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2008年11月

2008年11月28日 (金)

神聖なる目的

正当な手段でできるだけ稼いだらよい。そして、神聖なる目的のためにそれを使いなさい。自分自身の快適や贅沢のためではなく。(ハリジャン 1942年3月8日)

Earn what you can through rightful means and spend it on sacred purposes --- not on your comforts or luxuries.  Harijan, 8-3-1942

2008年11月14日 (金)

蒋介石への手紙

セワグラム 1942年6月14日

総裁殿
 カルカッタで、あなたとあなたの素晴らしい奥様にお会いして、親しく過ごした5時間を、私は決して忘れないでしょう。
 ・・・・
 我らの偉大な2つの国が互いにより近づき、互いの利益のために協力できることを私は強く希望しています。インドから撤退するように私は英国に要求していますが、それは、どんな形であれ、日本の侵略に対抗するインドの防衛を弱体化させるものではないということは、申し上げておきます。ですから、貴殿の闘いをまごつかせるものでもありません。インドはどんな侵略者、略奪者に対しても絶対に屈服しませんし、抵抗しなければなりません。貴国の自由を犠牲にして、自国の自由を買うような罪を犯すことは決してしません。このようなやり方で、インドは自由になれません。私にはそれが明白でしたので、そのような考えが頭に浮かんだことはありません。インドであろうと、中国であろうと日本の支配下に置かれれば、もう一方の国も等しく害をこうむりますし、世界平和にとっても有害です。ですから、そのような支配は食い止めねばなりません。これについて、私はインドに、本来の正当な役割を果たしてもらいたいと願っています。
 インドが囚われの身にある限り、これをすることはできないと私は感じています。マレー半島、シンガポール、およびビルマからの撤退をインドはなすすべもなく見守るしかありませんでした。これらの悲劇的な事例から教訓を学ばねばなりません。これらの不運な国々に起こったことが繰り返されないように、できるかぎりのことをやらねばなりません。しかし、我々が自由にならないかぎり、こういう事態を防ごうとしても、なす術がありません。そして、同様のことが再び起こり、インドや中国が壊滅的な打撃を受けないとも限りません。このような悲劇が繰り返されることを私は望みません。
 支援を申し出ても、英国政府によって繰り返し拒絶されてきました。最近も、クリップス使節団が失敗に終わったことで、深い亀裂が残され傷が癒えていません。そのような苦悩を経て、英国の政権が今すぐインドから出て行くことを要求する叫びをあげています。そうすれば、インドも自らのことは自分たちで対処し、中国を最大限に支援することができます。
 私は非暴力を信頼していると、あなたに申し上げました。国が団結して行えば、非暴力の手法が効果を発揮すると私は確信しています。この確信は、これまでになく確かなものになっています。しかし、今日のインドは国をあげてそのように確信しているわけでも、信頼しているわけでもないことを私は知っています。自由インドの政府は、国を構成する様々な人たちによって組織されるでしょう。
 今、インド全体が無力感を抱き、いらだっています。インド国民軍は主として経済的な事情で入隊した人によって編成されています。闘いの大義に特別な感情をもっているわけではありません。ですから、断じて国民軍ではないのです。インドや中国のため、大義のために闘う我々は、武力を用いる場合でも、非暴力の場合でも、外国の支配下にいる限り、望む役割を果たすことができません。さらにいえば、自由であってこそ、インドは自国のためだけでなく、中国のためにも、世界平和のためにも、決定的に重要な役割を果たせると、我々は確信しています。このように手も足も出せない状態にとどまり、効果的な行動の可能性が広がっているというのに、出来事に圧倒されるままでいるのは、適切なことでも勇ましいことでもないと、私同様に多くに人々が感じていいます。ですから、あらゆる効果的な行動を起こして、独立を確保すべきだと感じるのです。自由のための行動がそんなにも必要とされているのです。英国政権に対して、英国とインドの不自然な関係をすぐに終わらせるように私が主張していますのも、こういう理由があるからです。
 我々がこのような努力をしないかぎり、インド国民の感情が、間違った有害な方向に流れてしまう非常に重大な危険が存在します。ただ単にインドでの英国の権威を弱め、追い出したいがために、ひそかに日本に共感する気持ちが増大していく可能性が大いにあります。この気持ちが、自分たちの自由を勝ち取るために外部の力など全く期待しなくても良いとする確固たる自信にとって代わるかもしれません。我々は、自分自身を頼りにすることを学ばねばなりません。そして、自らを救う力を養っていかねばなりません。自分自身を束縛から自由にする努力を断固としてやっていくことで、初めてできます。世界の自由な国々の中で、我々が本来持つべき確かな位置を占めるためにも、自由というのが今必要なことになっているのです。
 ・・・・
 インドでの新しい運動の創設者として、ほとんど言う必要もないことですが、私は性急にはことを進めません。私が勧める行動はどれも、中国に損害を与えたり、日本がインドや中国を侵略することを奨励したりすることがないように、熟考した上で行われます。私にとっては当然であり、インドや中国の防衛を強化するに違いない提案に対して、世界の世論の支持を得ようと、私は努力しています。私はまた、インド国内の世論も養い、導こうとしていますし、仲間とも協議しています。言うまでもありませんが、私が関わるであろう英国政府に対する運動はすべて、本質的に非暴力のものとなります。英国当局との衝突を避けるために、全力を尽くしています。しかし、今すぐに手に入れねばならないものとなってきている自由のために衝突が避けられないのであれば、どんなに大きな危険も覚悟しています。
 日本の攻撃および侵略に対抗する貴国の戦争も丸5年を迎えようとしています。中国にあらゆる惨劇と悲嘆をもたらしてきました。中国の人々のことを思う時、私は心から悲しみをともにしています。国の自由のために勇敢に戦っておられ、限りない犠牲を捧げておられること、強敵を向こうに回し高潔に闘っておられることに敬意を覚えます。このような勇気、犠牲が無駄になることは決してないと、私は確信しています。必ず実を結ぶに違いありません。貴殿および貴殿の奥様、偉大なる中国の人民に対して、私は皆様の取り組みが成功することを心からお祈り申し上げます。自由の国になったインドと中国が、ともに親交と友好関係を深め協力して、自分たちのため、アジアのため、世界のために協力する日が来ることを願っています。
敬具
M. K. ガンジー
Non-violence in Peace and War, Vol. I, Also C.W. 10367. Courtesy: India
Office Library, London. Also The Transfer of Power, Vol. II, pp. 346-8

30. LETTER TO CHIANG KAI-SHEK  SEVAGRAM, June 14, 1942
DEAR GENERALISSIMO,
I can never forget the five hours’ close contact I had with you and your noble wife in Calcutta.
....
  My earnest desire that our two great countries should come closer to one another and co-operate to their mutual advantage, I am anxious to explain to you that my appeal to the British power to withdraw from India is not meant in any shape or form to weaken India’s defence against the Japanese or embarrass you in your struggle. India must not submit to any aggressor or invader and must resist him. I would not be guilty of purchasing the freedom of my country at the cost of your country's freedom. That problem does not arise before me as I am clear thatIndia cannot gain her freedom in this way, and a Japanese domination of either India or China would be equally injurious to the other country and to world peace. That domination must therefore be prevented and I should like India to play her natural and rightful part in this.
  I feel India cannot do so while she is in bondage. India has been a helpless witness of the withdrawals from Malaya, Singapore and Burma. We must learn the lesson from these tragic events and prevent by all means at our disposal a repetition of what befell these unfortunate countries. But unless we are free we can do nothing to prevent it, and the same process might well occur again, crippling
India and China disastrously. I do not want a repetition of this tragic tale of woe.
  Our proferred help has repeatedly been rejected by the British Government and the recent failure of the Cripps Mission has left a deep wound which is still running. Out of that anguish has come the cry for immediate withdrawal of British power so that India can look after herself and help China to the best of her ability.
  I have told you of my faith in non-violence and of my belief in the effectiveness of this method if the whole nation could turn to it.  That faith in it is as firm as ever. But I realize that India today as a whole has not that faith and belief, and the Government in free India would be formed from the various elements composing the nation.
  Today the whole of India is impotent and feels frustrated. The Indian Army consists largely of people who have joined up because of economic pressure. They have no feeling of a cause to fight for, and in no sense are they a national army. Those of us who would fight for a cause, for India and China, with armed forces or with non-violence, cannot under the foreign heel, function as they want to.  And yet our people know for certain that India free can play even a decisive part not only on her own behalf, but also on behalf of China and world peace. Many like me feel that it is not proper or manly to remain in this helpless state and allow events to overwhelm us when a way to effective action can be opened to us. They feel, therefore, that every possible effort should be made to ensure independence and that freedom of action which is so urgently needed. This is the origin of my appeal to the British power to end immediately the unnatural connection between Britain and India.
  Unless we make the effort there is a grave danger of public feeling in India going into wrong and harmful channels. There is every likelihood of subterranean sympathy for Japan growing simply in order to weaken and oust British authority in India. This feeling may take the place of robust confidence in our ability never to look to outsiders for help in winning our freedom. We have to learn
self-reliance and develop the strength to work out our own salvation.  This is only possible if we make a determined effort to free ourselves from bondage. That freedom has become a present necessity to enable us to take our due place among the free nations of the world.
....
  I need hardly give you my assurance that, as the author of the new move in India, I shall take no hasty action. And whatever action I may recommend will be governed by the consideration that it should not injure China, or encourage Japanese aggression in India or China.  I am trying to enlist world opinion in favour of a proposition which to me appears self-proved and which must lead to the strengthening of India’s and China’s defence. I am also educating public opinion in India and conferring with my colleagues. Needless to say, any movement against the British Government with which I may be connected will be essentially non-violent. I am straining every nerve to avoid a conflict with British authority. But if in the vindication of the freedom which has become an immediate desideratum, this becomes inevitable, I shall not hesitate to run any risk however great.
  Very soon you will have completed five years of war against Japanese aggression and invasion and all the sorrow and misery that these have brought to China. My heart goes out to the people of China in deep sympathy and in admiration for their heroic struggle and endless sacrifices in the cause of their country’s freedom and integrity against tremendous odds. I am convinced that this heroism and sacrifice cannot be in vain; they must bear fruit. To you, to Madame Chiang and to the great people of China, I send my earnest and sincere wishes for your success. I look forward to the day when a free India and a free China will co-operate together in friendship and brotherhood for their own good and for the good of Asia and the world.
Yours sincerely,
M. K. GANDHI
Non-violence in Peace and War, Vol. I, Also C.W. 10367. Courtesy: India
Office Library, London. Also The Transfer of Power, Vol. II, pp. 346-8

2008年11月12日 (水)

Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)

訳注:Khadai Khidmatgars(神の奉仕団):北西辺境州(アフガニスタンとインドのカシミール州に挟まれたパキスタン北部の州)のパシュトゥーン人によって組織され、アブドゥル・ガファー・カーン(Abudul Ghaffa Khan)、通称バッドシャー・カーン(Badshah Khan)が率いた。英国による植民地下の氏族間の争いが絶えない地域で、ガンジーが提唱した非暴力による社会改革を目指していた。ヒンズー、シーク教徒とも協力し合っていた。第二次世界大戦に英国がインドに相談なくインドも含めた参戦を決めたことに抗議して、会議派の州知事が辞職すると、Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)に対抗していたムスリム連盟はその隙を突いて勢力を拡大した。英国が、イスラム教徒とヒンズー教徒の対立をあおり、カーンが息子を後継者にしようとしたことからKhadai Khidmatgars(神の奉仕団)は弱体化し、インドと分離する形でパキスタンが建国されると、非合法化され、消滅していった。
(参考URL http://en.wikipedia.org/wiki/Khudai_Khidmatgar)

 Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)が何であろうと、最終的にどのようなものになろうとも、彼らがバドシャー・カーンと愛称で呼ぶ、彼らのリーダーが何者であるかについては、疑う余地がありません。彼は間違いなく、神の僕です。彼は神が生きておられることを信じています。神が望まれてこそ、彼の運動が発展することを知っています。全身全霊を自らの使命に奉げていますので、何が起ころうと動じません。
 ・・・
 彼はパシュトゥーン人に、今よりも勇敢になってもらいたいのです。そして、本物の知識を獲得してもらいたいと思っています。非暴力の手段によらなければ、これはできないと彼は考えています。
 ・・・
 彼はあらゆる賞賛を獲得してきましたが、Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)が、建設的非暴力のテストに合格するかどうかは、まだこれからにかかっています。
 ・・・
 毎回の集会で、警告してきたことですが、非暴力によって、これまで精通してきた力よりもはるかに優れた力を持つことになるのだと、感じることがなければ、彼らは非暴力と関係がなく、以前持っていた武器に戻ってしまいます。かつてそんなにも勇敢だったKhadai Khidmatgars(神の奉仕団)が、カーン・サヘブの影響を受けて臆病になったと言われることがあってはなりません。彼らが勇敢であるのは、彼らが優れた狙撃兵であるからではなく、死をものともせず、弾丸に向かって胸をはだける用意があるからです。この勇気を損なうことなく、機会があるごとに示す準備ができていなければなりません。そして、真に勇敢な人には、そのような機会は、求めなくてもたびたびおとずれるものです。
 この非暴力は、単に受動的なものではありません。神が人に授けた最大の力です。実際、非暴力を自分のものにしていることによって、人は野獣と区別されるのです。この力はあらゆる人に内在しています。しかしほとんどの場合、それは眠っています。「非暴力」という言葉も、アヒンサー(不殺生)を表現するふさわしい言葉ではなさそうです。そして、アヒンサーそれ自体も、それが意味する全てを伝えるには、不完全です。もっと良い言葉は、愛とか善意でありましょう。暴力に対しては善意で対抗すると良いでしょう。善意というのは、それに対抗する悪意というものが存在する時に始めてその力を発揮します。善に対して善で報いるのは、同額の交換に過ぎません。1ルピーに対して1ルピーを払うのは、本質的に何も生みません。1アンナ(=1/16ルピー)に対して1ルピーで返せば、質的なものが生じます。同様に善意の人は、悪意のある人に対するときにだけ、その存在を明らかにします。
 この非暴力、あるいは善意は、英国人に対してだけ行使されるものではなく、我々の仲間内でも、十分に発揮されねばなりません。英国人に対する非暴力は、やむを得ずやっていることかも知れませんし、臆病や単なる弱さを覆うものになりがちです。よくあることですが、それは単なる方便に過ぎません。しかし、暴力か非暴力かを対等に選ぶ時、それは方便でなくなります。そのような出来事は、我々のうちで家族関係、社会・政治上の関係において生じてきます。同じ信仰を持つが対抗しあっている分派間においても、信仰が異なる人々の間においても、同様です。自分たちの隣人や同類の人々に対して不寛容であれば、英国人に対して真に寛容になることはできません。ですから、我々の善意というものが、どの程度でも存在するなら、それがほぼ毎日試されているのです。そしてもし我々が、それを活発に活用するなら、善意を用いることに慣れ親しみ、より広い分野に応用でき、ついにはそれがすっかり板につくことでしょう。
 カーン・サヘブが彼らにつけた名前それ自体が、「彼らは奉仕する集団であり、人間性を傷つける集団ではない」ということを示しています。神は、人間の奉仕を求めていませんし、必要としてもいません。神自らが創造したものに神は仕えています。見返りに奉仕を求めることもしません。これによって、他の多くのことと同じように、神がユニークな存在であることがわかります。ですから「神の奉仕団」は、神が造られたものに対して、仕えることによって、その存在が知られるべきです。
 それゆえKhadai Khidmatgars(神の奉仕団)の非暴力は、日々の行動によって示されるのです。彼らが思いにおいて、言葉において、そして行動において非暴力を実践して初めて、非暴力をそのようなものとして披露できるわけです。
 日々の行いで暴力に頼っている人は、軍事訓練を受ける必要があります。であればなおのこと、神の奉仕者は、確かな訓練を受ける必要があるのです。このことは1920年の国民会議の特別決議のまさに土台をなしています。この決議は時折拡大されてきました。しかし、私の知っているかぎり、弱められたことはありません。善意を活発に行使することは、宗教観の和解、ヒンズー教から不可触制度を取り除くこと、家庭で手仕事によってカディー(手紡ぎ・手織り衣類)を作り、それを用いることなどにおいて試されてきたのです。カディーこそ、大衆の一体感を示す確かなシンボルです。さらに、身体に有害な飲み物や薬物を禁止することも含まれます。これら4つの取り組みは、浄化のプロセスと呼ばれ、この国が本質的な自由を獲得する確かな方法です。会議派とこの国によって、このプログラムは実行されてきましたが、いやいやながらでありました。これによって、非暴力に対する生きた信仰がないか、日々実践するために考えられた方法を信じていないか、その両方であることが暴露されました。しかし、Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)は、非暴力に対する生きた信仰をもっていると期待もされ、信じられてもきました。ですから、会議派が提唱する建設的自己浄化のプログラムの全てを実行するものと思われています。私はこれに村の公衆衛生、基本的医療を付け加えてきました。Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)はその成し遂げる仕事によって知られるようになるでしょう。メンバーが村にいるかぎり、村が清潔にならなかったり、簡単な病気に関して村の人々に手を貸さないということはありえません。病院などは金持ちのおもちゃです。そして大部分は、都市に住む人々だけが利用できるものです。確かに、あらゆる地域に医務室を設置する努力がなされていますが、あまりにも高くついています。一方、Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)は、少しばかり実践的な訓練を積めば、村で起こる病気の大部分について、手当てを施すこともたやすくできるでしょう。
 Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)のリーダーには、市民的不服従は、非暴力の最終手段であって、決して非暴力の始めにそれがあるのではないということを申し上げました。しかし私は、1918年にこの国で間違った順番で運動を始めてしまいました。私は、緊急性ということにとらわれてしまっていたのです。非暴力のエキスパートであると自認する私が、いつ、どんなふうに引き返すかを知っていたからというだけで、この国が損害を被ることにはなりません。パトナーで市民的不服従を停止したのも、作戦の一部でした。1920年の建設的プログラムを、私は当時と同じように今でも大いに信頼しています。このプログラムをきちんと実行することをしないで、プルーナ・スワラージ(完全自治)という観点から、市民的不服従キャンペーンを指導することはできませんでした。自分たちで作った法律であろうとなかろうと、法律に自発的に従う義務があることを知っていて、実際に従っている人にだけ、市民的不服従を実行する権利があるのです。法律に違反した場合の結果を恐れるから従うのではありません。ただ機械的にではなく、従う義務があるから心から従うのです。このような前提条件を満たさなければ、市民的不服従も、市民的というのが名ばかりになってしまいますし、それは決して強者の闘いではなく、弱者のそれになってしまいます。善意、つまり非暴力でなくなるのです。Khadai Khidmatgars(神の奉仕団)は、他の州の何千人もの人々と同様に、市民的不服従の闘争において辛酸をなめることで、彼らの勇気を確かに示してくれました。しかし、心に善意があったという明白な証拠になるわけではありません。ただ表面的な非暴力に過ぎなかったのであれば、パシュトゥーン人地域の状況は悪化するでしょう。弱虫であってはなりません。
 ・・・・・
 私の指導を受けて、パシュトゥーン人は以前よりも勇敢になったという褒め言葉を嬉しく思いました。私に影響されて、臆病になった人の例を私は知りません。しかし、友人のおべっかは命取りになります。もし、最後の決戦でKhadai Khidmatgars(神の奉仕団)が、自ら告白する信条を裏切るなら、明らかに非暴力が彼らの心にはなかったとなります。明らかになる時はやがてやってきます。もし彼らが、熱心に忠実に建設的プログラムを遂行するなら、彼らに批判的な人が語る予言が的中する恐れは全くなく、試練の時にあっても、最も勇敢な者であることが証明されるでしょう。
ハリジャン 1938年11月19日

KHUDAI KHIDMATGARS
 (cf. Khadai Khidmatgars:http://en.wikipedia.org/wiki/Khudai_Khidmatgar)

  Whatever the Khudai Khidmatgars may be or may ultimately turn out to be, there can be no doubt about what their leader whom they delight to call Badshah Khan is. He is unquestionably a man of God. He believes in His living presence and knows that his movement will prosper only if God wills it. Having put his whole soul into his cause, he remains indifferent as to what happens. ... He wants the Pathan to become braver than he is and wants him to add true knowledge to his bravery. This he thinks can only be achieved through non-violence.
....
  Whether, in spite of all the veneration he commands, the Khudai Khidmatgars will pass the test in constructive non-violence remains to be seen.
....
  At every meeting I repeated the warning that unless they felt that in non-violence they had come into possession of a force infinitely superior to the one they had and in the use of which they were adepts, they should have nothing to do with non-violence and resume the arms they possessed before. It must never be said of Khudai Khidmatgars that once so brave, they had become or been made cowards under Khan Saheb’s influence. Their bravery consisted not in being good marksmen but in defying death and being ever ready to bare their breasts to the bullets. This bravery they had to keep intact and be ready to show whenever occasion demanded. And for the truly brave such occasions occurred often enough without seeking.
  This non-violence was not a mere passive quality. It was the mightiest force God had endowed man with. Indeed, possession of non-violence distinguished man from the brute creation. It was inherent in every human being, but in most it lay dormant. Perhaps the word ‘non-violence’ was an inadequate rendering of ahimsa which itself was an incomplete connotation of all it was used for conveying. A better rendering would be love or goodwill. Violence was to be met by goodwill. And goodwill came into play only when there was ill will matched against it. To be good to the good is an exchange at par. A rupee against a rupee gives no index to its quality. It does when it is matched against an anna. Similarly a man of good will is known only when he matches himself against one of ill will.
  This non-violence or goodwill was to be exercised not only against Englishmen but it must have full play even among ourselves. Non-violence against Englishmen may be a virtue of necessity, and may easily be a cover for cowardice or simple weakness. It may be, as it often is, a mere expedience. But it could not be an expedience when we have an equal choice between violence and non-violence. Such
instances occur in domestic relations, social and political relations among ourselves, not only between rival sects of the same faith but persons belonging to different faiths. We cannot be truly tolerant towards Englishmen if we are intolerant towards our neighbours and equals. Hence our goodwill, if we had it in any degree, would be tested almost every day. And if we actively exercised it, we would become habituated to its use in wider fields till at last it became second nature with us.
  The very name Khan Saheb had adopted for them showed that they were to serve, not to injure, humanity. For God took and needed no personal service. He served His creatures without demanding any service for Himself in return. He was unique in this as in many other things. Therefore servants of God were to be known by the service they rendered to His creatures.
  Hence the non-violence of Khudai Khidmatgars had to show itself in their daily actions. It could be so exhibited only if they were non-violent in thought, word and deed.
  And even as a person who relied upon the use of force in his daily dealings would have to undergo a military training, so will a servant of God have to go through a definite training. This was provided for in the very foundation resolution of the special Congress of 1920. It was broadened from time to time. It was never toned down to my knowledge. The exercise of active goodwill was to be tested through communal unity, shedding of untouchability by Hindus, the home and hand-manufacture and use of khadi---a sure symbol of oneness with the millions---and prohibition of intoxicating drinks and drugs. This fourfold programme was called a process of purification and a sure method of gaining organic freedom for the country. This programme was followed but half-heartedly by Congressmen and the country, thus betraying a lack of living faith in non-violence, or faith in the method devised for its daily practice, or both. But Khudai Khidmatgars were expected and believed to have a living faith in non-violence. Therefore they would be expected to follow out the whole of the constructive self-purification programme of the Congress.  I have added to it village sanitation, hygiene and simple medical relief in the villages. A Khudai Khidmatgar will be known by his works. He cannot be in a village without his making it cleaner and affording help to the villagers in their simple ailments. Hospitals and the like are toys of the rich and are available for the most part only to the city-dwellers. Efforts are no doubt being made to cover the land with dispensaries. But the cost is prohibitive. Whereas the Khudai Khidmatgars could, with a little but substantial training, easily give relief in the majority of cases of illnesses that occurred in the villages.
  I told the leaders of the Khudai Khidmatgars that civil disobe-dience was the end of non-violence, by no means its beginning. Yet I started in this country at the wrong end in 1918. I was overwhelmed by necessity. The country had not come to harm only because I, claiming to be an expert in non-violent technique, knew when and how to retrace our steps. Suspension of civil disobedience at Patna was part of the technique. I have just as much faith in the constructive programme of 1920 as I had then. I could not lead a campaign of civil disobedience in terms of purna swaraj without due fulfilment of the programme. The right to civil disobedience accrues only to those who know and practise the duty of voluntary obedience to laws whether made by them or others. Obedience should come not from fear of the consequences of the breach but because it is the duty to obey with all our heart and not merely mechanically. Without the fulfilment of this preliminary condition, civil disobedience is civil only in name and never of the strong but of the weak. It is not charged with goodwill, i. e., non-violence. Khudai Khidmatgars had shown in unmistakable terms their bravery in suffering during the
civil disobedience days as did many thousands in the other provinces.  But it was not proof positive of goodwill at heart. And it would be a deterioration in the Pathan if he was non-violent only in appearance. For he must not be guilty of weakness.
....
  I like the compliment that the Pathans would be braver than before under my teaching. I do not know an instance of a person becoming a coward under my influence.  But the friend’s deduction was deadly. If in the last heat the Khudai Khidmatgars prove untrue to the creed they profess to believe, non-violence was certainly not in their hearts. The proof will soon come. If they zealously and faithfully follow the constructive pro-gramme, there is no danger of their fulfilling the prognostication of the critic. But they will be found among the bravest of men when the test comes.
ON THE TRAIN BETWEEN DELHI AND WARDHA,
November 11, 1938
Harijan, 19-11-1938

2008年11月 8日 (土)

質疑応答 その3 平等の強制ではなく

 Q. 経済的平等という目標を達成するためにあなたがやろうとしていることは、共産主義者や社会主義者がやろうとしていることと、どのように違うのですか。
 A. 社会主義者や共産主義者は、今、経済的平等を達成しようと思ってもなす術がないと言います。目下はそれを目指した宣伝活動をするだけでしょう。そして平等を達成するには、憎しみを生み、強化していくことが必要だと彼らは信じています。彼らはこう言うのです。「国家を掌握したら、平等を強制する」と。私の計画では、国家は人民の意思を実行するために存在します。人々に指図をしたり、国家の意思を人々に強制するためではないのです。私は、非暴力を通じて経済的平等を達成したいと考えます。つまり、憎しみに対抗するものとして愛の力を利用し、人々の考え方を私のような考え方に変えていくことを通してです。社会全体が私のような考えに変わっていくまで待つつもりはありません。そうではなくて、自らが直ちに第一歩を踏み出したいのです。言うまでもないことですが、もし私が自動車を50台所有していたり、2.5ヘクタールほどの土地を持っていたのでは、私が考えるような経済的平等を達成することは、望みようもありません。そのような点については、私は貧しい人々の中でも最も貧しい人の生活レベルにまで、自分の暮らしを簡素にする必要があります。それこそ、過去50年あまり私が努力してきたことです。私こそ共産主義者の中の共産主義者と自認しています。お金持ちが提供してくれる自動車やその他の便宜を利用しているとしてもです。私がそれらの虜になっているわけではありません。一般の人々の利益のために必要とあらば、すぐさま私はそれらを手放すことができます。
 Q. 貧しい人々に対する義務について富める人々に気づいてもらううえで、サッテャーグラハ(真理を宣言し、固執するという意味。非暴力・不服従運動をこう名づけた)をどのように活用できるでしょうか。
  A. 外国の勢力に対しての時と同様です。サッテャーグラハは、普遍性をもった法則です。家族から始まって、あらゆる局面に拡張できます。例えば、地主が小作人を搾取し、その労働の果実を自分の個人的使用に流用して、かすめとるとしましょう。労働者らがこの地主に抗議すると、地主は耳を傾けることなく、妻にこれだけ、子どもたちにこれだけの額が必要だなどと反論するでしょう。小作人や彼らの主張に賛同する有力者が、 夫をいさめてくれと地主の妻に訴えるでしょう。夫が搾取したお金などいらないと、妻は言うかもしれません。子どもたちも同様で、自分たちが必要とするものは自分たちで稼ぐと言うでしょう。
 ところで、この男が誰の言うことにも耳を傾けなかったり、あるいは妻と子どもたちも一緒になって小作人に対抗する場合もあるでしょう。でも、小作人は絶対に屈服しません。屈服を求められたら、小作人を辞めるでしょう。そして次のことをはっきりさせます。つまり、土地はそれを耕す人のものだということです。地主が自分で全ての土地を耕すことはできません。ですから、小作人たちの正当な要求には従うしかないのです。しかしながら、別の小作人に取って換えられることがあるかもしれません。その場合は、暴力以外の闘争を行い、新しく雇われた小作人が自分たちの誤りに気づき、解雇された小作人と連携するようになるまでそれを続けます。このように、サッテャーグラハは、世論を導き、養うプロセスです。ですから、社会のあらゆる要素を含み、最後には圧倒的力となります。暴力は、社会構造全体を本当の意味で変革していくプロセスを邪魔し、長引かせてしまいます。
建設的労働者協議会での質疑応答 マドラスにて 1946年1月24日
ハリジャン 1946年3月31日

 

Q. What is the difference between your technique and that of the communists or socialists for realizing the goal of economic equality?
  A. The socialists and communists say, they can do nothing to bring about economic equality today. They will just carry on propaganda in its favour and to that end they believe in generating and accentuating hatred. They say, when they get control over the State, they will enforce equality. Under my plan, the State will be there to carry out the will of the people, not to dictate to them or force them to do its will. I shall bring about economic equality through non-violence, by converting the people to my point of view by harnessing the forces of love as against hatred. I will not wait till I have converted the whole society to my view but will straightaway make a beginning with myself. It goes without saying that I cannot hope to bring about economic equality of my conception, if I am the owner of fifty motor-cars or even of ten bighas of land. For that I have to reduce myself to the level of the poorest of the poor. That is what I have been trying to do for the last fifty years or more, and so I claim to be a foremost communist although I make use of cars and other facilities offered to me by the rich. They have no hold on me and I can shed them at a moment’s notice, if the interests of the masses demand it.
  Q. What is the place of satyagraha in making the rich realize their duty towards the poor?
  The same as against the foreign power. Satyagraha is a law of universal application. Beginning with the family, its use can be extended to every other circle. Supposing a land-owner exploits his tenants and mulcts them of the fruit of their toil by appropriating it to his own use. When they expostulate with him, he does not listen and raises objections that he requires so much for his wife, so much for his children and so on. The tenants or those who have espoused their cause and have influence, will make an appeal to his wife to expostulate with her husband. She would probably say that for herself she does not need his exploited money. The children will say likewise that they would earn for themselves what they need.
  Supposing further that he listens to nobody or that his wife and children combine against the tenants, they will not submit. They will quit, if asked to do so, but they will make it clear that the land belongs to him who tills it. The owner cannot till all the land himself, and he will have to give in to their just demands. It may, however, be that the tenants are replaced by others. Agitation short of violence will then continue till the replaced tenants see their error and make common cause with the evicted tenants. Thus satyagraha is a process of educating public opinion such that it covers all the elements of society and in the end makes itself irresistible. Violence interrupts the process and prolongs the real revolution of the whole social structure.
ANSWERS TO QUESTIONS AT CONSTRUCTIVE WORKERS’ CONFERENCE, MADRAS January 24, 1946
The Hindu, 26-1-1946; also Harijan, 31-3-1946

2008年11月 7日 (金)

質疑応答 その2 経済的平等とは何か

質問:経済的平等とは、実際どういうことを言うのでしょうか。あなたが思いつかれた制定法上の信託制度とは、いったい何でしょうか。
 ガンジーは、彼の考える経済的平等とは、全ての人が文字通り同じ額を所有することではないと答えた。各自が必要なだけを持つという、ただそれだけのことなのだ。例えば、彼は冬になるとショールが2枚必要であるが、彼と一緒に暮らす兄の孫のカヌ・ガンジーは、さらに彼の息子もそうだが、温かい衣類を全く必要としていない。ガンジーは山羊のミルクや、オレンジ、その他の果物を所望する。カヌは普通の食事でやっていける。ガンジーはカヌがうらやましいが、そのようなことを指摘しても意味はない。カヌは若いが、ガンジーは76歳の老人だ。ガンジーの1ヶ月の食費は、カヌの食費よりもかなり高くついている。しかし、このことによって、2人の間に経済的な不平等があるというわけではない。象は蟻よりも千倍多くの食料を必要としているが、それが不公平を示しているわけではない。だから、経済的平等が本来意味することは、マルクスの定義どおり、「各自に必要に応じて」となる。独身の男が、妻と四人の子を持つ男性と同じだけを要求するなら、経済的平等に反することになる。ガンジーは、さらに次のように続けた。

 「有産階級と一般の人々の間にある目のくらむような差異を正当化しようとはなさらないでください。王子と貧民の差異を、前者が後者よりも多くを必要とするからと言わないでください。そのようなことを言えば、私が主張することを怠惰にも詭弁を弄して曲解することになります。今日のような金持ちと貧乏人の間にある相違は、心の痛む光景です。貧しい村人たちは、外国の政府からとさらには、同国人である都市の住人からも搾取されています。彼らは食料を生産しつつも腹をすかせています。牛乳を生産しているにもかかわらず、彼らの子どもたちをそれを飲むことができません。恥ずかしいことです。全ての人にバランスの取れた食事と住むのに恥かしくない家が与えられ、子どもたちを教育する施設もあって、医療も十分に受けられるようになるべきです」
 これが、経済平等として彼が思い描くイメージだった。彼は最低限の必要を超えたそれ以上のものを全て排斥したいという考えではなかった。しかし、まずは貧しい人々に必需品を行き渡らせることが先でなくてはならない。最初にすべきことは、最初にやらねばならない。
 現在、富を所有している人は、階級闘争を選ぶか、自ら自発的に富の管理者になるかを選択せねばならない。彼らが自らの所有物を管理する任に当たることは構わないし、能力を用いて富をふやすことも構わない。しかし、自分のためではなく、国民のためにこれらのことをすることになる。だから、搾取はありえない。彼らが社会に捧げる奉仕や、それが社会にとってどのくらいの価値があるかに応じて、彼らが手にする委託料を国が調整する。彼らの子どもが、管理者としての地位を世襲するのは、その地位にふさわしいと認められた場合に限る。そして、彼は次のような結論を述べた。

 「仮に、インドが明日自由の国になるとすれば、法律で定められた財産管理者となる機会が全ての資本家に与えられます。しかし、そのような法律を上から押し付けることはよくありません。下から生じてくるものでなければなりません。財産信託制度の意味が人々にわかり、それを求める雰囲気が熟してくれば、人民自らがGram Panchayats(村落の自治組織)から始めて、そのような法律を制定するようになるでしょう。そのようなことは下から生じてきた場合には、容易に飲めますが、上から押し付けると、それはどうしようもない重圧でしかありません」
建設的労働者協議会での質疑応答 マドラスにて 1946年1月24日
ハリジャン 1946年3月31日

Gandhiji’s reply was that economic equality of his conception did not mean that everyone would literally have the same amount. It simply meant that everybody should have enough for his or her needs. For instance, he required two shawls in winter whereas his grand-nephew Kanu Gandhi who stayed with him and was like his own son did not require any warm clothing whatsoever. Gandhiji required goat's milk, oranges and other fruit. Kanu could do with ordinary food. He envied Kanu but there was no point in it. Kanu was a young man whereas he was an old man of 76. The monthly expense of his food was far more than that of Kanu but that did not mean that there was economic inequality between them. The elephant needs a thousand times more food than the ant, but that is not an indication of inequality. So the real meaning of economic equality was: "To each according to his need."  That was the definition of Marx. If a single man demanded as much as a man with wife and four children that would be a violation of economic equality. Gandhiji continued :
  Let no one try to justify the glaring difference between the classes and the masses, the prince and the pauper, by saying that the former need more. That will be idle sophistry and a travesty of my argument. The contrast between the rich and the poor today is a painful sight. The poor villagers are exploited by the foreign Government and also by their own countrymen---the city-dwellers. They produce the food and go hungry. They produce milk and their children have to go without it. It is disgraceful. Everyone must have a balanced diet, a decent house to live in, facilities for the education of one's children and adequate medical relief.
  That constituted his picture of economic equality. He did not want to taboo everything above and beyond the bare necessaries but they must come after the essential needs of the poor are satisfied. First things must come first.
  As for the present owners of wealth, they would have to make their choice between class-war and voluntarily converting themselves into trustees of their wealth. They would be allowed to retain the stewardship of their possessions and to use their talent to increase the wealth, not for their own sakes, but for the sake of the nation and therefore without exploitation. The State would regulate the rate of commission which they would get commensurate with the service rendered and its value to society. Their children would inherit the stewardship only if they proved their fitness for it. He concluded :

  Supposing India becomes a free country tomorrow, all the capi-talists will have an opportunity of becoming statutory trustees. But such a statute will not be imposed from above. It will have to come from below. When the people understand the implications of trusteeship and the atmosphere is ripe for it, the people themselves, beginning with gram panchayats, will begin to introduce such statutes. Such a thing coming from below is easy to swallow. Coming from above, it is liable to prove a dead weight.
ANSWERS TO QUESTIONS AT CONSTRUCTIVE WORKERS’ CONFERENCE, MADRAS January 24, 1946
The Hindu, 26-1-1946; also Harijan, 31-3-1946

2008年11月 6日 (木)

質疑応答 その1 カディー(手紡ぎ、手織りの衣類)の価値

 最初の質問は、国の経済におけるカディー(手紡ぎ、手織りの衣類)の位置づけに関してであった。カディーによって貧困の問題がどこまで解決できるだろうか。
 ガンジーは次のように述べた。インドのスワラージ(自治)、および貧しい人々を経済的に救っていくまさにその土台にカディーがある。運動の最初から、彼はカディーをいつもスワラージと関連付けてきた。我々がカディーをたくさん生産すればするほど、我々はスワラージに近づく。彼の計画において、肉体労働は不可欠の要素であった。そして、金持ちにとっても、肉体労働に従事することは貧しい人々と同じくらいに必要である。糸紡ぎは、とりわけ優れた肉体労働だ。それによって、貧しい人々でも自立した生活が可能になった。チャルカ(糸車)の象徴的意義を説明して、ガンジーは、チャルカとはアヒンサー(不殺生・非暴力)であると述べた。些細な論争に迷い込んでしまうのではなく、糸を紡ぎ、カディーを生産する仕事に集中しようではないか。これが、最も重要な建設的仕事である。
 もうひとつの質問は、家計の80%以上を食費が占め、衣類には12%しか使っていないことを考えると、カディーを生産することが、どうして貧しい人を助けることになるのかというものだった。
 カディーを通して、たとえ数アンナ(インド・パキスタン・ビルマの旧通貨単位: =1/16ルピー)であっても、人々の収入の足しになるのであれば、それはやる価値のあることだと、ガンジーは返答した。今のところインドに限定されているが、ガンジーは、カディーが全世界の福音となる日を夢見ていた。彼が思い描く最初の一歩は、カディーが4億(当時のインド人口)のインド人すべての心に届くことだった。
 次の質問は、紙の切れ端に英語で鉛筆書きされていたが、ガンジーはそれをわきにやった。この質問は判読できないと、ガンジーは言った。このようなやり方で質問をするとは、老人に対して暴力をはたらいていることになると、ガンジーはコメントした。
建設的労働者協議会での質疑応答 マドラスにて 1946年1月24日
ハリジャン 1946年3月31日

   The first question related to the place of khadi in the national economy and how far it would help to solve the poverty problem.
  Gandhiji said that khadi was the very foundation of Indian swaraj and economic uplift of the poor. He had always linked khadi with swaraj from the beginning. The more khadi we produced, the nearer we would be to swaraj. Manual labour was an essential factor in his programme, and it was as necessary for the rich also to do manual work. Spinning was manual labour par excellence. It enabled even poor people to lead independent lives. Explaining the symbolism of the charkha, Gandhiji said that it stood for ahimsa. Let them not get lost in minor controversies but concentrate on the work of spinning and production of khadi, the most important part of the constructive programme.
  Another question asked was how khadi production could be of help to the poor man when one considered that in the budget more than 80 per cent was spent on food and only 12 per cent on cloth.
  Gandhiji answered that if through khaddar they could add to the income of the people even a few annas, it would be worth while. He was looking forward to the day when khadi would become a universal gospel, though today it was confined to India.  The first step he envisaged was that khadi should touch all the 40 crores of Indian people.
  A question written in English and in pencil on an odd slip of paper was next put aside by Gandhiji with the remark that it was illegible and the questioner was doing violence to an old man to send the question in that way.

ANSWERS TO QUESTIONS AT CONSTRUCTIVE WORKERS’ CONFERENCE, MADRAS
January 24, 1946

The Hindu, 26-1-1946; also Harijan, 31-3-1946

2008年11月 4日 (火)

社会主義と信仰

  社会主義において、真理とアヒンサー(不殺生・非暴力)が活気付く必要があります。神への生きた信仰があって初めてできることです。真理とアヒンサーをただ機械的に支持するだけでは、危機的な瞬間がくると挫けてしまう可能性が高いです。だから、私は、真理は神であると言ってきたのです。
 この神とは、生きた力です。我々の人生は、この力によるのです。その力は私たちの身体に宿っています。しかし、身体ではありません。この偉大な力を否定する人は、尽きることのない精神力が得られる可能性を放棄し、無力な状態にとどまることになります。このような人は、舵のない船のようなもので、波間に漂い、前進することなく消えて行きます。多くの人がこのような状態にあります。このような人の社会主義では、目的地にたどり着けません。大多数については、何をか言わんです。
 これが現状であるなら、どうして神を信じる社会主義者がいないのでしょうか。かりに、神を信じている社会主義者がいるのであれば、どうして何も達成できていないのでしょうか。神を信じる人は多くいます。それなのに、彼らはどうして、社会主義を実現できないでいるのでしょうか。
 これについて、うまい答えは見つかりません。しかしながら、神を信じる社会主義者には、社会主義と彼の信仰との間に接点があろうとは、思いもよらないのかもしれません。同様に、神を信じる人が、社会主義が必要だとは全く思ってこなかったのかもしれません。敬虔な男女がいるにもかかわらず、この世には迷信がはびこってきました。神を信じるヒンズー教で、不可触民の制度が最近まで疑うことのできない勢力を維持してきました。
 神の力とはどのようなものか、そしてこの無尽蔵の力そのものが、絶え間ない探求の対象でした。
 その探求の中で、サティヤーグラハ(真理の宣示:真理に基づいた非暴力抵抗運動)を発見することになります。しかし、サティヤーグラハのあらゆる法則がすでに明確になったと言っているわけではありません。私自身も、すべての法則を知っているとはいえません。しかし、価値ある目的は全てサティヤーグラハを通して達成できるということは、申し上げたいと思います。これは、最高のそして最も大きな可能性を持つ手段です。もっとも有効な武器なのです。社会主義が、これ以外の手段で実現されることはないと私は確信しています。
 サティヤーグラハによって、政治、経済、道徳のあらゆる領域における全ての悪を社会から取り除くことができます。
ニューデリー 1947年7月13日 グジャラート語より
ハリジャン、1947年7月20日

Socialism
Truth and ahimsa must come alive in socialism. This can only be possible when there is a living faith in God. Mere mechanical adherence to truth and ahimsa is likely to break down at the critical moment. Hence have I said that truth is God.
  This God is a living Force. Our life is of that Force. That Force resides in the body, but is not the body. He who denies the existence of that great Force denies to himself access to its inexhaustible power and thus remains impotent. He is like a rudderless ship which, tossed about here and there, perishes without making any headway. Many find themselves in this plight. The socialism of such people does not reach anywhere, what to say of the millions.
  If such be the case, why is there no socialist who believes in God? If there are such socialists why have they not made any progress? Also there have been many believing in God; why is it they have not succeeded in bringing socialism?
  There is no effective answer to this. Nevertheless, it is possible to say that it has perhaps never occurred to a believing socialist that there is any connection between his socialism and his belief in God.  Equally, men of God perhaps never felt any need for socialism.  Superstitions have flourished in the world in spite of godly men and women. In Hinduism which believes in God, untouchability has, till of late, held undoubted sway.
  The nature of this Divine Force and its inexhaustible power have been matters of incessant quest.
  My claim is that is the pursuit of that quest lies the discovery of satyagraha. It is not, however, claimed that all the laws of satyagraha have already been formulated. I cannot say either that I myself know all the laws. This I do assert that every worthy object can be achieved through satyagraha. It is the highest and the most potent means, the most effective weapon. I am convinced that socialism will not be reached by any other means.
  Satyagraha can rid society of all evils, political, economic and moral.
NEW DELHI, July 13, 1947
[From Gujarati]
Harijanbandhu, 20-7-1947

2008年11月 1日 (土)

工業化に代わるもの

次のような投稿がありました。
 「船舶、汽車、飛行機などをインドが製造するような、インドの工業化が必要だと考えていらっしゃいますか? 必要ないとすれば、インドが自由な独立した国家として責任を果たしていく、それに代わる手段を提示していただけないでしょうか。
 また、ここにあげたような産業を確立すべきだと思われるのであれば、その産業およびそこから生じる利益を管理していくのは、あなたのお考えでは、どのような主体であるべきでしょうか」

 どのような国のどの場合においても、工業化が必要であるとは思いません。インドについてはなおのこと必要でありません。独立したインドがこの喘いでいる世界に対して義務を果たす道は、大多数の国民がつつましい家屋(手工業)をきちんと整え世界と平和に付き合っていくことで、質素な中にも高潔な生き方を取り入れていくことでしかありません。高邁な思索は、物に囲まれた複雑な生活とは両立しません。そのような生活は時間に追われるからです。お金を第一にすれば能率が求められるのは避けられませんが、高潔に生きる術を身に付けて初めて我々は、人生のあらゆる魅力を享受することができるようになります。
 危ない生き方をすることに、興奮を覚えるかもしれません。危険に面と向かって生きることと危ない生き方をすることとを、きちんと区別する必要があります。野生の獣や野蛮な人が潜む森の中で一人、銃も持たずに神だけを助けとして勇気を持って生活する人は、危険に面と向かって生きています。いつも空中で生活して、世界をあっと言わせてやろうとして下界に飛び降りるような人は、危ない生き方をしている人です。前者は目的がありますが、後者は目的もなく生きています。
 重装備をした世界に面と向かい、仰々しさに囲まれているのですから、どれだけ広大な面積と人口を抱えていてもたった一つの国が、そのような質素な生き方取り入れていけるのだろうかと考えるのは、懐疑論者が考えがちな疑問です。この疑問に対する答えはきっぱりと単純なものです。質素な生活が価値ある生き方であるなら、それを目指すことも価値ある試みなのです。そのような努力をするのがたった一人であろうと、一グループであったとしてもです。
 同時に私は、重要な工業のいくつかは必要であると考えます。理論だけのまたは、武装した社会主義というものを私は支持しません。私は、大多数の改心を待つことなく自分の信念に基づいた行動をすべきだと考えます。ですから、重要な工業というものを列挙する必要はありません。多くの人が一緒に働いて成り立つような国有を目指したいです。人々の労働によって生産された物は、国家を通して熟練工かどうかの区別なく労働者に、分け与えられます。ただし、私が思い描けるのは、非暴力を基盤にした国家だけですから、武力によって金持ちの所有物を奪うことはしません。国有へと変換していく過程で、彼らが協力してくれるようにお願いしたいと思うのです。大金持ちであろうと貧乏人であろうと、社会のはみ出しものは存在しません。金持ちも貧乏人も、同じ病気がもたらした傷みです。「その全てをひっくるめて」全ての人が人間です。
 インドでも他の地域でも目にしてきたし、これからも目にするであろう非人道的行為を直視してなおこの信念を、私は高らかに宣言します。危険に面と向かって生きようではありませんか。
ハリジャン 1946年9月1日

ALTERNATIVE TO INDUSTRIALISM
A correspondent writes :
Do you then believe that industrialization of India--to the extent of India producing her own ships, locomotives, aeroplanes, etc.,--is necessary? If not, will you kindly suggest the alternative means by which India shall discharge her responsibilities as a free and independent nation?
  If you believe in the establishment of such industries, who should, in your opinion, exercise control over the management and the profits that will accrue?

  I do not believe that industrialization is necessary in any case for any country. It is much less so for India. Indeed, I believe that Independent India can only discharge her duty towards a groaning world by adopting a simple but ennobled life by developing her thousands of cottage [industries] and living at peace with the world. High thinking is inconsistent with complicated material life based on high speed imposed on us by Mammon worship. All the graces of life are possible only when we learn the art of living nobly.
  There may be sensation in living dangerously. We must draw the distinction between living in the face of danger and living dangerously. A man who dares to live alone in a forest infested by wild beasts and wilder men without a gun and with God as his only Help, lives in the face of danger. A man who lives perpetually in mid-air and dives to the earth below to the admiration of a gaping world lives dangerously. One is a purposeful, the other a purposeless, life.
  Whether such plain living is possible for an isolated nation, however large geographically and numerically in the face of a world armed to the teeth and in the midst of pomp and circumstance, is a question open to the doubt of a sceptic. The answer is straight and simple. If plain life is worth living, then the attempt is worth making even though only an individual or a group makes the effort.
  At the same time I believe that some key industries are necessary. I do not believe in armchair or armed socialism. I believe in action according to my belief, without waiting for wholesale conversion. Hence, without having to enumerate key industries, I would have State ownership where a large number of people have to work together. The ownership of the products of their labour, whether skilled or unskilled, will vest in them through the State. But as I can conceive such a State only based on non-violence, I would not dispossess monied men by force but would invite their co-operation in the process of conversion to State ownership. There are no pariahs of society, whether they are millionaires or paupers. The two are sores of the same disease. And all are men “for a’ that”.
  And I avow this belief in the face of the inhumanities we have witnessed and may still have to witness in India as elsewhere. Let us live in the face of danger.
ON THE TRAIN TO DELHI, August 25, 1946
Harijan, 1-9-1946

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