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2008年12月 1日 (月)

非暴力は無気力、無力ではない

 たった今もこの部屋の外に集まってきた大勢の群集に対処しなければなりませんでした。皆さんは説得し、心を込めて話をすることで解散するように促しました。力に訴えようとはしませんでした。ついにうまくいかなかった時も、我々が引き下がり、ドアを閉めてこの部屋に入ることで、落ち着いた状況を確保することにしました。軍隊の訓練では道徳的プレッシャーというものが全くありません。
 さらに一歩話を進めさせてください。外に集まってきている人々はKhadai Khidmatgars(神の奉仕団)(3つ前の記事の訳注参照)のメンバーではありませんが、皆我々の友人です。われわれの話しを聞きたいと切望しています。彼らが騒いでいるのも愛情の表明です。しかし、彼らの他に、また別の人たちがいるかもしれません。我々に対して良い思いを抱いておらず、敵意すら抱いている人々が、別の所にいるかもしれません。武器を携えた組織では、そのような人々に対処するには、彼らを追い払うことしか思い浮かびません。ここで反対者を、あるいは誰であっても、心の中で誰かを敵であると見なすことは、非暴力、すなわち愛の法則から言って、罪となります。報復しようなどとは一切考えず、非暴力の信奉者は、敵対者の心に変化をもたらせてくださいと、神に祈ります。しかし、そのような変化が生じなくても、敵対者が彼になしてくるどのような危害をも甘んじて受ける覚悟があるのです。臆病だから、あるいはなす術がなくて、こうするのではありません。勇敢にも微笑をたたえて、これを行うのです。私は「本物の完全なる非暴力は、石のような堅い心をも溶かす」という古い言い伝えを断固として信じるものです。

 

ガンジーはこの例として、南アフリカ時代、パシュトゥーン人の敵対者であったミール・アラム・カーンがどのように最後には悔い改めて、親しくなったかを説明した。

 もし私が反撃していたなら、このようなことは起こりえませんでした。私のやったことこそ改心の好例と言えます。敵を愛によって変えたいという強い思いがないのであれば、引き下がった方が良いのです。この非暴力の仕事はあなたには向きません。
 「それでは、盗賊団、武装ギャング、か弱き女性を襲う者達についてはどうするのか」と、あなた方はお尋ねになることでしょう。彼らに対してもKhadai Khidmatgars(神の奉仕団)は、非暴力を貫くべきなのかと。私の返事は、断固として「その通り」なのです。罰するのは神の仕事です。神だけが間違うことのない裁判官です。「乏しい判断力しかもたない」人のやることではありません。暴力を放棄することは、不正に直面して無気力や無力を決して意味しません。我々の非暴力が本物で、愛に根ざしたものであるなら、野蛮な力を使用するよりも、不正に対してよりいっそうの効果を発揮しないはずはありません。皆さんが武装ギャングを見つけ出して、彼らのやり方がいかに間違っているかを彼らに示してくださることを、私は大いに期待しています。そうする中で、たとえ死に直面しても、勇敢であって欲しいのです。
ハリジャン 1938年11月19日

   Just now we had to deal with an enormous crowd that had gathered outside this room. You tried to disperse it by persuasion and loving argument, not by using force and, when in the end we failed in our attempt, we withdrew and sought relief from it by getting behind closed doors in this room. Military discipline knows nothing of moral pressure.
  Let me proceed a step further. The people who are crowding outside here are all our friends though they are not Khudai Khidmatgars. They are eager to listen to what we may tell them. Even their indiscipline is a manifestation of their love. But there may be others besides them elsewhere who may not be well disposed towards us, who may even be hostile to us. In armed organizations, the only recognized way of dealing with such persons is to drive them out.  Here, to consider the opponent, or, for the matter of that, anybody, even in thought, as your enemy would, in the parlance of non-violence or love, be called a sin. Far from seeking revenge, a votary of non-vio-lence would pray to God that He might bring about a change of heart of his opponent, and if that does not happen he would be prepared to bear any injury that his opponent might inflict upon him, not in a spirit of cowardice or helplessness, but bravely with a smile upon his face. I believe implicitly in the ancient saying that “non-violence real and complete will melt the stoniest hearts.”

  He illustrated his remarks by describing how Mir Alam Khan, his Pathan assailant in South Africa, had ultimately repented and become friendly.

  This could not have happened if I had retaliated. My action can be fitly described as a process of conversion. Unless you have felt within you this urge to convert your enemy by your love, you had better retrace your steps; this business of non-violence is not for you.
  ‘What about thieves, dacoits and spoilers of defenceless women?’ you will ask. Must a Khudai Khidmatgar maintain his non-violence in regard to them too? My reply is, most decidedly ‘Yes’. Punishment is God’s, Who alone is the infallible Judge. It does not belong to man “with judgment weak”. Renunciation of violence must not mean apathy or helplessness in the face of wrongdoing. If our non-violence is genuine and rooted in love, it ought to provide a more effective remedy against wrongdoing than the use of brute force. I certainly expect you to trace out the dacoits, show them the error of their ways and, in so doing, brave even death.
Harijan, 19-11-1938

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コメント

片山さん

記事、読ませて頂きました。
強者による非暴力。
今日も実践していきたいと思います。

ありがとうございます。

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