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2008年11月 4日 (火)

社会主義と信仰

  社会主義において、真理とアヒンサー(不殺生・非暴力)が活気付く必要があります。神への生きた信仰があって初めてできることです。真理とアヒンサーをただ機械的に支持するだけでは、危機的な瞬間がくると挫けてしまう可能性が高いです。だから、私は、真理は神であると言ってきたのです。
 この神とは、生きた力です。我々の人生は、この力によるのです。その力は私たちの身体に宿っています。しかし、身体ではありません。この偉大な力を否定する人は、尽きることのない精神力が得られる可能性を放棄し、無力な状態にとどまることになります。このような人は、舵のない船のようなもので、波間に漂い、前進することなく消えて行きます。多くの人がこのような状態にあります。このような人の社会主義では、目的地にたどり着けません。大多数については、何をか言わんです。
 これが現状であるなら、どうして神を信じる社会主義者がいないのでしょうか。かりに、神を信じている社会主義者がいるのであれば、どうして何も達成できていないのでしょうか。神を信じる人は多くいます。それなのに、彼らはどうして、社会主義を実現できないでいるのでしょうか。
 これについて、うまい答えは見つかりません。しかしながら、神を信じる社会主義者には、社会主義と彼の信仰との間に接点があろうとは、思いもよらないのかもしれません。同様に、神を信じる人が、社会主義が必要だとは全く思ってこなかったのかもしれません。敬虔な男女がいるにもかかわらず、この世には迷信がはびこってきました。神を信じるヒンズー教で、不可触民の制度が最近まで疑うことのできない勢力を維持してきました。
 神の力とはどのようなものか、そしてこの無尽蔵の力そのものが、絶え間ない探求の対象でした。
 その探求の中で、サティヤーグラハ(真理の宣示:真理に基づいた非暴力抵抗運動)を発見することになります。しかし、サティヤーグラハのあらゆる法則がすでに明確になったと言っているわけではありません。私自身も、すべての法則を知っているとはいえません。しかし、価値ある目的は全てサティヤーグラハを通して達成できるということは、申し上げたいと思います。これは、最高のそして最も大きな可能性を持つ手段です。もっとも有効な武器なのです。社会主義が、これ以外の手段で実現されることはないと私は確信しています。
 サティヤーグラハによって、政治、経済、道徳のあらゆる領域における全ての悪を社会から取り除くことができます。
ニューデリー 1947年7月13日 グジャラート語より
ハリジャン、1947年7月20日

Socialism
Truth and ahimsa must come alive in socialism. This can only be possible when there is a living faith in God. Mere mechanical adherence to truth and ahimsa is likely to break down at the critical moment. Hence have I said that truth is God.
  This God is a living Force. Our life is of that Force. That Force resides in the body, but is not the body. He who denies the existence of that great Force denies to himself access to its inexhaustible power and thus remains impotent. He is like a rudderless ship which, tossed about here and there, perishes without making any headway. Many find themselves in this plight. The socialism of such people does not reach anywhere, what to say of the millions.
  If such be the case, why is there no socialist who believes in God? If there are such socialists why have they not made any progress? Also there have been many believing in God; why is it they have not succeeded in bringing socialism?
  There is no effective answer to this. Nevertheless, it is possible to say that it has perhaps never occurred to a believing socialist that there is any connection between his socialism and his belief in God.  Equally, men of God perhaps never felt any need for socialism.  Superstitions have flourished in the world in spite of godly men and women. In Hinduism which believes in God, untouchability has, till of late, held undoubted sway.
  The nature of this Divine Force and its inexhaustible power have been matters of incessant quest.
  My claim is that is the pursuit of that quest lies the discovery of satyagraha. It is not, however, claimed that all the laws of satyagraha have already been formulated. I cannot say either that I myself know all the laws. This I do assert that every worthy object can be achieved through satyagraha. It is the highest and the most potent means, the most effective weapon. I am convinced that socialism will not be reached by any other means.
  Satyagraha can rid society of all evils, political, economic and moral.
NEW DELHI, July 13, 1947
[From Gujarati]
Harijanbandhu, 20-7-1947

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