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2009年1月 7日 (水)

従軍した理由

  先の大戦(第1次世界大戦)に私が参加したことを取り上げた自叙伝の章が友人、批評家たちをいまだに混乱させているようです。

 私が、戦争に参加するように駆り立てられたのは、確かに複雑に絡み合った動機からです。そのうち2つのことが今でも頭に残っています。個人として私は戦争には反対でしたが、私は非暴力の抵抗によって効果が上げられるだけの地位にもありませんでした。非暴力の抵抗は、何らかの真に無私のサ-ビス、愛情を心から示して初めてできることです。例えば、動物のいけにえを捧げるという野蛮な行為に反対したくても、私が自分の愛情を表す行為、その他の手段によってその人から友情を勝ち得ない限り、私はその人に反対できる立場にはなりえません。私は多くの過ちに対して世の中を批判するだけで何もしない者ではいたくなかったのです。・・・
 もう1つの動機は、大英帝国の政治家としての任務を立派に果たすことでスワラージ(自治)の資格を得ようというものでした。大英帝国が存亡をかけた戦いを行っているときに、その帝国のために働くこと以外に、私がこのような資格を得る方法はありませんでした。私が今書いているのは、1914年当時の私の気持ちだということを理解しておいて下さい。その当時私は、大英帝国のすばらしさを信じており、自由を求めるインドの戦いを心から支援してくれるものと思っていました。もし、その当時私が今のような非暴力の抵抗者であったなら、私は助けることなど絶対にしなかったばかりか、むしろ非暴力に開かれたあらゆる手段を尽くしてその目的を砕こうとしたはずです。

ここにもう1通の手紙があります。
「あなたが戦争に関わった理由は何ですか。何かを得ようとして戦争に加わることは正しいことでしょうか。このことと、行為の果実を目的に行動してはならないというギータの教えとをどう折り合いつけたら良いのかわかりません。」

 ギータから引用された節には2重の意味があります。1つは、行為の背後に利己的な目的があってはならないというもので、自らの利益のためにスワラージ(自治・独立)を得ようとしてはならないということです。2つ目は、行為の果実にとらわれないということは、行為の結果に無関心であったり、それを無視し、その権威を認めないということではありません。とらわれないということは、意図した結果が得られそうにないからといって、行動するのを放棄することでは決してありません。その逆で、意図した結果がいずれ訪れるということを確信する揺るぎない信仰を証明することなのです。
ヤング・インディア 1928年3月15日

  The autobiographical chapter dealing with my participation in the late War continues to puzzle friends and critics.
  No doubt it was a mixed motive that prompted me to participate in the War.  Two things I can recall.  Though as an individual I was opposed to war, I had no status for offering effective non-violent resistance.  Non-violent resistance can only follow some real disinterested service, some heart-expression of love.  For instance, I would have no status to resist a savage offering animal sacrifice until he could recognize in me his friend through some loving act of mine or other means.  I do not sit in judgment upon the world for its many misdeeds.・・・
  The other motive was to qualify for swaraj through the good offices of the statesmen of the Empire. I could not thus qualify myself except through serving the Empire in its life-and-death struggle.  It must be understood that I am writing of my mentality in 1914 when I was a believer in the Empire and its willing ability to help India in her battle for freedom.  Had I been the non-violent rebel that I am today, I should certainly not have helped but through every effort open to non-violence I should have attempted to defeat its purpose.

Here is one more letter:
“What impelled you to participate in the War? Was it right to join the War with the hope of gaining something? I do not know how to reconcile this with the teaching of the Gita which says that we should never act with a view to the fruits of action.”

  The verse referred to from the Gita has a double meaning. One is that there should be no selfish purpose behind our actions. That of gaining swaraj is not a selfish purpose. Secon-dly, to be detached from fruits of actions is not to be ignorant of them, or to disregard or disown them. To be detached is never to abandon action because the contemplated result may not follow. On the contrary, it is proof of immovable faith in the certainty of the contemplated result following in due course.
Young India, 15-3-1928

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