cannot be worse off than now. And suffering voluntarily undergone will bring them an inner strength and joy which no number of resolutions of sympathy passed in the world outside Germany can. Indeed, even if Britain, France and America were to declare hostilities against Germany, they can bring no inner joy, no inner strength. The calculated violence of Hitler may even result in a general massacre of the Jews by way of his first answer to the declaration of such hostilities. But if the Jewish mind could be prepared for voluntary suffering, even the massacre I have imagined could be turned into a day of thanksgiving and joy that Jehovah had wrought deliverance of the race even at the hands of the tyrant. For to the godfearing, death has no terror. It is a joyful sleep to be followed by a waking that would be all the more refreshing for the long sleep.
    .... And they have in the Indian satyagraha campaign in South Africa an exact parallel. There the Indians occupied precisely the same place that the Jews occupy in Germany. The persecution had also a religious tinge. President Kruger used to say that the white Christians were the chosen of God and Indians were inferior beings created to serve the whites. A fundamental clause in the Transvaal constitution was that there should be no equality between the whites and coloured races including Asiatics. There too the Indians were consigned to ghettos described as locations. The other disabilities were almost of the same type as those
of the Jews in Germany. The Indians, a mere handful, resorted to satyagraha without any backing from the world outside or the Indian Government. Indeed the British officials tried to dissuade the satyagrahis from their contemplated step. World opinion and the Indian Government came to their aid after eight years of fighting. And that too was by way of diplomatic pressure not of a threat of war.
     But the Jews of Germany can offer satyagraha under infinitely better auspices than the Indians of South Africa. The Jews are a compact, homogeneous community in Germany. They are far more gifted than the Indians of South Africa. And they have organized world opinion behind them. I am convinced that if someone with courage and vision can arise among them to lead them in non-violent action, the winter of their despair can in the twinkling of an eye be turned into the summer of hope. And what has today become a degrading man-hunt can be turned into a calm and determined stand offered by unarmed men and women possessing the strength of suffering given to them by Jehovah. It will be then a truly religious resistance offered against the godless fury of dehumanized man. The German Jews will score a lasting victory over the German gentiles in the sense that they will have converted the latter to an appreciation of human dignity. They will have rendered service to fellow-Germans and proved their title to be the real Germans as against those who are today dragging, however unknowingly, the German name into the mire.
     And now a word to the Jews in Palestine. I have no doubt that they are going about it the wrong way. The Palestine of the Biblical conception is not a geographical tract. It is in their hearts. But if they must look to the Palestine of geography as their national home, it is wrong to enter it under the shadow of the British gun. A religious act cannot be performed with the aid of the bayonet or the bomb. They can settle in Palestine only by the goodwill of the Arabs. They should seek to convert the Arab heart. The same God rules the Arab heart who rules the Jewish heart. They can offer satyagraha in front of the Arabs and offer themselves to be shot or thrown into the Dead Sea without raising a little finger against them. They will find the world opinion in their favour in their religious aspiration. There are hundreds of ways of reasoning with the Arabs, if they will only discard the help of the British bayonet. As it is, they are co-sharers with the British in despoiling a people who have done no wrong to them.
     I am not defending the Arab excesses. I wish they had chosen the way of non-violence in resisting what they rightly regarded as an unwarrantable encroachment upon their country. But according to the accepted canons of right and wrong, nothing can be said against the Arab resistance in the face of overwhelming odds.
     Let the Jews who claim to be the chosen race prove their title by choosing the way of non-violence for vindicating their position on earth. Every country is their home including Palestine not by aggression but by loving service. A Jewish friend has sent me a book called The Jewish Contribution to Civilization by Cecil Roth. It gives a record of what the Jews have done to enrich the world’s literature, art, music, drama, science, medicine, agriculture, etc. Given the will, the Jew can refuse to be treated as the outcaste of the West, to be despised
or patronized. He can command the attention and respect of the world by being man, the chosen creation of God, instead of being man who is fast sinking to the brute and forsaken by God. They can add to their many contributions the surpassing contribution of non-violent action.
SEGAON, November 20, 1938
Harijan, 26-11-1938

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