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2010年3月28日 (日)

「罰」を与える国家の暴力をガンジーは容認していたか?

 『ガンディーからの<問い>』(中島岳志著・NHK出版・2009年)という本で、著者は、ガンジーのヒンド・スワラージ(邦訳では、『真の独立への道』・岩波文庫)から次の文を引用しています。「私が罰を恐れて盗みをしないとします。罰の恐れがなくなったら、盗みをしたい気持ちになりますし、盗みをするでしょう。これはごく普通に経験されることです」(『真の独立への道』p.97)。そして、これを根拠に、「ガンディーは「罰の恐れ」を国民に敷衍することが、犯罪防止に役立つことを認めています。つまり、「罰」を与える国家の暴力を、正義の実現の手段として容認しています」(『ガンディーからの<問い>』p.58)と結論付けています。
 しかし、ヒンド・スワラージを読み進めていくと、どうもそうではなさそうです。「また盗みにやって来た。・・この人(泥棒)は病人だと思った。・・品物をすぐに持って行けるようにしておいた。・・泥棒はやって来た。びっくりしてしまった。・・後悔して、あなたに許しを請うた。・・泥棒稼業を止めた。・・・いつもではありませんが、ほとんどの場合、武器の力より慈悲の力がもっと強力です」(『真の独立への道』pp.103-104)とあるからです。
 人々が罰を恐れて盗みをしないというのが、一般的な傾向であるとしても、だから罰を与えるというのではなく、泥棒は病人であると考えて、病気を治すような慈悲の働きかけが必要だと、ガンジーは主張しているのです。
 同様の主張をガンジーの言葉から拾ってみました。

非暴力の独立したインドでは、犯罪は存在しても、犯罪者は存在しません。ですから、罰を受けるということもありません犯罪は他の病気一般と同様に、病気なのです。そして、現在の社会制度の産物であります。ですから、殺人も含めたあらゆる犯罪は、病気として扱われることになります。そのようなインドが実現可能かどうかは、また別の問題です。
A. In independent India of the non-violent type, there will be crime but no criminals. They will not be punished. Crime is a disease like any other malady and is a product of the prevalent social system.  Therefore, all crime including murder will be treated as a disease.  Whether such an India will ever come into being is another question.
Harijan, 5-5-1946

彼らも、私たちと同じ人間です。我々も、彼らの立場にあったなら、同じことをしているかもしれません。人間は、状況に打ち勝てるほど強くはありません。状況が、行動を決めているのです。ですから、このことについて、彼らを責めてはいけない気がするのです。
They are human beings like us and perhaps we would be doing the same things that they are doing if we had been in their position. Man does not have the strength to fight circumstances; the latter mould his actions. Hence I do not feel that they are to be blamed for this.
Navajivan, 23-3-1930

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