関連サイト

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

2009年3月28日 (土)

神の名を掲げた行進

 市民的不服従を行う地域に足を踏み入れましたので、これまで以上に自らを清め、真剣に献身することを強調する必要があります。・・我々は天使ではありません。非常に弱く、誘惑されやすい存在です。・・・地元の活動家がスラト市に牛乳を注文し、トラックで運ぶように手配しました。これ以外にも私が認めることのできない費用がかかっています。・・・
 このようなことがわかってくると、我々の平均収入の5000倍の給与を得ていることを厳しく批判する手紙を、私はインド総督に書きましたが、そんなことをする一体どんな権利があったというのでしょうか。・・・我々は神の名を掲げて行進をしています。飢えて着る物もなく、失業している人々のために行動しているのだと公言していますが、もし我々が国に負担をかけているのであれば、つまり、国民の平均的な日給である7パイス(インドの旧通貨単位=1/64ルピー)の50倍を国に負担させているのであれば、総督の給与を批判する資格はありません。経費の明細書を私のところに持ってくるように、私は活動家の人たちにお願いしてきました。これまでの経過から、我々の一人一人に、7パイスの50倍に近い金額がかかっていても、私はもはや驚きません。私のためにあらゆる所から調達してきてくれるのですから、こうなるしかありません。選りすぐりのオレンジや葡萄であったり、オレンジが12個あればよいところ、120個持ってきてくれたり、牛乳500mlが必要なところ、1.5リットルを提供してくれます。皆さんが差し出してくださるご馳走を、我々が受け取らなければ、皆さんを傷つけることになるだろうという言い訳をして、その全てを頂くなら、こうなるしかありません。皆さんは我々にグアバ(熱帯の果実)や葡萄を提供してくださいます。我々はそれらを、気前のよい農民が無料で下さったのだからと食べます。いろいろと便宜を図ってくれる友人から無料で頂いたつやのある高級紙に、これまた高価な万年筆で、何のやましさも感じずに、総督宛の手紙を私が書くとしましょう。皆さんや私にふさわしいことでしょうか。そのようにして書かれた手紙が、少しでも効力を発揮するでしょうか。
 このような生き方は、聖者アクノの不朽の詩歌の一節を地で行くことになります。その詩は語ります。「盗み取った食べ物は、未加工のヤマアイ(薬草、処理をしないと有毒)を食べるようなものだ」と。貧しい国に不相応な暮らしをすることが、つまり盗み取った食べ物で生きることです。盗み取った食べ物を食べていたのでは、この闘いに勝利することは、絶対に不可能です。
 ・・・
 ですから、我々のような奉仕者を皆さんがもてなしてくださっていますが、贅沢よりも足りないくらいをお願いします。仕方なく手に入らないものがあっても、文句は言いません。私のために山羊のミルクを手に入れようとして、貧しい女性から子どものためのミルクを奪ってはいけません。そんなことをしたら、そのミルクは毒物と同然です。ミルクも野菜もスラト市から運んではなりません。どうしようもなければ、それらをなしで済ますことができます。ほんの些細な口実で、自動車に頼ってはいけません。「歩けるのであれば、乗るな」というのが原則です。この運動は、お金を使って行う闘いではありません。お金を使って大衆運動を維持することはできません。いずれにしても、気前よく散財しながらこの運動を遂行するのは、私には到底できません。
 この運動において、浪費が入り込む余地はありません。すさまじい経費をかけて宣伝をしないと人が集まらないのであれば、数人の男女に呼びかけることで私は満足です。
 それでは新聞に記事が載らないと言われます。きっぱり言っておきますが、この運動は新聞の報道によって成功するものではありません。そうではなく、ラーマ神に支援されて成功するのです。我々がこの神の近くにいれば、どんな灯火も必要ではありません。ペンもインクもその他どんな付属品も必要ありません。語ることも不要です。たとえ手足をもぎ取られても、神に訴えることはできます。
 誰であっても人を見下してはいけません。夜間の歩行のために、台に取り付けた灯油バーナーを用意しておられましたが、その重たいバーナーを貧しい労働者が頭に載せて運んでいました。これは、恥ずべき光景です。この男は速く歩けと追い立てられていました。私は見ていられませんでした。ですから、私は足を速めて、同行者よりもどんどん先に行ってしまおうとしました。しかしだめでした。走って私を追いかけるようにその男は命じられたのです。まさに恥辱の極みです。その重い荷を運ばねばならないのであれば、我々の誰かがそれを運んでいるところを見たいものです。そうすれば、すぐに台もバーナーも手放してしまうことでしょう。労働者が頭に載せてそのような荷物を運ぶようなことがあっては決してなりません。正当にも、我々は強制労働(begar)に反対しています。しかし、これが強制労働でないとしたら、一体何でしょう? スワラージ(独立・自治)のもとでは、いわゆる下層民から抜擢した人にインドの運命を託すつもりであることを、忘れないでください。であれば、我々のやり方をすぐに改めない限り、皆さんや私が国民に示してきたスワラージ(独立・自治)は絵空事になります。
塩の行進の滞在地で行った演説
ヤング・インディア 1930年4月3日

  As we had entered the district in which we were to offer civil disobedience, we should insist on greater purification and intenser dedication. ・・・We are not angels. We are very weak, easily tempted. ・・・The local workers had ordered milk from Surat to be brought in a motor lorry and they had incurred other expenses which I could not justify. ・・・
  In the light of these discoveries, what right had I to write to the Viceroy the letter in which I have severely criticized his salary which is more than 5,000 times our average income? ・・・ We are marching in the name of God. We profess to act on behalf of the hungry, the naked and the unemployed. I have no right to criticize the Viceregal salary if we are costing the country, say, fifty times seven pice, the average daily income of our people. I have asked the workers to furnish me with an account of the expenses.  And the way things are going, I should not be surprised if each of us is costing something near fifty times seven pice. What else can be the result if they will fetch for me from whatever source possible, the choicest oranges and grapes, if they will bring 120 when I should want 12 oranges, if when I need one pound of milk, they will produce three? What else can be the result if we would take all the dainties you may place before us under the excuse that we would hurt your feeling if we did not take them? You give us guavas and grapes and we eat them because they are a free gift from a princely farmer. And then imagine me with an easy conscience writing the Viceregal letter on costly glazed paperwith a fountain pen, a free gift from some accommodating friend!  Will this behove you and me? Can letter so written produce the slightest effect?
  To live thus would be to illustrate the immortal verse of Akho Bhagat, who says that “stolen food is like eating unprocessed mercury”. And to live above the means befitting a poor country is to live on stolen food. This battle can never be won by living on stolen food. ・・・
  Therefore in your hospitality towards servants like us, I would have you to be miserly rather than lavish. I shall not complain of unavoidable absence of things. In order to procure goat’s milk for me you may not deprive poor women of milk for their children. It would be like poison if you did. Nor may milk and vegetables be brought from Surat. We can do without them if necessary. Do not resort to motor-cars on the slightest pretext. The rule is, do not ride if you can walk. This is not a battle to be conducted with money. It will be impossible to sustain a mass movement with money. Anywayit is beyond me to conduct the campaign with a lavish display of money.
  Extravagance has no room in this campaign. If we cannot gather crowds unless we carry on a hurricane expensive propaganda, I would be satisfied to address half a dozen men and women.
  It will be said that in that case reports will not appear in newspapers. I wish to tell you once and for all that this campaign will not succeed through newspaper reports, but with the assistance of Shri Rama. And, no light is necessary when we are near Him; neither are pen and ink and such other accessories required, nor even speech. An appeal can be made to Him even if one has lost one’s limbs.
  We may not consider anybody low. I observed that you had provided for the night journey a heavy kerosene burner mounted on a stool which a poor labourer carried on his head. This was a humiliating sight. This man was being goaded to walk fast. I could not bear the sight. I therefore put on speed and outraced the whole company. But it was no use. The man was made to run after me. The humiliation was complete. If the weight had to be carried, I should have loved to see someone among ourselves carrying it. We would then soon dispense both with the stool and the burner. No labourer would carry such a load on his head. We rightly object to begar (forced labour). But what was this if it was not begar? Remember that in swaraj we would expect one drawn from the so-called lower class to preside over India’s destiny. If then we do not quickly mend our ways, there is no swaraj such as you and I have put before the people.
SPEECH AT BHATGAM  March 29, 1930
Young India, 3-4-1930

2009年3月13日 (金)

悪に対しては、非暴力の不服従が市民の義務 (非協力運動で起訴された時の陳述書)

 今回の起訴が問題としている事態を鎮めるために、忠実な協力者だった私がなぜ、頑なに反旗を翻し、非協力者になったのかを、インド人民および英国の人々に対して、私は説明しなければならないでしょう。法律によってインドで確立された政府に背いている罪で、自らを有罪だと私が主張する理由を、法廷に対しても述べるべきでしょう。
 私の公的な活動は1893年に騒然とした南アフリカで始まりました。あの国で、英国当局との初めての接触は、愉快なものではありませんでした。一人の人間として、一人のインド人として、私にはどんな権利もありませんでした。もっと正確に言うならば、私がインド人だったので、人間としての権利がなかったのです。
 しかし、私はくじけませんでした。インド人がこのように扱われているとしても、それは、本来は大部分、良いものである体制の表面に生じた突起物に過ぎないと思っていました。私は自主的かつ心から政府に協力してきました。そして、欠点だと感じる点については、遠慮せずに批判してきました。しかし、政府を転覆させようと思ったことは一度もありません。ですから、1899年のボーア戦争で、大英帝国が脅かされた時、私は英国のために働きました。ボランティアの衛生兵を募り、・・・同様にズールー人の反乱があった1906年に担架兵を募り、その反乱が治まるまで任務に当たりました。・・・求められるままに、このような働きをしてきましたのも、これを通して、わが国の人々が帝国内で対等の立場を獲得できると信じていたからです。
 ローラット法という形で最初の衝撃が走りました。この法律では、国民から実質的自由をすべて奪うことが意図されていました。集中的な反対運動の先頭に立つことが求められていると、私は感じました。そして今度は、ジャリアンワーラーの虐殺(ダイヤー将軍によって集会中の市民に無差別の発砲が行われた)に始まり、腹ばい令、公開鞭打ち、その他、口にできないような屈辱行為に至るパンジャーブの惨劇へと続きました。
 (中略)
 英国との関係によってインドは、政治的にも経済的にもかつてないほど無力な状態に陥ってしまったと言わざるを得ません。武装解除されたインドは、仮に武器を取って戦おうとしても、侵略者に抵抗する力を持っていません。状況がこのようですので、インドの非常にすぐれた人たちの中にも、インドが主権を獲得するには何世代もかかるに違いないと、考える人たちがいます。インドは、あまりにも貧しくなってしまったために、飢饉に抵抗する力もほとんどありません。英国が進出してくる前は、インドでは国内の何百万もの家屋で、糸紡ぎ、機織りが行われていました。わずかな農業収入に追加する必要があって、補完的にこれらを行っていました。この家内手工業は、インドの存続に極めて重要だったのですが、信じがたいほど血も涙もない非人間的なやり方で、破壊されてしまいました。これは、英国人の目撃者が記述している通りです。半ば飢えたインドの大衆が、いかにして徐々に生気を失っていったかを、町の人々はほとんど知りません。彼らのわずかな収入は、外国の業者のためにやった仕事で得る手数料だけであること、しかも大衆から利益と手数料が吸い取られていることを町の人はほとんど知りません。英領インドの法律によって確立した政府は、このように大衆を搾取するために存続していることに、町の人々はほとんど気づいていません。どんな詭弁や数字上のごまかしによっても、多数の村々のやせ細った人々という肉眼に突きつけられる証拠を言い逃れることはできません。もし天に神がいるのであれば、英国とインドの町に住む人々の両方が、おそらく歴史上類を見ない人道に対するこの罪の責任を負わねばならないと、私は少しの疑いもなく確信しています。この国の法律それ自体が、外国の業者に奉仕するために利用されてきました。
 (中略)
 最も不幸なことには、この国の行政を司る英国人とインド人の同僚には、私がこれまで述べようとしてきたこの犯罪を行っている自覚がありません。自分たちは考案された世界最良の制度を運営しており、インドはゆっくりであるとしても着実に進歩していると、多くの英国人およびインド人の高官が、心から信じているのは確かです。それとなく、しかしそれでも実効的なテロリズムのシステムを用いて組織的暴力を見せつけながら、他方では、報復や自衛の力をことごとく奪うことで、彼らは国民を去勢し、見せかけを行う癖を身につけてしまいましたが、彼らにはそのことがわかっていません。この恐ろしい習慣のために、行政官はますます無知になり、自己欺瞞に陥っています。私が喜びを持って起訴されている第124条A項は、市民の自由を抑圧することを意図したインド刑法の政治条項の中でもおそらく第1級でしょう。愛情は法律によって作り出したり、規制することはできません。人や制度に愛情が持てないのであれば、その不満を思う存分表明する自由が人にはあるはずです。ただし、暴力を企てたり、奨励したり、煽ったりしなければの話ではありますが。しかし、バンカー氏と私が告発されています条項では、不満を表明するだけで罪となります。この条項のもとで審理が行われている事例のいくつかを、私は調査しました。その結果、インドを愛してやまない愛すべき人々が、この条項によって有罪とされていることが分りました。ですから、この条項で告発されたことは名誉であると思います。簡単な概要の形で、私は不満の理由を述べようとしてきました。私は行政官の誰にも、個人的な恨みは持っていません。なおのこと、国王個人に対しても、どんな不満もありません。しかし、全体として、これまでのどの制度よりも多くの害をインドに与えてきた政府に対して不満を抱くことは、道徳的行為だ私は考えます。インドは、英国の統治下で、かつてないほど女々しくなってしまいました。そのように確信していますので、その制度に対して愛情を持つことは、罪であると私は考えます。私に不利な証拠として提出された各記事を、私が書くことができましたのも、またとない栄誉なことでした。
 実際、私は非協力をする中で、インドと英国が不自然な状態から抜け出す道を示したのですから、インドと英国の両方に奉仕してきたと、私は信じています。私は言わせていただきますが、悪に協力しないことは、善に協力するのと同じくらい重要な義務です。しかし、過去においては、非協力は、悪を行う者に対する意図的な暴力という形で表現されてきました。暴力的な非協力は悪を増大させるだけだということを、私は同胞の人々に教えようとしています。そして、悪というのは、暴力によってのみ維持できるのですから、悪を支えるのをやめようと思えば、暴力から完全に手を切ることが必要だということもわかってもらいたいのです。非暴力とは、悪に協力しなかった罰に自発的に従うことなのです。ですから、私はここで、私に科すことのできる最高の刑罰を求め、それに喜んで従いたいと思います。法律上では周到な犯罪でありながら、私には市民としての最高の義務だと思われることを行ったのですから、裁判長殿、あなたが選択できる道は次の2つだけです。ひとつは、辞職し、そうすることで悪と袂を分かつことです。適用するように求められている法律が悪であり、実際には、私が無罪であるとあなたが思われるのであれば、そうしてください。あるいは、あなたが手を貸し、適用している制度および法律がこの国の人々にとって良いものであり、そのゆえ、私の行為は公共の福祉を害すると信じておられるのであれば、私に最も厳しい刑罰を科してください。
ヤング・インディア 1923年3月23日

  I owe it perhaps to the Indian public and to the public in England, to placate which this prosecution is mainly taken up, that I should explain why from a staunch loyalist and co-operator, I have become an uncompromising disaffectionist and non-co-operator. To the court too I should say why I plead guilty to the charge of promoting disaffection towards the Government established by law in India.  My public life began in 1893 in South Africa in troubled weather. My first contact with British authority in that country was not of a happy character. I discovered that as a man and an Indian, I had no rights. More correctly I discovered that I had no rights as a man because I was an Indian.
  But I was not baffled. I thought that this treatment of Indians was an excrescence upon a system that was intrinsically and mainly good. I gave the Government my voluntary and hearty co-operation, criticizing it freely where I felt it was faulty but never wishing its destruction.  Consequently when the existence of the Empire was threatened in 1899 by the Boer challenge, I offered my services to it, raised a volunteer ambulance corps ・・・.  Similarly in 1906, at the time of the Zulu‘revolt', I raised a stretcher bearer party and served till the end of the ‘rebellion'. ・・・ In all these efforts at service, I was actuated by the belief that it was possible by such services to gain a status of full equality in the Empire for my countrymen.
  The first shock came in the shape of the Rowlatt Act---a law designed to rob the people of all real freedom. I felt called upon to lead an intensive agitation against it. Then followed the Punjab horrors beginning with the massacre at Jallianwala Bagh and culminating in crawling orders, public flogging and other indescribable humiliations. ・・・
  I came reluctantly to the conclusion that the British connection had made India more helpless than she ever was before, politically and economically. A disarmed India has no power of resistance against any aggressor if she wanted to engage, in an armed conflict with him. So much is this the case that some of our best men consider that India must take generations, before she can achieve Dominion Status. She has become so poor that she has little power of resisting famines. Before the British advent India spun and wove in her millions of cottages, just the supplement she needed for adding to her meagre agricultural resources. This cottage industry, so vital for India's existence, has been ruined by incredibly heartless and inhuman processes as described by English witness. Little do town dwellers know how the semi-starved masses of India are slowly sinking to lifelessness. Little do they know that their miserable comfort represents the brokerage they get for their work they do for the foreign exploiter, that the profits and the brokerage are sucked from the masses. Little do they realize that the Government established by law in British India is carried on for this exploitation of the masses. No sophistry, no jugglery in figures, can explain away the evidence that the skeletons in many villages present to the naked eye. I have no doubt whatsoever that both England and the town dwellers of India will have to answer, if there is a God above, for this crime against humanity, which is perhaps unequalled in history. The law itself in this country has been used to serve the foreign exploiter. ・・・
  The greater misfortune is that the Englishmen and their Indian associates in the administration of the country do not know that they are engaged in the crime I have attempted to describe. I am satisfied that many Englishmen and Indian officials honestly believe that they are administering one of the best systems devised in the world, and that India is making steady, though, slow progress. They do not know, a subtle but effective system of terrorism and an organized display of force on the one hand, and the deprivation of all powers of retaliation or self-defense on the other, have emasculated the people and induced in them the habit of simulation. This awful habit has added to the ignorance and the self-deception of the administrators. Section 124 A, under which I am happily charged, is perhaps the prince among the political sections of the Indian Penal Code designed to suppress the liberty of the citizen. Affection cannot be manufactured or regulated by law. If one has no affection for a person or system, one should be free to give the fullest expression to his disaffection, so long as he does not contemplate, promote, or incite to violence. But the section under which Mr. Banker and I are charged is one under which mere promotion of disaffection is a crime. I have studied some of the cases tried under it; I know that some of the most loved of India's patriots have been convicted under it. I consider it a privilege, therefore, to be charged under that section. I have endeavored to give in their briefest outline the reasons for my disaffection. I have no personal ill-will against any single administrator, much less can I have any disaffection towards the King's person. But I hold it to be a virtue to be disaffected towards a Government which in its totality has done more harm to India than any previous system. India is less manly under the British rule than she ever was before. Holding such a belief, I consider it to be a sin to have affection for the system. And it has been a precious privilege for me to be able to write what I have in the various articles tendered in evidence against me.
  In fact, I believe that I have rendered a service to India and England by showing in non-co-operation the way out of the unnatural state in which both are living. In my humble opinion, non-co-operation with evil is as much a duty as is co-operation with good.  But, in the past, non-co-operation has been deliberately expressed in violence to the evil-doer. I am endeavouring to show to my countrymen that violent non-co-operation only multiplies evil and that, as evil can only be sustained by violence, withdrawal of support of evil requires complete abstention from violence. Non-violence implies voluntary submission to the penalty for non-co-operation with evil. I am here, therefore, to invite and submit cheerfully to the highest penalty that can be inflicted upon me for what in law is a deliberate crime and what appears to me to be the highest duty of a citizen. The only course open to you, the Judge, is either to resign your post and thus dissociate yourself from evil, if you feel that the law you are called upon to administer is an evil and that in reality I am innocent; or to inflict on me the severest penalty if you believe that the system and the law you are assisting to administer are good for the people of this country and that my activity is, therefore, injurious to the public weal.
Young India, 23-3-1922

2009年3月 7日 (土)

塩以外の第2、第3の要塞

 明日の朝で、ブローチ地区の行進は終わります。この地域の印象をかいつまんでお話しするのも適切なことでしょう。これまで達成してきたことを通して、スワラージ(独立・自治)を得るつもりであるなら、まだまだ大変長い時間がかかるでしょう。なぜなら、集会に参加したり、塩税に反対する大規模な市民的不服従運動だけで、達成できることではないからです。建設的仕事の分野での成果は、他の地区ではほとんど何もありません。しかし、ここでも同様に乏しい成果しかあげていません。外国製の布を完全にボイコットすることができていませんし、カディー(手紡ぎ・手織り綿布)を普及させることにも成功していません。カディー生産量の欄への記入がゼロです。この地区では綿花が豊富に収穫できるのに、それを自分たちで活用することを全然していません。飲酒が広く行われています。このような状況にあるとしても、それでも私は、この運動が我々を大いに目覚めさせてくれるだろうと期待しています。インドのあらゆる場所でカディーの着用が広く行われるようになっています。この結果、カディーが不足するようなことになれば、もっとたくさんのカディーを作って支援することが、皆さんにはできます。ここを立ち去って、ダンディーまで行くことを、英国政府が許してくれるかどうかはわかりません。しかし、塩税がなくなったと思ってもらって構いません。私がやるようにと言ったことの全てをやり始めてくださるなら、我々は塩税の要塞だけでなく、他の多くの要塞にも攻撃を加えて、攻め落とすことになるでしょう。皆さんの支持を得られたおかげで、この極悪非道の(どのような形容をもってしても、このひどさを表現することはできないでしょう)塩税は、必ず廃止されるでしょう。外国製の布をボイコットすることで、必要な機運を生じさせ、広めてくださるなら、第2の要塞を攻め落とせます。すなわち、6億ルピーを勝ち取ることになります。酒とアヘンに、我々は、2億5千万ルピーを捨てています。ほろ酔い気分になる特権を得るためにこの金額です。この3番目も要塞も、飲酒をやめさえすれば、確実に攻め落とすことができます。外国製の布に6億ルピー、アルコール類に2億5千万ルピー、塩税に6千万ルピーです。これらの全てを使わないで、ためておくことができれば、我々の顔は栄光を受けて輝き、時を経ずしてスワラージ(独立・自治)を自分のものにできるでしょう。塩税は、廃止されたも同然です。ですから、今回のこの運動に参加するつもりのない人には、皆で一致協力してこれら2つのことを支援するように求めます。ここにいる皆さん全員に、男性にも、女性にも、外国製の布を身につけることをやめて、カディーを着ていただきたいと、お願いします。あなた方が果たすべき本当の義務は何かを理解してください。
SAJODでの演説(1930年3月27日)
[From Gujarati] Prajabandhu, 30-3-1930

SPEECH AT SAJOD March 27, 1930
Tomorrow morning the tour of the Broach District will be over, and it will be proper to sum up my impressions at this place. If we are to depend for swaraj on what has been done so far, it will take us very long to win it, because it cannot be secured by mere attendance at meetings or by large numbers joining the civil disobedience movement against the salt tax. The achievement in the field of constructive work is very meagre in other districts indeed, but here also it is just as poor. We have not achieved complete boycott of foreign cloth and have not succeeded in popularizing khadi. The entry in the column for the quantity of khadi produced is nil. You have a rich crop of cotton in this district, but you put it to no use yourselves. Consumption of liquor has spread widely. Even in these circumstances, however, I have the hope that this movement will bring about a great awakening among us. The use of khadi is spreading widely in the whole of India. If, in consequence of this, there is shortage of khadi, you can even help in producing more of it. After I leave this place they may or may not let me reach Dandi, but take it from me that the salt tax is gone. If you start doing all that I have suggested, I believe we shall have stormed and won not merely the fort of the salt tax but many other forts as well. As I have the blessings of you all, this monstrous salt tax--no adjectives can be strong enough to describe it--is bound to be abolished. If you produce and spread the required climate by boycotting foreign cloth, we will win the next fort.  That is, we shall win Rs. 60 crores. Through liquor and opium we have been throwing away Rs. 25 crores for the privilege of becoming mad.  That third fort also we will certainly win, but only if you give up drinking. Rs. 60 crores for foreign cloth, Rs. 25 crores for intoxicants and Rs. 6 crores for the salt tax--if we save all this money our faces will beam with lustre and swaraj will be won in no time. The salt tax is as good as gone, and hence those ofyou who do not wish to join the present movement should all co-operate and help in these two matters.  I request all brothers and sisters here to give up foreign cloth and wear khadi. Understand what your true duty is.
[From Gujarati]
Prajabandhu, 30-3-1930

西洋文明の実態

 The New Ageという英字誌に、この問題を扱った漫画が掲載されました。ここに再掲します。行進する軍隊が描かれています。背後にはグロテスクな人物、大将がいます。このひどい図体の人物は、拳銃をぶら下げ、あらゆる方向に硝煙をまき散らしています。そして、剣からは、血が滴っています。頭には大砲が乗り、片方にぶら下がっているバッヂには、骸骨の絵が描いてあります。その上、腕には十字架がぶら下がっています(この十字架は、負傷者救護隊の記章です)。口には血が滴る短剣を歯でくわえています。肩には実弾を装着したベルトをかけています。この絵には、「文明の行進」という題がついています。この漫画の情景描写を読んだ読者は皆、深刻な面持ちになることでしょう。よく考えてみれば、この漫画の男の顔に現れているひどい表情と同じぐらい、あるいはそれ以上に残虐なのが、西洋文明であると感じないわけにはいきません。人を最も憤らせる光景は、血が滴る武器の真ん中にある十字架です。ここにおいて、この文明の偽善ぶりが最高点に達しています。前の時代にも、血なまぐさい戦争はありました。しかし、近代文明の偽善には、染まっていませんでした。読者の注意をこの漫画に向けながら、同時にサティヤーグラハ(真理を宣言しそれに固く立つこと=非暴力・不服従運動)の神々しいかすかな光も、お目にかけたいと思います。まず、上にあげました文明の絵をご覧になってください。狼のように残虐になった文明です。富に飢え、欲望の赴くままに、この世的な楽しみを追求しています。他方、サティヤーグラハの闘士の姿を思い浮かべてください。真理に対する忠誠心から、霊的な存在としての自分の本質に忠実でありたいという思いから、そして、神の命令に従いたいという強い気持ちから、邪悪な人々によって加えられる苦悩を甘受しています。胸には不屈の精神をたたえ、顔には微笑みを浮かべ、目には一滴の涙も見せていません。この2つの絵のどちらに読者は魅かれるでしょうか。人の胸を打つのはサティヤーグラハ闘士の姿に決まっています。そして、その闘士の苦悩が増大するほど、その影響力は深く浸透していきます。この漫画を見ただけでも、サティヤーグラハこそ、人類が自由と力を獲得できるただひとつの方法であると、心に感じないような人がいるでしょうか。もちろん、他者を撃ち殺そうとして、撃たれて死んだり、絞首刑に処せられたりする場合にも、確かに不屈の精神が試されることは、認めねばなりません。しかし、他者を殺そうとして死んでいく場合には、サティヤーグラハ闘士が苦悩を甘受するのに比べたら、100分の1の気概と勇気で十分です。サティヤーグラハ闘士は、ゆっくりと、引き延ばされる責め苦の中にあって、銃を突きつけられた状態で、1発も発砲し返すことなく、冷静に耐えています。サティヤーグラハの力を圧倒するほど力強く剣をふるえる人はいません。それどころか、剣を振りかざす人は、それよりももっと鋭い剣を突きつけられて、退却するしかありません。だからこそサティヤーグラハ闘士の物語は、尊敬の念をもって読まれるのです。サティヤーグラハを実践するほどの強さを持っていない人は、当然、野蛮な力を振るいたくなります。サティヤーグラハに比べれば、こちらの方がはるかに容易に用いることができます。インド独立にこだわるあまり、サティヤーグラハもやがては野蛮な力の行使に行き着くに相違ないと思っているような、自暴自棄なインド人もいます。つまり、サティヤーグラハとは、暴力の熱狂へと興奮していく第一段階に過ぎないと考えているのです。このように考える人を、井の中の蛙にたとえても、それほど的外れではないでしょう。蛙は、非常に大きな井戸が海だと思っています。サティヤーグラハで求められる忍耐力を最大限まで高めようとすることのできない人は、我慢できずに野蛮な力に向かってしまうのが、現実です。そして、やけになって、自分の苦しみを早く終わらせるために、闇雲の突撃します。このような人は、サティヤーグラハ闘士では決してありません。その人は、サティヤーグラハが何かを理解しようとは思いません。
インディアン・オピニオン 1910年4月2日

An English journal called The New Age has published a cartoon on this subject, which we reproduce in this issue. It shows an army on the march. Behind, there is a grotesque figure, that of a general. On the body of this terrible form are hanging a gun emitting smoke in every direction and swords dripping with blood, and on its head a cannon. There is the drawing of a skull on a badge hanging on one side. On the arm, moreover, there is a cross. (This cross is the emblem of a batch which looks after the wounded.) In the mouth, held in the teeth, there is a dagger dripping with blood. On the shoulder is seen a belt studded with live cartridges. The drawing is entitled “March of Civilization”. No one who reads this description of the cartoon can help becoming grave. On reflection, we cannot help feeling that Western civilization is as cruel as, perhaps more cruel than, the terrible expression on the face of the man in the cartoon. The sight which fills one with the utmost indignation is that of the cross in the midst of weapons dripping with blood. Here the hypocrisy of the new civilization reaches its climax. In former times, too, there used to be bloody wars, but they were free from the hypocrisy of modern civilization. While drawing our readers, attention to this cartoon, we want to give them at the same time a glimpse of the divine light of satyagraha. On one side, look at the picture of civilization drawn above, a civilization grown as terrible as a wolf through its hunger for wealth and its greedy pursuit of worldly pleasures. On the other, look at the figure of a satyagrahi who, out of his loyalty to truth, to his nature as a spiritual being and out of a desire to obey God's command, submits to the suffering inflicted by wicked men, with fortitude in his breast, with a smile on his face and without a single tear in his eyes. Of the two pictures, towards which will the reader feel attracted? We are sure it is the vision of the satyagrahi which will touch the heart of mankind, and that the effect will grow deeper as his sufferings increase. Is there anyone who, looking at this cartoon alone, does not feel in his heart that satyagraha is the only way in which mankind can attain freedom and strength? We admit, of course, that to be shot dead or hanged when trying to shoot another does test one's fortitude; but dying in the attempt to kill another does not require even a hundredth part of the fortitude and courage implicit in the suffering that a satyagrahi goes through, in the slow, prolonged torture that he calmly endures in facing a bullet without firing one in return. No one wields a sword strong enough to bear down the force of satyagraha; on the contrary, a man brandishing a sword of steel has to give ground when confronted by a sword sharper than his. That is the reason why the story of a satyagrahi is read with a feeling of reverence. One who is not strong enough to practise satyagraha is naturally tempted to resort to brute force, which is, in comparison, quite easy to employ. There are some desperate Indians who, in their mad obsession with swaraj for India, seem to imagine that satyagraha is bound to be followed by resort to brute force---that is, that satyagraha is but one step in the effort to key oneself up to the fanaticism of violence. It would not be wrong to compare persons holding such views to the frog in the well who sought to conceive the ocean [as a big, big well]. The truth of the matter is that the man who cannot cultivate to its utmost limit the capacity for endurance required in satyagraha turns in his impatience to brute force and, growing desperate, takes a blind leap in an effort to end his suffering quickly.  Such a man has never been a satyagrahi. He does not want to understand what satyagraha means.
[From Gujarati]
Indian Opinion, 2-4-1910

2009年3月 5日 (木)

人を信頼して

 最後に、私はなぜこの手紙を書いたのでしょうか。あなたの怒りに対して、怒りで答えるためではありません。私の言葉の背後にあります真心を読み取っていただけることを期待して、私はこれを書きました。私は、どんな人であっても、たとえ最も頑なな高官であっても、この人は変えられないと絶望したことはありません。スマッツ将軍も変わりました。和解できました。1914年の彼と私の間で同意が成立した法案(インド人救済法)を紹介するスピーチで、彼が宣言した通りなのです。・・・このような改心の事例は、他にもたくさん私の記憶にあります。このような改心、和解について、自慢しているわけではありません。真実および非暴力それ自体が、私を通して働いたからこそ、生じたことです。すべての命は本質的にひとつであるという信仰、哲学を私は持っています。そして、人間は意識していようが、してなかろうが、現実に一体となる方向に向かって歩んでいます。このように信じるには、生きて働いておられる神に対する生きた信仰が必要です。神は我々の運命の究極の調停者です。神が存在しておられなければ、草の葉一枚もそよぐことはありません。そのように信じておりますので、あなたが変わることはありえないと私が絶望することはないのです。たとえあなたの演説に、そのような希望のかけらもないとしてもです。もし神がお望みであれば、私の言葉に力を与えてくださり、あなたの心に触れることでしょう。私はただ、自分の務めを果たすのみです。結果は神の御手の中にあります。
Sir Reginald Maxellに宛てた手紙  1943年5月21日

 To conclude, why have I written this letter?  Not to answer your anger with anger.  I have written it in the hope that you may read the sincerity behind my own words.  I never despair of converting any person even an official of the hardest type.  Gen. Smuts was converted, or say reconciled, as he declared in his speech introducing the Bill giving relief in the terms of the settlement arrived at between him and me in 1914.・・・I can multiply such recollections.  I claim no credit for these conversions or reconciliations.  They were wholly due to the working of truth and non-violence expressing themselves through me.  I subscribe to the belief or the philosophy that all life in its essence is one, and that the humans are working consciously or unconsciously towards the realization of that identity.  This belief requires a living faith in a living God who is the ultimate arbiter of our fate.  Without Him not a blade of grass moves.  My belief requires me not to despair even of converting you, though your speech warrants no such hope.  If God has willed it, He may put power in some word of mine which will touch your heart.  Mine is but to make the effort.  The result is in God's hands.
Letter to Sir Reginald Maxell  May 21, 1943

2009年3月 3日 (火)

直接行動よりも断食を

次のような投書がありました。
政府あるいは民間の倉庫に貯蔵してある穀物が、カビが生えるままに放置されており、他方で、そのような穀物が全く市場に供給されないために人々が飢えているような事態があるとします。労働者は何をするべきでしょうか。ダラサナの製塩所に踏み込んでいった(注参照)のと同様のことを、人々を救うために行っても構わないでしょうか。もしそれが適わないのであれば、あなたは次の二つのどちらにも賛同されないでしょうから、略奪でもなく、愚かな牛のように死んでいくのでもない別の道とは、どのようなものでしょうか。

A. 略奪それ自体は、どんなよい結果も決してもたらすことはないというのが、共通の大義にならねばなりません。略奪が大義のために行われたと主張されても、良い点というのは、当局の目をはなはだしい不足状態に向けさせたという点にしかありません。私が提案してきたことですが、自発的に断食をするのが最も効果的です。なぜなら、断食それ自体が良いことですし、意思表示としても効果を発揮するからです。断食それ自体が良いことであるというのは、自発的断食を行う人は、意志の強さを示すことになりますし、それによって空腹による苦しみから彼らを救います。そして、世間の良心を呼び覚まします。つられて当局の良心も呼び覚まされるのです。当局にも何らかの良心が存在すると推定しているわけです。
 ダラサナ製塩所に踏み込んだ件については、私の考えるところでは、多少の失敗も犯しましたが、その種の事例としては完璧で、苦痛を勇敢に耐え忍んだという点では英雄にふさわしい闘争でした。しかし、この事例と略奪との違いは、明確に心に留める必要があります。ダラサナ製塩所は、国民の財産であると考えられていました。そこで意図されたことは、力づくで財産を奪うということではありませんでした。インドの大地や海でとれた塩はすべてこの国のものだという権利を主張することが、闘争の目的でした。もしこの踏み込みが成功していたならば、つまり、政府が塩を譲り渡していたなら、この踏み込みや、同様の闘争が関わってきたこの国の受難に対して政府が応えたということになったはずでした。実際、国中で人々が耐えてきた受難の総計が、アーウィン・ガンジー協定といわれるものに結実しました。ですから、投稿者の心の中にある略奪と、ダラサナ製塩所に踏込んだ事例とには、どんな類似点もないことがわかっていただけるでしょう。
June 13, 1946
Harijan, 23-6-1946

(注:ダラサナ製塩所;英国によって塩に高い税金が課せられ、そのために庶民が苦しんでいた。その塩に対する課税を無効にするために、ガンジーらは海岸まで行進して行き(塩の行進)、海岸で塩をすくいとり、自分たちで塩を作ることをはじめた。塩の行進の次にガンジーは、ダラサナ製塩所に踏み込んで、そこに貯蔵してある塩を庶民に譲り渡すように要求する計画を立てた。実行する直前にガンジー本人は逮捕されたが、彼の選び抜かれた弟子たちが整然と製塩所の門に向かって行進した。迎え撃つ警官の棍棒に叩きのめされたが、反撃することなく、次々に倒されても、また別の人々が警官の棍棒に向かって行進していった。この映像は世界中に流され、世界の人々にインドの運動のユニークさを印象付けた。)

A correspondent writes:
Supposing that in a Government or private godown foodgrains are being allowed to rot while people are starving because none are available in the market, what are workers to do? Would it be permissible to resort to something in the nature of your Dharasana salt raid in order to save the people? Otherwise, what alternative is there to either looting or dying like dumb cattle, of both of which you disapprove?

A. It should be common cause that looting in itself can never do any good. Wherever it is claimed to have done so, the good consisted only in drawing the attention of the authority to a crying want. The way of voluntary fasting that I have suggested is the most efficient because it is good in itself and good also as an effective demonstration. It is good in itself because the people who voluntarily fast exhibit strength of will which saves them from the pangs of hunger and wakes up public conscience as also that of the authority, assuming that the latter can have any conscience at all.
     So far as the Dharasana salt raid is concerned, apart from the fact that there were, according to my conception of it, several mistakes made, it was a perfect thing of its kind and a heroic struggle in which the sufferings undergone were bravely borne. But the distinction between it and loot should be clearly borne in mind. The Dharasana Salt Works were conceived to be national property.The intention there was not to seize the property by force. The fight was to assert the right of the nation to the possession of all salt yielded by land or sea in India. If the raid had succeeded, that is to say, if the Government had yielded, they would have done so to the nation's sufferings which the raid and the like involved. And, as a matter of fact, the sum total of the sufferings undergone by the people on a nation-wide scale did result in what is known as the Irwin-Gandhi Pact. Thus it will be seen that between the loot that the correspondent has in mind and the Dharasana raid there is no analogy whatsoever.
June 13, 1946
Harijan, 23-6-1946

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »