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2008年10月15日 (水)

道徳性不在の信用取引

 チャンパーランには、いわゆる農業銀行というものがあります。協同運動の成功例として期待しているのであれば、期待はずれに終わる努力をしているだけだと私は思っています。他方、同じ方向を目指した、ホッジ氏による静かな取り組みも行われています。ホッジ氏に接した人は、その努力を心に刻むことになります。・・・両者の取り組みを見守ることができた私は、当事者がどういう人かということが、一方を成功に導き、もう一方に失敗をもたらす重要な要素だと、ためらうことなく申し上げます。
 私は、熱中しやすいタイプです。しかし、25年間いろいろな事を試み、経験してきましたので、熱中するにしても用心深く、区別をして選択できるようになりました。大義のために働く人は、自分で意識することはないにしても、良い点をさらに増し加え、足りない点は、まさにそのことのゆえにそれが利点となっていくような、そのような働きを必然的にしてしまうのです。・・・・ですから、私は、協同運動に熱中している人々に、かなわない望みを抱くことがないようにと忠告しておきたいのです。
 ダニエル・ハミルトン卿にとっては、宗教になってしまいました。昨年の1月13日に、スコットランド教会付属大学の学生達に対して行った演説の中で、教訓として彼は200年前のスコットランドの貧困状態を例としてあげました。そして、偉大なるスコットランドが、いかにして貧困状態を脱して豊かになったかを説明しました。2つの勢力によってスコットランドは立ち直ったが、その2つとは、スコットランド教会とスコットランド銀行だったと彼は述べたのです。教会が人間を養成し、銀行は、世に出て行くために必要なお金を人に与えるべくお金を作り出したというのです。.... 教会は国民が神を畏れるように指導します。これが、知恵の始まりであるわけです。そして教区の学校で子どもたちは、人生の主要な目的は、神に栄光を帰すことであり、神との交流を永遠に楽しむことであると教わります。神と自分を信じるような教育が行われています。そしてそのようにして養成された信頼に足る人格に基づいて、スコットランド銀行の制度が確立されたというわけです。ダニエル卿は、そのように養われた人格に基づいてのみ、この素晴らしいスコットランド銀行の制度は立ち上がっていくことが可能になると語っていくのです。ここまでは、ダニエル卿の考えに異論は全くありません。「人格なくして、協力はありえない」というのが、至言だからです。
 しかし、さらにもっと先へと続いていくのです。油がのってきて協同運動について長々と演説をしていきます。「皆さんが夢見るインドの将来像が何であったとしても、それは、インドをひとつにまとめて、世界の中でインドが正しい位置を占めるようにすることであり、英国政府がここにいて、その政府の手にある溶接のためのハンマーは、協同運動であることは忘れてはいけません」と続くのです。彼に言わせれば、目下インドが苦しんでいるあらゆる病気に対する万能薬が、協同運動なのだそうです。・・・熱血漢の大風呂敷と私は思っています。彼の大げさな結論の注目してください。
 「信頼と信義でしかない信用取引が、世界の金権力となりつつあります。証書という弾丸に山をも動かす信仰が刻印されているのです。インドは勝利と平安を見出すでしょう」
 ここに、思考の混乱が見て取れます。世界の金権力となりつつある信用取引には、道徳的な基盤はほとんどありません。そしてそれは、純粋に道徳的な特性である信頼や信義と同義語ではないのです。私が20年間経験したことからいいましても、南アフリカの銀行と取引をしていた何百人もの人から、よく次のような意見を耳にしたものです。その言葉は今でも私の心に深く刻まれています。「悪人ほど、銀行からたくさん貸してもらえる」というのです。銀行は借り主の道徳性になど頓着しません。貸付高や約束手形に見合う金額を期日までに支払ってくれさえすれば良いのです。狡猾な蛇がとぐろを巻いているように、この信用システムが我々の美しい地球を取り囲んでいます。もし我々が気に留めずにいるならば、きっと我々の息の根を止めてしまうことでしょう。このシステムによって破綻した家庭を数多く見てきました。そしてその信用に協同の名がついていても、いなくても違いはありません。この死のとぐろによって、ヨーロッパにはひどい状態がもたらされ、私たちは成す術もなくそれを見つめています。今日ほどそれがあてはまることはないように思われますが、法治下にあっても、戦争中であっても財布を長持ちさせたものが、最後には勝利を収めるのです。私が、信用システムについて現在一般的に考えられていることに焦点を当てましたのも、次の点を強調したかったからです。つまり、協同運動がインドのためになるかは、その運動がどの程度まで道徳的運動であるかにかかっています。そして、宗教的情熱に燃えている人が厳格に指導すべきです。ですから、協力の手を差し伸べるのは、道徳的に正しい行いをしたいと思いながら、非常に貧しいためあるいは高利貸しの餌食になってしまったためにそれができないでいる人々に対してだけにとどめるべきです。適正な利率で金を貸してくれる施設に不道徳な人間を正しい人間に変える力はありません。しかし、国家の英知をを代表する人たちや、慈善家たちは、良くなりたいと努力をしている人々を、どんどん支援したらよいと主張するのです。
 物が豊かになれば、人の性質も良くなると信じてしまうことが、あまりにも多いのです。インドにとって良いことがとてもたくさんあるはずの運動が、低金利の融資をするだけの団体に成り下がってしまわないようにする必要があります。ですから、私はインド協同委員会の報告書にある忠告を読んで嬉しくなりました。それには、政府が人々の改善を期待できるのは、本物の協同運動だけ、つまり問題の道徳的側面を認識する協同運動だけであって、いかに立派に見えても協同運動の原則を無視して建てられた組織ではないのだという主張が堂々と掲げられていました。
 この基準に照らせば、運動の成果を創設された協同組合の数で測るようなことはなくなります。協力者の道徳性で測るようになるでしょう。そうすれば責任者も団体の数を増やすよりも前に、今ある団体を道徳的にもっとしっかりさせることに重点をおくようになります。そして政府の後押しも条件つきとなるでしょう。つまり、登録団体の数ではなく、現在ある施設で道徳性がどの程度向上したかが基準となります。そこで、メンバーに貸し与えられたすべてのパイス(インド・パキスタンの旧通貨単位: =1/64ルピー)の行き先を辿ることになります。協同組合の適切な活動に責任を有する人は、前渡ししたお金が、お酒の勘定に化けたり、賭博場の管理人の懐に入ったりしていないか注意します。賭博をなくし、農家からお酒を追放することができるのであれば、金貸しの強欲さに目をつぶっても良いのですが・・・
 高利貸しについて一言述べるのも的外れではないでしょう。協同運動というのは、新しい試みではありません。農民たちは、作物を食い荒らすサルや鳥を、協同で太鼓をたたいて追い払っています。脱穀場を共同利用しています。牛を守るために最良の土地を牛の放牧場として奉げるような、協同行為を彼らが行っているのを見たこともあります。さらに、とりわけ貪欲な高利貸しに対して共同戦線も張ってきました。高利貸しが農民たちをしっかり握っているから、協同運動も成功しないのではないかと疑問の声が上がっていました。そのような恐れを私は共有しません。もし高利貸しが悪の力を代表するものであるなら、最強の高利貸しといえども、本質的に道徳的な運動として始まった協同運動の前には、屈服するに違いないからです。高利貸しについてはチャンパーランでの限られた体験しかありませんが、それでも私は、高利貸しが「荒廃的影響力」を及ぼしているという一般的な考えを訂正することになりました。常に情け容赦ないわけではなく、最後の一切れまでむしりとるわけでもないことを発見しました。時には、いろいろなやり方でお客にサービスをすることもあるのです。ひどい困窮状態にあるときには、救いの手を差し伸べることさえあります。私が実際に見てきたことは限られていますから、そこから、どんな結論も導くことはできませんが、高利貸しから良い点を引き出して、悪いところを捨てていくように彼に迫っていく、真剣な取り組みを行えないだろうかと、謹んで問うてみたいのです。協同運動の団体に加わるように説得できないでしょうか。これまでの経緯から改心の見込みがないと言うのでしょうか?
 この運動がインド固有のあらゆる産業を視野に入れていることに、私は気づいています。私が機織り職人の境遇を改善しようと行っているささやかなて取り組みを、政府が支援してくださっていることに、この場を借りて感謝申し上げたいと思います。試みてきたことから、この分野においてたくさんの仕事があることがわかってきました。インドの幸福を願う愛国者で、手織り職人が今にも消滅してしまおうとしているのを、平然と眺めていられる人はいないでしょう。マン博士が述べたように、これは農民に追加の収入をもたらしていた産業であり、飢饉に対する保険の役割を果たしていました。
 協同運動の責任者で、この重要かつ優美な産業を生き返らせた人は必ず、インドの賞賛をえることになるでしょう。私のささやかな取り組みでは、最初に、従来の手織り機に単純な改良の余地はないか調査をし、次に、教育を受けた若者が政府関係やその他の仕事につきたいという思いを捨てるようにさせ、彼が受けた教育は独立した仕事に向かないような人間をつくる教育だったと気づかせ、弁護士や医師と同じく名誉ある素晴らしい仕事として機織りにつくように仕向けていきます。そしてさらに、機織りをやめた職人たちが、復帰できるように助けるのです。・・・この最後の取り組みについては、我々の今日のテーマと直接関係していますので、少し詳しく説明させていただいても良いでしょう。私は、ほんの半年前にこの取り組みを始めました。この天職をあきらめていた5つの家族が、この仕事に復帰しました。そして仕事はうまくいっています。彼らが必要とする糸は、アシュラムの責任で戸口まで届けます。織られた布も、アシュラムのほうで取りにうかがい、市価で現金で買い取ります。最初の糸代として前払いした額の金利分だけを、アシュラムは負担することになります。これまでのところ、損失は出していませんし、貸付を限度内に抑えることで、負担も最小ですんでいます。今後の業務はすべて断固として現金払いを貫きます。受け取った布はすぐに売ることができています。ですから、この業務における金利分の損失は、無視できるほどの額でしかありません。この最初から最後まで、道徳的であるという点に注目していただきたいのです。アシュラムは、友人が手を貸してくれるような援助に、存在の全てを依存しています。ですから、我々には、利息を請求する権限はないのです。機織りに対して利息が貸されることはありえません。ばらばらに崩壊してしまっていた家族が、まとまりを取り戻します。貸付の使い道は、あらかじめ決められています。
 我々仲介者は、ボランティアですので、これらの家族の生活に関わっていく特権を得ています。そして、彼ら、および我々の状態がより良くなることを願っているのです。自分たちが向上しなくては、彼らの状態を良くすることもできません。今ここで最後に述べましたような関係は、まだできあがっていません。しかし、早い時期にこれらの家族の教育にも着手したいと願っています。そして彼らのあらゆることに関わっていけるようになって、初めて我々は満足するのです。これは決して、見果てぬ夢ではありません。神がそう望めば、いつの日か現実となります。この小さな実験を長々と述べてきましたのも、私が考える共同事業とは何かを皆さんに示して、それを真似てもらいたいと思ったからです。我々の理想が何かを、確認しましょう。実現することはなかなかできないかもしれません。しかし、それに向けて努力するのを、決してやめてはいけません。そうすれば、ラスキンには正当な理由があって恐れていた「悪党の協同」を、我々は怖がる必要がないのです。
インディアン・レビュー 1917年10月

  There are so-called agricultural banks in Champaran. They were to me disappointing efforts, if they were meant to be demonstrations of the success of co-operation. On the other hand, there is quiet work in the same direction being done by Mr. Hodge, a missionary whose efforts are leaving their impression on those who come in contact with him. .... I who was able to watch the two efforts had no hesitation in inferring that the personal equation counted for success in the one and failure in the other instance.
  I am an enthusiast myself, but twenty-five years of experimenting and experience have made me a cautious and discriminating enthusiast. Workers in a cause necessarily, though quite unconsciously, exaggerate its merits and often succeed in turning its very defects into advantages. .... I would venture, therefore, to warn enthusiasts in co-operation against entertaining false hopes.
  With Sir Daniel Hamilton, it has become a religion. On the 13th January last, he addressed the students of the Scottish Churches College, and in order to point a moral he instanced Scotland's poverty of two hundred years ago and showed how that great country was raised from a condition of poverty to plenty. He said: There were two powers which raised her---the Scottish Church and the Scottish banks. The Church manufactured the men and the banks manufactured the money to give the men a start in life.... The Church disciplined the nation in the fear of God which is the beginning of wisdom and in the parish schools of the Church, the children learned that the chief end of man's life was to glorify God and to enjoy Him for ever. Men were trained to believe in God and in themselves, and on the trustworthy character so created, the Scottish banking system was built. Sir Daniel then shows that it was possible to build up the marvellous Scottish banking system only on the character so built. So far there can only be perfect agreement with Sir Daniel, for "Without character there is no co-operation" is a sound maxim.
  But he would have us go much further. He thus waxes eloquent on co-operation: Whatever may be your day-dreams of India's future, never forget this that it is to weld India into one, and so enable her to take her rightful place in the world, that the British Government is here; and the welding hammer in the hand of the Government is the co-operative movement.
  In his opinion, it is the panacea of all the evils that afflict India at the present moment. .... I venture to think, it is an enthusiast's exaggeration. Mark his peroration: Credit which is only Trust and Faith, is becoming more and more the money power of the world, and in the parchment bullet into which is impressed the faith which removes mountains, India will find victory and peace.
  Here there is evident confusion of thought. The credit which is becoming the money power of the world has little moral basis and is not a synonym for Trust or Faith, which are purely moral qualities.  After twenty years' experience of hundreds of men, who had dealings with banks in South Africa, the opinion I had so often heard expressed has become firmly rooted in me, that the greater the rascal, the greater the credit he enjoys with his banks. The banks do not pry into his moral character; they are satisfied that he meets his over-drafts and promissory notes punctually. The credit system has encircled this beautiful globe of ours like a serpent’s coil, and if we do not mind, it bids fair to crush us out of breath. I have witnessed the ruin of many a home through the system, and it has made no difference whether the credit was labelled co-operative or otherwise. The deadly coil has made possible the devastating spectacle in Europe, which we are helplessly looking on. It was perhaps never so true as it is to-day that as in law so in war the longest purse finally wins. I have ventured to give prominence to the current belief about credit system in order to emphasise the point that the co-operative movement will be a blessing to India only to the extent that it is a moral movement strictly directed by men fired with religious fervour. It follows, therefore, that co-operation should be confined to men wishing to be morally right, but failing to do so, because of grinding poverty or of the grip of the mahajan(Moneylender).  Facility for obtaining loans at fair rates will not make immoral or unmoral men moral. But the wisdom of the State or philanthropists demands that they should help, on the onward path, men struggling to be good.
  Too often do we believe that material prosperity means moral growth. It is necessary that a movement which is fraught with so much good to India should not degenerate into one for merely advancing cheap loans. I was therefore delighted to read the recommendation in the Report of the Committee on Co-operation in India, that they wish clearly to express their opinion that it is to true co-operation alone, that is, to a co-operation which recognises the moral aspect of the question that Government must look for the amelioration of the masses and not to a pseudo co-operative edifice, however imposing, which is built in ignorance of co-operative, principles.
  With this standard before us, we will not measure the success of the movement by the number of co-operative societies formed, but by the moral condition of the co-operators. The Registrars will in that event ensure the moral growth of existing societies befor multiplying them. And the Government will make their promotion conditional, not upon the number of societies they have registered, but
the moral success of the existing institutions. This will mean tracing the course of every pice lent to the members. Those responsible for the proper conduct of co-operative societies will see to it that the money advanced does not find its way into the toddy-sellers’ till or into the pockets of the keepers of gambling dens. I would excuse the rapacity of the mahajan if it has succeeded in keeping the gambling die or toddy from the ryot’s home.
  A word perhaps about the mahajan will not be out of place.  Co-operation is not a new device. The ryots co-operate to drum out monkeys or birds that destroy their crops. They co-operate to use a common thrashing floor. I have found them co-operate to protect their cattle to the extent of their devoting their best land for the grazing of their cattle. And they have been found co-operating against a particularly rapacious mahajan. Doubt has been-expressed as to the success of co-operation because of the tightness of the mahajan's hold on the ryots. I do not share the fears. The mightiest mahajan must, if he represents an evil force, bend before co-operation, conceived as an essentially moral movement. But my limited experience of the mahajan of Champaran has made me revise the accepted opinion about his ‘blighting influence’.  I have found him to be not always relentless, not always exacting of the last pie. He sometimes serves his clients in many ways or even comes to their rescue in the hour of their distress. My observation is so limited that I dare not draw any conclusions from it, but I respectfully enquire whether it is not possible to make a serious effort to draw out the good in the mahajan and help him or induce him to throw out the evil in him. May he not be induced to join the army of co-operation, or has experience proved that he is past praying for?
  I note that the movement takes note of all indigenous industries.  I beg publicly to express my gratitude to Government for helping me in my humble effort to improve the lot of the weaver. The experiment I am conducting shows that there is a vast field for work in this direction. No well-wisher of India, no patriot dare look upon the impending destruction of the handloom weaver with equanimity. As Dr. Mann has stated, this industry used to supply the peasant with an additional source of livelihood and an insurance against famine.
  Every Registrar who will nurse back to life this important and graceful industry will earn the gratitude of India. My humble effort consists of, firstly, in making researches as to the possibilities of simple reforms in the orthodox handlooms, secondly, in weaning the educated youth from the craving for Government or other service and the feeling that education renders him unfit for independent occupation and inducing him to take to weaving as a calling as honourable as that of a barrister or a doctor, and, thirdly, by helping those who have abandoned their occupation to revert to it. .... The third may be allowed a few sentences as it has a direct bearing upon the subject before us. I was able to enter upon it only six months ago. Five families that had left off the calling have reverted to it and they are doing a prosperous business. The Ashram supplies them at their door with the yarn they need; it volunteers to take delivery of the cloth woven, paying them cash at the market rate. The Ashram merely loses interest on the loan advanced for the yarn. It has as yet suffered no loss and is able to restrict its loss to a minimum by limiting the loan to a particular figure. All future transactions are strictly cash. We are able to command a ready sale for the cloth received. The loss of interest, therefore, on the transaction is negligible. I would like the audience to note its purely moral character from start to finish. The Ashram depends for its existence on such help as friends render it. We, therefore, can have no warrant for charging interest. The weavers could not be saddled with it. Whole families that were breaking to pieces are put together again. The use of the loan is predetermined.
  And we the middlemen being volunteers obtain the privilege of entering into the lives of these families 1 hope for their and our betterment. We cannot lift them without being lifted ourselves. This last relationship has not yet been developed, but we hope at an early date to take in hand the education too of these families and not rest satisfied till we have touched them at every point. This is not too ambitious a dream. God willing, it will be a reality some day. I have ventured to dilate upon the small experiment to illustrate what I mean by co-operation to present it to others for imitation. Let us be sure of our ideal. We shall ever fail to realise it, but we should never cease to strive for it. Then there need be no fear of “co-operation of scoundrels” that Ruskin so rightly dreaded.
From the original in Gandhiji's hand; S. N. 6412:
also The Indian Review, October 1917

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