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2008年11月12日 (水)

Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)

訳注:Khadai Khidmatgars(神の奉仕団):北西辺境州(アフガニスタンとインドのカシミール州に挟まれたパキスタン北部の州)のパシュトゥーン人によって組織され、アブドゥル・ガファー・カーン(Abudul Ghaffa Khan)、通称バッドシャー・カーン(Badshah Khan)が率いた。英国による植民地下の氏族間の争いが絶えない地域で、ガンジーが提唱した非暴力による社会改革を目指していた。ヒンズー、シーク教徒とも協力し合っていた。第二次世界大戦に英国がインドに相談なくインドも含めた参戦を決めたことに抗議して、会議派の州知事が辞職すると、Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)に対抗していたムスリム連盟はその隙を突いて勢力を拡大した。英国が、イスラム教徒とヒンズー教徒の対立をあおり、カーンが息子を後継者にしようとしたことからKhadai Khidmatgars(神の奉仕団)は弱体化し、インドと分離する形でパキスタンが建国されると、非合法化され、消滅していった。
(参考URL http://en.wikipedia.org/wiki/Khudai_Khidmatgar)

 Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)が何であろうと、最終的にどのようなものになろうとも、彼らがバドシャー・カーンと愛称で呼ぶ、彼らのリーダーが何者であるかについては、疑う余地がありません。彼は間違いなく、神の僕です。彼は神が生きておられることを信じています。神が望まれてこそ、彼の運動が発展することを知っています。全身全霊を自らの使命に奉げていますので、何が起ころうと動じません。
 ・・・
 彼はパシュトゥーン人に、今よりも勇敢になってもらいたいのです。そして、本物の知識を獲得してもらいたいと思っています。非暴力の手段によらなければ、これはできないと彼は考えています。
 ・・・
 彼はあらゆる賞賛を獲得してきましたが、Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)が、建設的非暴力のテストに合格するかどうかは、まだこれからにかかっています。
 ・・・
 毎回の集会で、警告してきたことですが、非暴力によって、これまで精通してきた力よりもはるかに優れた力を持つことになるのだと、感じることがなければ、彼らは非暴力と関係がなく、以前持っていた武器に戻ってしまいます。かつてそんなにも勇敢だったKhadai Khidmatgars(神の奉仕団)が、カーン・サヘブの影響を受けて臆病になったと言われることがあってはなりません。彼らが勇敢であるのは、彼らが優れた狙撃兵であるからではなく、死をものともせず、弾丸に向かって胸をはだける用意があるからです。この勇気を損なうことなく、機会があるごとに示す準備ができていなければなりません。そして、真に勇敢な人には、そのような機会は、求めなくてもたびたびおとずれるものです。
 この非暴力は、単に受動的なものではありません。神が人に授けた最大の力です。実際、非暴力を自分のものにしていることによって、人は野獣と区別されるのです。この力はあらゆる人に内在しています。しかしほとんどの場合、それは眠っています。「非暴力」という言葉も、アヒンサー(不殺生)を表現するふさわしい言葉ではなさそうです。そして、アヒンサーそれ自体も、それが意味する全てを伝えるには、不完全です。もっと良い言葉は、愛とか善意でありましょう。暴力に対しては善意で対抗すると良いでしょう。善意というのは、それに対抗する悪意というものが存在する時に始めてその力を発揮します。善に対して善で報いるのは、同額の交換に過ぎません。1ルピーに対して1ルピーを払うのは、本質的に何も生みません。1アンナ(=1/16ルピー)に対して1ルピーで返せば、質的なものが生じます。同様に善意の人は、悪意のある人に対するときにだけ、その存在を明らかにします。
 この非暴力、あるいは善意は、英国人に対してだけ行使されるものではなく、我々の仲間内でも、十分に発揮されねばなりません。英国人に対する非暴力は、やむを得ずやっていることかも知れませんし、臆病や単なる弱さを覆うものになりがちです。よくあることですが、それは単なる方便に過ぎません。しかし、暴力か非暴力かを対等に選ぶ時、それは方便でなくなります。そのような出来事は、我々のうちで家族関係、社会・政治上の関係において生じてきます。同じ信仰を持つが対抗しあっている分派間においても、信仰が異なる人々の間においても、同様です。自分たちの隣人や同類の人々に対して不寛容であれば、英国人に対して真に寛容になることはできません。ですから、我々の善意というものが、どの程度でも存在するなら、それがほぼ毎日試されているのです。そしてもし我々が、それを活発に活用するなら、善意を用いることに慣れ親しみ、より広い分野に応用でき、ついにはそれがすっかり板につくことでしょう。
 カーン・サヘブが彼らにつけた名前それ自体が、「彼らは奉仕する集団であり、人間性を傷つける集団ではない」ということを示しています。神は、人間の奉仕を求めていませんし、必要としてもいません。神自らが創造したものに神は仕えています。見返りに奉仕を求めることもしません。これによって、他の多くのことと同じように、神がユニークな存在であることがわかります。ですから「神の奉仕団」は、神が造られたものに対して、仕えることによって、その存在が知られるべきです。
 それゆえKhadai Khidmatgars(神の奉仕団)の非暴力は、日々の行動によって示されるのです。彼らが思いにおいて、言葉において、そして行動において非暴力を実践して初めて、非暴力をそのようなものとして披露できるわけです。
 日々の行いで暴力に頼っている人は、軍事訓練を受ける必要があります。であればなおのこと、神の奉仕者は、確かな訓練を受ける必要があるのです。このことは1920年の国民会議の特別決議のまさに土台をなしています。この決議は時折拡大されてきました。しかし、私の知っているかぎり、弱められたことはありません。善意を活発に行使することは、宗教観の和解、ヒンズー教から不可触制度を取り除くこと、家庭で手仕事によってカディー(手紡ぎ・手織り衣類)を作り、それを用いることなどにおいて試されてきたのです。カディーこそ、大衆の一体感を示す確かなシンボルです。さらに、身体に有害な飲み物や薬物を禁止することも含まれます。これら4つの取り組みは、浄化のプロセスと呼ばれ、この国が本質的な自由を獲得する確かな方法です。会議派とこの国によって、このプログラムは実行されてきましたが、いやいやながらでありました。これによって、非暴力に対する生きた信仰がないか、日々実践するために考えられた方法を信じていないか、その両方であることが暴露されました。しかし、Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)は、非暴力に対する生きた信仰をもっていると期待もされ、信じられてもきました。ですから、会議派が提唱する建設的自己浄化のプログラムの全てを実行するものと思われています。私はこれに村の公衆衛生、基本的医療を付け加えてきました。Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)はその成し遂げる仕事によって知られるようになるでしょう。メンバーが村にいるかぎり、村が清潔にならなかったり、簡単な病気に関して村の人々に手を貸さないということはありえません。病院などは金持ちのおもちゃです。そして大部分は、都市に住む人々だけが利用できるものです。確かに、あらゆる地域に医務室を設置する努力がなされていますが、あまりにも高くついています。一方、Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)は、少しばかり実践的な訓練を積めば、村で起こる病気の大部分について、手当てを施すこともたやすくできるでしょう。
 Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)のリーダーには、市民的不服従は、非暴力の最終手段であって、決して非暴力の始めにそれがあるのではないということを申し上げました。しかし私は、1918年にこの国で間違った順番で運動を始めてしまいました。私は、緊急性ということにとらわれてしまっていたのです。非暴力のエキスパートであると自認する私が、いつ、どんなふうに引き返すかを知っていたからというだけで、この国が損害を被ることにはなりません。パトナーで市民的不服従を停止したのも、作戦の一部でした。1920年の建設的プログラムを、私は当時と同じように今でも大いに信頼しています。このプログラムをきちんと実行することをしないで、プルーナ・スワラージ(完全自治)という観点から、市民的不服従キャンペーンを指導することはできませんでした。自分たちで作った法律であろうとなかろうと、法律に自発的に従う義務があることを知っていて、実際に従っている人にだけ、市民的不服従を実行する権利があるのです。法律に違反した場合の結果を恐れるから従うのではありません。ただ機械的にではなく、従う義務があるから心から従うのです。このような前提条件を満たさなければ、市民的不服従も、市民的というのが名ばかりになってしまいますし、それは決して強者の闘いではなく、弱者のそれになってしまいます。善意、つまり非暴力でなくなるのです。Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)は、他の州の何千人もの人々と同様に、市民的不服従の闘争において辛酸をなめることで、彼らの勇気を確かに示してくれました。しかし、心に善意があったという明白な証拠になるわけではありません。ただ表面的な非暴力に過ぎなかったのであれば、パシュトゥーン人地域の状況は悪化するでしょう。弱虫であってはなりません。
 ・・・・・
 私の指導を受けて、パシュトゥーン人は以前よりも勇敢になったという褒め言葉を嬉しく思いました。私に影響されて、臆病になった人の例を私は知りません。しかし、友人のおべっかは命取りになります。もし、最後の決戦でKhadai Khidmatgars(神の奉仕団)が、自ら告白する信条を裏切るなら、明らかに非暴力が彼らの心にはなかったとなります。明らかになる時はやがてやってきます。もし彼らが、熱心に忠実に建設的プログラムを遂行するなら、彼らに批判的な人が語る予言が的中する恐れは全くなく、試練の時にあっても、最も勇敢な者であることが証明されるでしょう。
ハリジャン 1938年11月19日

KHUDAI KHIDMATGARS
 (cf. Khadai Khidmatgars:http://en.wikipedia.org/wiki/Khudai_Khidmatgar)

  Whatever the Khudai Khidmatgars may be or may ultimately turn out to be, there can be no doubt about what their leader whom they delight to call Badshah Khan is. He is unquestionably a man of God. He believes in His living presence and knows that his movement will prosper only if God wills it. Having put his whole soul into his cause, he remains indifferent as to what happens. ... He wants the Pathan to become braver than he is and wants him to add true knowledge to his bravery. This he thinks can only be achieved through non-violence.
....
  Whether, in spite of all the veneration he commands, the Khudai Khidmatgars will pass the test in constructive non-violence remains to be seen.
....
  At every meeting I repeated the warning that unless they felt that in non-violence they had come into possession of a force infinitely superior to the one they had and in the use of which they were adepts, they should have nothing to do with non-violence and resume the arms they possessed before. It must never be said of Khudai Khidmatgars that once so brave, they had become or been made cowards under Khan Saheb’s influence. Their bravery consisted not in being good marksmen but in defying death and being ever ready to bare their breasts to the bullets. This bravery they had to keep intact and be ready to show whenever occasion demanded. And for the truly brave such occasions occurred often enough without seeking.
  This non-violence was not a mere passive quality. It was the mightiest force God had endowed man with. Indeed, possession of non-violence distinguished man from the brute creation. It was inherent in every human being, but in most it lay dormant. Perhaps the word ‘non-violence’ was an inadequate rendering of ahimsa which itself was an incomplete connotation of all it was used for conveying. A better rendering would be love or goodwill. Violence was to be met by goodwill. And goodwill came into play only when there was ill will matched against it. To be good to the good is an exchange at par. A rupee against a rupee gives no index to its quality. It does when it is matched against an anna. Similarly a man of good will is known only when he matches himself against one of ill will.
  This non-violence or goodwill was to be exercised not only against Englishmen but it must have full play even among ourselves. Non-violence against Englishmen may be a virtue of necessity, and may easily be a cover for cowardice or simple weakness. It may be, as it often is, a mere expedience. But it could not be an expedience when we have an equal choice between violence and non-violence. Such
instances occur in domestic relations, social and political relations among ourselves, not only between rival sects of the same faith but persons belonging to different faiths. We cannot be truly tolerant towards Englishmen if we are intolerant towards our neighbours and equals. Hence our goodwill, if we had it in any degree, would be tested almost every day. And if we actively exercised it, we would become habituated to its use in wider fields till at last it became second nature with us.
  The very name Khan Saheb had adopted for them showed that they were to serve, not to injure, humanity. For God took and needed no personal service. He served His creatures without demanding any service for Himself in return. He was unique in this as in many other things. Therefore servants of God were to be known by the service they rendered to His creatures.
  Hence the non-violence of Khudai Khidmatgars had to show itself in their daily actions. It could be so exhibited only if they were non-violent in thought, word and deed.
  And even as a person who relied upon the use of force in his daily dealings would have to undergo a military training, so will a servant of God have to go through a definite training. This was provided for in the very foundation resolution of the special Congress of 1920. It was broadened from time to time. It was never toned down to my knowledge. The exercise of active goodwill was to be tested through communal unity, shedding of untouchability by Hindus, the home and hand-manufacture and use of khadi---a sure symbol of oneness with the millions---and prohibition of intoxicating drinks and drugs. This fourfold programme was called a process of purification and a sure method of gaining organic freedom for the country. This programme was followed but half-heartedly by Congressmen and the country, thus betraying a lack of living faith in non-violence, or faith in the method devised for its daily practice, or both. But Khudai Khidmatgars were expected and believed to have a living faith in non-violence. Therefore they would be expected to follow out the whole of the constructive self-purification programme of the Congress.  I have added to it village sanitation, hygiene and simple medical relief in the villages. A Khudai Khidmatgar will be known by his works. He cannot be in a village without his making it cleaner and affording help to the villagers in their simple ailments. Hospitals and the like are toys of the rich and are available for the most part only to the city-dwellers. Efforts are no doubt being made to cover the land with dispensaries. But the cost is prohibitive. Whereas the Khudai Khidmatgars could, with a little but substantial training, easily give relief in the majority of cases of illnesses that occurred in the villages.
  I told the leaders of the Khudai Khidmatgars that civil disobe-dience was the end of non-violence, by no means its beginning. Yet I started in this country at the wrong end in 1918. I was overwhelmed by necessity. The country had not come to harm only because I, claiming to be an expert in non-violent technique, knew when and how to retrace our steps. Suspension of civil disobedience at Patna was part of the technique. I have just as much faith in the constructive programme of 1920 as I had then. I could not lead a campaign of civil disobedience in terms of purna swaraj without due fulfilment of the programme. The right to civil disobedience accrues only to those who know and practise the duty of voluntary obedience to laws whether made by them or others. Obedience should come not from fear of the consequences of the breach but because it is the duty to obey with all our heart and not merely mechanically. Without the fulfilment of this preliminary condition, civil disobedience is civil only in name and never of the strong but of the weak. It is not charged with goodwill, i. e., non-violence. Khudai Khidmatgars had shown in unmistakable terms their bravery in suffering during the
civil disobedience days as did many thousands in the other provinces.  But it was not proof positive of goodwill at heart. And it would be a deterioration in the Pathan if he was non-violent only in appearance. For he must not be guilty of weakness.
....
  I like the compliment that the Pathans would be braver than before under my teaching. I do not know an instance of a person becoming a coward under my influence.  But the friend’s deduction was deadly. If in the last heat the Khudai Khidmatgars prove untrue to the creed they profess to believe, non-violence was certainly not in their hearts. The proof will soon come. If they zealously and faithfully follow the constructive pro-gramme, there is no danger of their fulfilling the prognostication of the critic. But they will be found among the bravest of men when the test comes.
ON THE TRAIN BETWEEN DELHI AND WARDHA,
November 11, 1938
Harijan, 19-11-1938

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