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2008年12月23日 (火)

非暴力で愛する人を守るには

 あなたの心の奥の奥で、ほんの少しでもこの友人が指摘するように、非暴力を単なる外套やもっと大きな暴力への足がかりと考えるような気持ちがあるとすれば、いやそれどころか、非暴力が意味する究極の論理的結末に至る覚悟を持ち、赤ちゃんや子どもを殺すような人のためにも赦しの祈りをささげられるようでなければ、『神の奉仕団』(前の記事『歴史を変えるのは』の訳注参照)の非暴力の誓約に署名することはできません。心を偽って、その誓約に署名しても、あなたと組織の名誉を汚すだけです。そして、それはアフガンの誇りと歓喜をもって呼ぶその人(神の奉仕団のリーダー)を傷つける行為です。
 しかし、邪悪な思いにかられている暴漢によって、無防備な母や姉妹が暴行の危険にさらされている場合はどうするのかという、古典的事例についてお尋ねになりたいことでしょう。当のその暴漢が目的を遂げるのを黙認するというのでしょうか? そのような場合であっても、暴力を使ってはいけないのでしょうか? 私の返事は「ノー」です。あなたは暴漢に懇願するのです。おそらく興奮していて、聞き入れてはくれないでしょう。そこで、狙われている女性とこの男の間に立ちはだかります。かなりの確立であなたは殺されるでしょう。しかし、義務は果たしたことになります。武器も持たず、抵抗もしないあなたを殺すことで、十中八九、襲撃者は怒りをやわらげ、被害者に危害を加えずに立ち去ることになります。しかし、暴君は我々が願ったり、期待するようには行動しないものだと、私に言ってくる人もいます。あなたが抵抗しないのを見て、あなたを柱に縛り付け、被害者を強姦するところをあなたに見させるかもしれません。もしあなたが意志を強く持って、最大限の力を振り絞るなら、それによって自分が死んでしまうか、縄を断ち切るかのどちらかになるでしょう。どちらの場合でも、犯罪者の目を開かせることになります。あなたが武器を持って抵抗したとしても、これ以上のことはできませんし、仮にあなたが負ければ、抵抗せずに死んだ場合よりも立場はもっと悪くなるでしょう。さらに、あなたが落ち着いた勇気を示せば、被害に直面している女性もそれを見習って、辱められるよりもむしろ死を選ぶことだってありえます。
神の奉仕団への語りかけ 1938年10月31日
ハリジャン 1938年11月9日

  If in your heart of hearts there is the slightest inclination to regard your non-violence as a mere cloak or a stepping-stone to greater violence as suggested by this friend, nay, unless you are prepared to carry your non-violence to its ultimate logical conclusion and to pray for forgiveness even for a baby-killer and a child-mur-derer, you cannot sign your Khudai Khidmatgar’s pledge of non-violence.  To sign that pledge with mental reservations would only bring disgrace upon you, your organization and hurt him whom you delight to call the Pride of Afghans.
  But what about the classical instance of the defenceless sister or mother who is threatened with molestation by an evil-minded ruffian, you will ask. Is the ruffian in question to be allowed to work his will?  Would not the use of violence be permissible even in such a case? My reply is ‘no’. You will entreat the ruffian. The odds are that in his intoxication he will not listen. But then you will interpose yourself between the intended victim and him. Very probably you will be killed but you will have done your duty. Ten to one, killing you unarmed and unresisting will assuage the assailant’s passion and he will leave his victim unmolested. But it has been said to me that tyrants do not act as we want or expect them to. Finding you unresisting he may tie you to a post and make you watch his rape of the victim. If you have the will you will so exert yourself that you will break yourself in the attempt or break the bonds. In either case, you will open the eyes of the wrongdoer. Your armed resistance could do no more, while if you were worsted, the position would likely be much worse than if you died unresisting. There is also the chance of the intended victim copying your calm courage and immolating herself rather than allowing herself to be dishonoured.
TALE TO KHUDAI KHIDMATGARS, TANK October 31, 1938
Harijan, 19-11-1938

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