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2010年2月25日 (木)

鬱にあらず

前回の『ガンジーの絶望』の続編です。意気消沈はしておらず、ただ神の御旨を果たしたいというのが、ガンジーの願いのようです。

望ましいことは、125歳まで生きることを願うことでも、今死ぬことを願うことでもないでしょう。私にとっての理想とは、自分を完全に明け渡して、神のご意志に服従することでなければなりません。

誕生日(1947年10月2日)を祝って多くの方々がメッセージを送ってくださいましたが、これはその中の一つです。:

今日の状況のために、意気消沈しておられるのではありませんか? 非暴力の方法で世界の苦しみを取り除こうとインドはしていますが、世界に対するこの神聖な貢献の試みを打ち砕こうと、邪悪な勢力が最後のあがきを行っているように私には思われます。今日では、この世界でこの神の御心を成し遂げようとする唯一の器があなただけになってしまいました。

 これは、よく事情を知ってというよりも、私への個人的な思慕を述べるために送ってこられた電文です。さて、私の今の心の状態を鬱状態と表現することは、おそらく間違っています。私は、ただ事実を述べているだけです。神の御心が為されるのは、私を通してだけだと考えるほど、私はうぬぼれ屋ではありません。おそらく、それを実行するのに、私よりももっと適した器が用いられることでしょう。そして、私は、強い国ではなく、せいぜい弱い国を代表する程度の器だったのです。最終的な御旨を達成するには、もっと純粋で、勇敢で、先を見通せる人が、求められているということではないでしょうか? これらはすべて憶測にすぎません。神の御旨を判断できるような能力を持つ人は存在しません。我々は、その限りない恵みの海の一滴、一滴にすぎません。
疑いを挟む余地もなく、望ましいことは、125歳まで生きることを願うことでも、今死ぬことを願うことでもないでしょう。私にとっての理想とは、自分を完全に明け渡して、神のご意志に服従することでなければなりません。理想は現実になったときに、理想でなくなります。私たちにできるのは、それにできるだけ近づこうとすることだけです。自分を支える力を最大限奮い立たせて、私はこれを行っています。
 私が、不遜にも125歳まで生きたいと、公に宣言していたとしても、状況が変われば、その望みを公に破棄する謙虚さを持たねばなりません。そして、これ以上も、これ以下のことも私はしていません。このことは、憂鬱な精神状態のもとで行われたのではありません。おそらくお手上げ状態といった方が適切でしょう。このような状態にあって私は、すべてを包まれる全能のお方の手で、私を「涙に満ちたこの世」から取り去ってくださるように懇願しているのです。野蛮人になり果ててしまった人々が繰り広げる屠殺現場を為す術もなく目撃するくらいならば、その方がよいからです。たとえその人が自らをイスラム教徒、あるいはヒンズー教徒、あるいはそのほか何と名乗ろうと変わりありません。しかしながらそれでも、「私の願いではなく、御心がなりますように」と私は声を上げています。神が私を望まれるのであれば、まだしばらく神は私をこの地上においておかれることでしょう。
Harijan, 12-10-1947

     This is from one of the many messages of birthday congratulations:
May I suggest that the present situation should not depress you? In my opinion this is the final attempt of the forces of evil to foil the divine plan of India’s contribution to the solution of the world’s distress by way of nonviolence.  You are today the only instrument in the world to further the divine purpose.

     This is a telegram sent more out of personal affection than knowledge. Let us see.  It is perhaps wrong to describe my present state of mind as depression. I have but stated a fact. I am not vain enough to think that the divine purpose can only be fulfilled through me. It is as likely as not that a fitter instrument will be used to carry it out and that I was good enough to represent a weak nation, not a strong one. May it not be that a man purer, more courageous, more far-seeing is wanted for the final purpose? This is all speculation. No one has the capacity to judge God. We are drops in that limitless ocean of mercy.
     Without doubt the ideal thing would be neither to wish to live 125 years nor to wish to die now. Mine must be a state of complete resignation to the Divine Will. The ideal ceases to be that when it becomes real. All we can do is to make as near an approach to it as possible. This I am doing with as much energy as I can summon to my assistance.
     If I had the impertinence openly to declare my wish to live 125 years, I must have the humility under changed circumstances openly to shed that wish. And I have done no more, no less. This has not been done in a spirit of depression. The more apt term perhaps is helplessness. In that state I invoke the aid of the all-embracing Power to take me away from this “vale of tears” rather than make me a helpless witness of the butchery by man become savage, whether he dares to call himself a Muslim or a Hindu or what not. Yet I cry“Not my will but Thine alone shall prevail.” If He wants me, He will keep me here on this earth yet awhile.
NEW DELHI, October 5, 1947
Harijan, 12-10-1947

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