関連サイト

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月

2008年10月30日 (木)

質素な生活と高邁な思索

「理想的な社会とは、最小の労働で、必要なものをどんどん増し加えていくような生活をすべての個人が送ることができる、そういう社会である」

 このように、アフマダーバードの友人が書いてよこしました。この命題は、心地よく、多くの人が受け容れそうなまことしやかな主張に裏付けられています。・・・この世のすべての人が、最小限の労働で可能な限り最高の生活水準を維持できるはずだとするのは、ラクダが針の穴を通ると期待するくらい空想的なことです。この人が言う高い生活水準とは、贅沢な生活のことのようです。これを社会全体で達成するのは、どんな社会でも不可能です。贅沢に限度がなければ、一体我々はどこで止まればよいのでしょうか。世界のあらゆる聖典が、全く正反対のことを教えています。質素な生活と高邁な思索(ワーズワースの言葉)というのが、我々の前に提示されている理想です。大半の人が、これが真理であることを認識しています。しかし、人間が弱いためにその理想に到達できないでいます。しかし、そのような存在を心に描くことは全く問題なくできます。何千万人ものインド人に、ある金額の収入が保証されるべきであるのは、確かに正論です。そして、この理想を達成するには、大型機械は不必要であるばかりでなく、実に有害でさえあるのです。
 人は、日常の欲求をますます増やしていこうと思ったとたん、質素な生活と高邁な思索という理想を求めることをやめてしまいます。このような例は歴史を振り返ればたくさんあります。人の幸福は、実際には満足することにあります。満足していない人は、たとえどれほど多くのものを所有していても、自分自身の欲望の虜になっております。欲望の虜に匹敵するほどの奴隷状態は他にありません。自分自身が最良の友となることもありますが、同時に最大の敵になることもあると賢者は皆公言しています。自由でいるか、奴隷に成り下がるかを決めるのは自分自身です。そして個人についてあてはまることは、社会についてもあてはまります。
セワグラム 1940年10月9日
ハリジャン 1942年2月1日

PLAIN LIVING AND HIGH THINKING

An ideal society is that in which every individual will be able to live a life of progressively increasing wants with a minimum output of labour.

  Thus writes a friend from Ahmedabad. The proposition is pleasing and is backed by plausible argument which many may accept. ・・・That everyone in this world should be able to maintain as high a standard of life as possible with the least possible output of labour is just as fantastic as to expect a camel to pass through the eye of a needle. The writer’s high living would appear to mean luxurious living which is an impossible proposition for any society as a whole. And when there is no limit to luxury where shall we stop? All the scriptures of the world have taught the exact opposite.  Plain living and high thinking is the ideal that has been placed before us. The vast majority recognize its truth but are unable to get there because of human frailty. It is, however, perfectly possible to envisage such an existence. That the crores in India should be guaranteed a certain income is only right, and to achieve this ideal large-scale machinery is not only not necessary but wholly destructive.
  Man falls from the pursuit of the ideal of plain living and high thinking the moment he wants to multiply his daily wants. History gives ample proof of this. Man’s happiness really lies in contentment.  He who is discontented, however much he possesses, becomes a slave to his desires. And there is really no slavery equal to that of his desires. All the sages have declared from the house-tops that man can be his own worst enemy as well as his best friend. To be free or to be a slave lies in his own hands. And what is true for the individual is true for society.
SEVAGRAM, October 9, 1940
Harijan, 1-2-1942

2008年10月15日 (水)

道徳性不在の信用取引

 チャンパーランには、いわゆる農業銀行というものがあります。協同運動の成功例として期待しているのであれば、期待はずれに終わる努力をしているだけだと私は思っています。他方、同じ方向を目指した、ホッジ氏による静かな取り組みも行われています。ホッジ氏に接した人は、その努力を心に刻むことになります。・・・両者の取り組みを見守ることができた私は、当事者がどういう人かということが、一方を成功に導き、もう一方に失敗をもたらす重要な要素だと、ためらうことなく申し上げます。
 私は、熱中しやすいタイプです。しかし、25年間いろいろな事を試み、経験してきましたので、熱中するにしても用心深く、区別をして選択できるようになりました。大義のために働く人は、自分で意識することはないにしても、良い点をさらに増し加え、足りない点は、まさにそのことのゆえにそれが利点となっていくような、そのような働きを必然的にしてしまうのです。・・・・ですから、私は、協同運動に熱中している人々に、かなわない望みを抱くことがないようにと忠告しておきたいのです。
 ダニエル・ハミルトン卿にとっては、宗教になってしまいました。昨年の1月13日に、スコットランド教会付属大学の学生達に対して行った演説の中で、教訓として彼は200年前のスコットランドの貧困状態を例としてあげました。そして、偉大なるスコットランドが、いかにして貧困状態を脱して豊かになったかを説明しました。2つの勢力によってスコットランドは立ち直ったが、その2つとは、スコットランド教会とスコットランド銀行だったと彼は述べたのです。教会が人間を養成し、銀行は、世に出て行くために必要なお金を人に与えるべくお金を作り出したというのです。.... 教会は国民が神を畏れるように指導します。これが、知恵の始まりであるわけです。そして教区の学校で子どもたちは、人生の主要な目的は、神に栄光を帰すことであり、神との交流を永遠に楽しむことであると教わります。神と自分を信じるような教育が行われています。そしてそのようにして養成された信頼に足る人格に基づいて、スコットランド銀行の制度が確立されたというわけです。ダニエル卿は、そのように養われた人格に基づいてのみ、この素晴らしいスコットランド銀行の制度は立ち上がっていくことが可能になると語っていくのです。ここまでは、ダニエル卿の考えに異論は全くありません。「人格なくして、協力はありえない」というのが、至言だからです。
 しかし、さらにもっと先へと続いていくのです。油がのってきて協同運動について長々と演説をしていきます。「皆さんが夢見るインドの将来像が何であったとしても、それは、インドをひとつにまとめて、世界の中でインドが正しい位置を占めるようにすることであり、英国政府がここにいて、その政府の手にある溶接のためのハンマーは、協同運動であることは忘れてはいけません」と続くのです。彼に言わせれば、目下インドが苦しんでいるあらゆる病気に対する万能薬が、協同運動なのだそうです。・・・熱血漢の大風呂敷と私は思っています。彼の大げさな結論の注目してください。
 「信頼と信義でしかない信用取引が、世界の金権力となりつつあります。証書という弾丸に山をも動かす信仰が刻印されているのです。インドは勝利と平安を見出すでしょう」
 ここに、思考の混乱が見て取れます。世界の金権力となりつつある信用取引には、道徳的な基盤はほとんどありません。そしてそれは、純粋に道徳的な特性である信頼や信義と同義語ではないのです。私が20年間経験したことからいいましても、南アフリカの銀行と取引をしていた何百人もの人から、よく次のような意見を耳にしたものです。その言葉は今でも私の心に深く刻まれています。「悪人ほど、銀行からたくさん貸してもらえる」というのです。銀行は借り主の道徳性になど頓着しません。貸付高や約束手形に見合う金額を期日までに支払ってくれさえすれば良いのです。狡猾な蛇がとぐろを巻いているように、この信用システムが我々の美しい地球を取り囲んでいます。もし我々が気に留めずにいるならば、きっと我々の息の根を止めてしまうことでしょう。このシステムによって破綻した家庭を数多く見てきました。そしてその信用に協同の名がついていても、いなくても違いはありません。この死のとぐろによって、ヨーロッパにはひどい状態がもたらされ、私たちは成す術もなくそれを見つめています。今日ほどそれがあてはまることはないように思われますが、法治下にあっても、戦争中であっても財布を長持ちさせたものが、最後には勝利を収めるのです。私が、信用システムについて現在一般的に考えられていることに焦点を当てましたのも、次の点を強調したかったからです。つまり、協同運動がインドのためになるかは、その運動がどの程度まで道徳的運動であるかにかかっています。そして、宗教的情熱に燃えている人が厳格に指導すべきです。ですから、協力の手を差し伸べるのは、道徳的に正しい行いをしたいと思いながら、非常に貧しいためあるいは高利貸しの餌食になってしまったためにそれができないでいる人々に対してだけにとどめるべきです。適正な利率で金を貸してくれる施設に不道徳な人間を正しい人間に変える力はありません。しかし、国家の英知をを代表する人たちや、慈善家たちは、良くなりたいと努力をしている人々を、どんどん支援したらよいと主張するのです。
 物が豊かになれば、人の性質も良くなると信じてしまうことが、あまりにも多いのです。インドにとって良いことがとてもたくさんあるはずの運動が、低金利の融資をするだけの団体に成り下がってしまわないようにする必要があります。ですから、私はインド協同委員会の報告書にある忠告を読んで嬉しくなりました。それには、政府が人々の改善を期待できるのは、本物の協同運動だけ、つまり問題の道徳的側面を認識する協同運動だけであって、いかに立派に見えても協同運動の原則を無視して建てられた組織ではないのだという主張が堂々と掲げられていました。
 この基準に照らせば、運動の成果を創設された協同組合の数で測るようなことはなくなります。協力者の道徳性で測るようになるでしょう。そうすれば責任者も団体の数を増やすよりも前に、今ある団体を道徳的にもっとしっかりさせることに重点をおくようになります。そして政府の後押しも条件つきとなるでしょう。つまり、登録団体の数ではなく、現在ある施設で道徳性がどの程度向上したかが基準となります。そこで、メンバーに貸し与えられたすべてのパイス(インド・パキスタンの旧通貨単位: =1/64ルピー)の行き先を辿ることになります。協同組合の適切な活動に責任を有する人は、前渡ししたお金が、お酒の勘定に化けたり、賭博場の管理人の懐に入ったりしていないか注意します。賭博をなくし、農家からお酒を追放することができるのであれば、金貸しの強欲さに目をつぶっても良いのですが・・・
 高利貸しについて一言述べるのも的外れではないでしょう。協同運動というのは、新しい試みではありません。農民たちは、作物を食い荒らすサルや鳥を、協同で太鼓をたたいて追い払っています。脱穀場を共同利用しています。牛を守るために最良の土地を牛の放牧場として奉げるような、協同行為を彼らが行っているのを見たこともあります。さらに、とりわけ貪欲な高利貸しに対して共同戦線も張ってきました。高利貸しが農民たちをしっかり握っているから、協同運動も成功しないのではないかと疑問の声が上がっていました。そのような恐れを私は共有しません。もし高利貸しが悪の力を代表するものであるなら、最強の高利貸しといえども、本質的に道徳的な運動として始まった協同運動の前には、屈服するに違いないからです。高利貸しについてはチャンパーランでの限られた体験しかありませんが、それでも私は、高利貸しが「荒廃的影響力」を及ぼしているという一般的な考えを訂正することになりました。常に情け容赦ないわけではなく、最後の一切れまでむしりとるわけでもないことを発見しました。時には、いろいろなやり方でお客にサービスをすることもあるのです。ひどい困窮状態にあるときには、救いの手を差し伸べることさえあります。私が実際に見てきたことは限られていますから、そこから、どんな結論も導くことはできませんが、高利貸しから良い点を引き出して、悪いところを捨てていくように彼に迫っていく、真剣な取り組みを行えないだろうかと、謹んで問うてみたいのです。協同運動の団体に加わるように説得できないでしょうか。これまでの経緯から改心の見込みがないと言うのでしょうか?
 この運動がインド固有のあらゆる産業を視野に入れていることに、私は気づいています。私が機織り職人の境遇を改善しようと行っているささやかなて取り組みを、政府が支援してくださっていることに、この場を借りて感謝申し上げたいと思います。試みてきたことから、この分野においてたくさんの仕事があることがわかってきました。インドの幸福を願う愛国者で、手織り職人が今にも消滅してしまおうとしているのを、平然と眺めていられる人はいないでしょう。マン博士が述べたように、これは農民に追加の収入をもたらしていた産業であり、飢饉に対する保険の役割を果たしていました。
 協同運動の責任者で、この重要かつ優美な産業を生き返らせた人は必ず、インドの賞賛をえることになるでしょう。私のささやかな取り組みでは、最初に、従来の手織り機に単純な改良の余地はないか調査をし、次に、教育を受けた若者が政府関係やその他の仕事につきたいという思いを捨てるようにさせ、彼が受けた教育は独立した仕事に向かないような人間をつくる教育だったと気づかせ、弁護士や医師と同じく名誉ある素晴らしい仕事として機織りにつくように仕向けていきます。そしてさらに、機織りをやめた職人たちが、復帰できるように助けるのです。・・・この最後の取り組みについては、我々の今日のテーマと直接関係していますので、少し詳しく説明させていただいても良いでしょう。私は、ほんの半年前にこの取り組みを始めました。この天職をあきらめていた5つの家族が、この仕事に復帰しました。そして仕事はうまくいっています。彼らが必要とする糸は、アシュラムの責任で戸口まで届けます。織られた布も、アシュラムのほうで取りにうかがい、市価で現金で買い取ります。最初の糸代として前払いした額の金利分だけを、アシュラムは負担することになります。これまでのところ、損失は出していませんし、貸付を限度内に抑えることで、負担も最小ですんでいます。今後の業務はすべて断固として現金払いを貫きます。受け取った布はすぐに売ることができています。ですから、この業務における金利分の損失は、無視できるほどの額でしかありません。この最初から最後まで、道徳的であるという点に注目していただきたいのです。アシュラムは、友人が手を貸してくれるような援助に、存在の全てを依存しています。ですから、我々には、利息を請求する権限はないのです。機織りに対して利息が貸されることはありえません。ばらばらに崩壊してしまっていた家族が、まとまりを取り戻します。貸付の使い道は、あらかじめ決められています。
 我々仲介者は、ボランティアですので、これらの家族の生活に関わっていく特権を得ています。そして、彼ら、および我々の状態がより良くなることを願っているのです。自分たちが向上しなくては、彼らの状態を良くすることもできません。今ここで最後に述べましたような関係は、まだできあがっていません。しかし、早い時期にこれらの家族の教育にも着手したいと願っています。そして彼らのあらゆることに関わっていけるようになって、初めて我々は満足するのです。これは決して、見果てぬ夢ではありません。神がそう望めば、いつの日か現実となります。この小さな実験を長々と述べてきましたのも、私が考える共同事業とは何かを皆さんに示して、それを真似てもらいたいと思ったからです。我々の理想が何かを、確認しましょう。実現することはなかなかできないかもしれません。しかし、それに向けて努力するのを、決してやめてはいけません。そうすれば、ラスキンには正当な理由があって恐れていた「悪党の協同」を、我々は怖がる必要がないのです。
インディアン・レビュー 1917年10月

  There are so-called agricultural banks in Champaran. They were to me disappointing efforts, if they were meant to be demonstrations of the success of co-operation. On the other hand, there is quiet work in the same direction being done by Mr. Hodge, a missionary whose efforts are leaving their impression on those who come in contact with him. .... I who was able to watch the two efforts had no hesitation in inferring that the personal equation counted for success in the one and failure in the other instance.
  I am an enthusiast myself, but twenty-five years of experimenting and experience have made me a cautious and discriminating enthusiast. Workers in a cause necessarily, though quite unconsciously, exaggerate its merits and often succeed in turning its very defects into advantages. .... I would venture, therefore, to warn enthusiasts in co-operation against entertaining false hopes.
  With Sir Daniel Hamilton, it has become a religion. On the 13th January last, he addressed the students of the Scottish Churches College, and in order to point a moral he instanced Scotland's poverty of two hundred years ago and showed how that great country was raised from a condition of poverty to plenty. He said: There were two powers which raised her---the Scottish Church and the Scottish banks. The Church manufactured the men and the banks manufactured the money to give the men a start in life.... The Church disciplined the nation in the fear of God which is the beginning of wisdom and in the parish schools of the Church, the children learned that the chief end of man's life was to glorify God and to enjoy Him for ever. Men were trained to believe in God and in themselves, and on the trustworthy character so created, the Scottish banking system was built. Sir Daniel then shows that it was possible to build up the marvellous Scottish banking system only on the character so built. So far there can only be perfect agreement with Sir Daniel, for "Without character there is no co-operation" is a sound maxim.
  But he would have us go much further. He thus waxes eloquent on co-operation: Whatever may be your day-dreams of India's future, never forget this that it is to weld India into one, and so enable her to take her rightful place in the world, that the British Government is here; and the welding hammer in the hand of the Government is the co-operative movement.
  In his opinion, it is the panacea of all the evils that afflict India at the present moment. .... I venture to think, it is an enthusiast's exaggeration. Mark his peroration: Credit which is only Trust and Faith, is becoming more and more the money power of the world, and in the parchment bullet into which is impressed the faith which removes mountains, India will find victory and peace.
  Here there is evident confusion of thought. The credit which is becoming the money power of the world has little moral basis and is not a synonym for Trust or Faith, which are purely moral qualities.  After twenty years' experience of hundreds of men, who had dealings with banks in South Africa, the opinion I had so often heard expressed has become firmly rooted in me, that the greater the rascal, the greater the credit he enjoys with his banks. The banks do not pry into his moral character; they are satisfied that he meets his over-drafts and promissory notes punctually. The credit system has encircled this beautiful globe of ours like a serpent’s coil, and if we do not mind, it bids fair to crush us out of breath. I have witnessed the ruin of many a home through the system, and it has made no difference whether the credit was labelled co-operative or otherwise. The deadly coil has made possible the devastating spectacle in Europe, which we are helplessly looking on. It was perhaps never so true as it is to-day that as in law so in war the longest purse finally wins. I have ventured to give prominence to the current belief about credit system in order to emphasise the point that the co-operative movement will be a blessing to India only to the extent that it is a moral movement strictly directed by men fired with religious fervour. It follows, therefore, that co-operation should be confined to men wishing to be morally right, but failing to do so, because of grinding poverty or of the grip of the mahajan(Moneylender).  Facility for obtaining loans at fair rates will not make immoral or unmoral men moral. But the wisdom of the State or philanthropists demands that they should help, on the onward path, men struggling to be good.
  Too often do we believe that material prosperity means moral growth. It is necessary that a movement which is fraught with so much good to India should not degenerate into one for merely advancing cheap loans. I was therefore delighted to read the recommendation in the Report of the Committee on Co-operation in India, that they wish clearly to express their opinion that it is to true co-operation alone, that is, to a co-operation which recognises the moral aspect of the question that Government must look for the amelioration of the masses and not to a pseudo co-operative edifice, however imposing, which is built in ignorance of co-operative, principles.
  With this standard before us, we will not measure the success of the movement by the number of co-operative societies formed, but by the moral condition of the co-operators. The Registrars will in that event ensure the moral growth of existing societies befor multiplying them. And the Government will make their promotion conditional, not upon the number of societies they have registered, but
the moral success of the existing institutions. This will mean tracing the course of every pice lent to the members. Those responsible for the proper conduct of co-operative societies will see to it that the money advanced does not find its way into the toddy-sellers’ till or into the pockets of the keepers of gambling dens. I would excuse the rapacity of the mahajan if it has succeeded in keeping the gambling die or toddy from the ryot’s home.
  A word perhaps about the mahajan will not be out of place.  Co-operation is not a new device. The ryots co-operate to drum out monkeys or birds that destroy their crops. They co-operate to use a common thrashing floor. I have found them co-operate to protect their cattle to the extent of their devoting their best land for the grazing of their cattle. And they have been found co-operating against a particularly rapacious mahajan. Doubt has been-expressed as to the success of co-operation because of the tightness of the mahajan's hold on the ryots. I do not share the fears. The mightiest mahajan must, if he represents an evil force, bend before co-operation, conceived as an essentially moral movement. But my limited experience of the mahajan of Champaran has made me revise the accepted opinion about his ‘blighting influence’.  I have found him to be not always relentless, not always exacting of the last pie. He sometimes serves his clients in many ways or even comes to their rescue in the hour of their distress. My observation is so limited that I dare not draw any conclusions from it, but I respectfully enquire whether it is not possible to make a serious effort to draw out the good in the mahajan and help him or induce him to throw out the evil in him. May he not be induced to join the army of co-operation, or has experience proved that he is past praying for?
  I note that the movement takes note of all indigenous industries.  I beg publicly to express my gratitude to Government for helping me in my humble effort to improve the lot of the weaver. The experiment I am conducting shows that there is a vast field for work in this direction. No well-wisher of India, no patriot dare look upon the impending destruction of the handloom weaver with equanimity. As Dr. Mann has stated, this industry used to supply the peasant with an additional source of livelihood and an insurance against famine.
  Every Registrar who will nurse back to life this important and graceful industry will earn the gratitude of India. My humble effort consists of, firstly, in making researches as to the possibilities of simple reforms in the orthodox handlooms, secondly, in weaning the educated youth from the craving for Government or other service and the feeling that education renders him unfit for independent occupation and inducing him to take to weaving as a calling as honourable as that of a barrister or a doctor, and, thirdly, by helping those who have abandoned their occupation to revert to it. .... The third may be allowed a few sentences as it has a direct bearing upon the subject before us. I was able to enter upon it only six months ago. Five families that had left off the calling have reverted to it and they are doing a prosperous business. The Ashram supplies them at their door with the yarn they need; it volunteers to take delivery of the cloth woven, paying them cash at the market rate. The Ashram merely loses interest on the loan advanced for the yarn. It has as yet suffered no loss and is able to restrict its loss to a minimum by limiting the loan to a particular figure. All future transactions are strictly cash. We are able to command a ready sale for the cloth received. The loss of interest, therefore, on the transaction is negligible. I would like the audience to note its purely moral character from start to finish. The Ashram depends for its existence on such help as friends render it. We, therefore, can have no warrant for charging interest. The weavers could not be saddled with it. Whole families that were breaking to pieces are put together again. The use of the loan is predetermined.
  And we the middlemen being volunteers obtain the privilege of entering into the lives of these families 1 hope for their and our betterment. We cannot lift them without being lifted ourselves. This last relationship has not yet been developed, but we hope at an early date to take in hand the education too of these families and not rest satisfied till we have touched them at every point. This is not too ambitious a dream. God willing, it will be a reality some day. I have ventured to dilate upon the small experiment to illustrate what I mean by co-operation to present it to others for imitation. Let us be sure of our ideal. We shall ever fail to realise it, but we should never cease to strive for it. Then there need be no fear of “co-operation of scoundrels” that Ruskin so rightly dreaded.
From the original in Gandhiji's hand; S. N. 6412:
also The Indian Review, October 1917

2008年10月 6日 (月)

全ての人を友人として抱きしめる日の到来を目指して

 処刑することで、政府は、この国を大いに挑発しました。バガッド・シンたちを救えるのではないかというかすかな希望が、交渉や話し合いによって芽生えていただけに、私にとってもショックなことでした。彼らを救えなかったために、若い人々が私に腹を立てたとしても、私は驚いたりはしません。しかし、私が彼らに腹を立てる理由はありません。まず言えることは、このようなことがあったのは、私の人生で初めてのことではありません。人類に奉仕することが使命だと宣言している者は、奉仕する相手に腹を立ててはならないのです。私にとって非暴力が、私の信条ですから、私は誰に対しても腹を立てることがあってはいけないのです。たとえ、非暴力を信条としていなくても、ご主人様に腹を立てないのが、本物の僕としての義務です。僕であれば、怒りはタブーです。 もし、怒りをこらえられないのであれば、その人は、人類の奉仕者であることを辞めるべきです。私は辞めたくありませんので、彼らには怒る権利があっても、私にはないと申し上げているのです。しかし、私は彼らに次のことは言っておかねばなりません。この若い人たちが生まれた頃よりもずっと前から、私は農民や労働者のために働いてきたのです。私は彼らの中に入って暮らしてきました。彼らと運命をともにしてきました。奉仕の誓いを立ててから、私は人類のために、自らの頭脳を奉げてきました。私の頭を叩き落すことは、まったくたやすいことです。どんな準備も、組織作りも必要ありません。私は誰かに警護してもらおうとは思ったことは一度もありません。実際、自分の身を守ろうと考えるのは、意味のないことです。と言いますのも、私を守れるのは、全能の神だけだと私は知っているからです。ここまで述べた上で、はっきり申し上げておきたいのですが、昨日の若者たちの意思表示は、私を怒らせるどころか、私はむしろうれしかったのです。彼らに無作法なところはなかったからです。彼らは私に手を出すこともできましたが、そうしないで、私のボディーガードとなって、自動車のところまで付き添ってくれたのです。彼らを目にした時は、本当のところ、暴徒に囲まれて襲われた南アフリカでの出来事がまた繰り返されるのかと、思ってしまいました。
 しかし、心配することはなかったのです。若者たちは、「ガンジー帰れ!」、「ガンジー主義くたばれ!」と叫んでいるだけでした。持てる限りの力を尽くして、バガット・シンを救おうとしなかった、あるいは非暴力を信条としているから、バガット・シンやその仲間のことは私の眼中になかったのだと、彼らは思っていたのですから、彼らにはあのような行動をとる権利がありました。しかし、彼らは私に暴行を加えようとは思っていませんでした。それについては、誰にも危害を加えようとはしていなかったのです。彼らは、どんな人でも通してくれました。そして、一人の若者が黒い布で作った花束を手渡してくれたのです。私をめがけて投げつけることも、私をののしることもできましたが、しかし、そのような思惑はありませんでした。私は出かける先々で花束をいただきます。美しい女性から差し出されたものであっても、私はたいてい気に留めません。私のために花を無駄に使わないでほしいと、たしなめることさえあります。しかし、今回の花束は大切なものとして、確かに受け取らせていただきました。この花束をどうするつもりかについても、お話したいと思います。その若者たちが、私のところにやってきて、自分たちは怒るべきではなかったし、私を疑ったのも根拠のないことだったと悟り、だから、花束を返してほしいと言うなら、私は喜んでお返ししたいと思います。しかし、もし彼らがそうしないのであれば、アシュラム(道場:自給自足型の集団生活を送ったガンジーの活動の拠点)にこの花束を送って、家宝にしたいと思います。
 マハトマがどんなに偉大であっても、インドには害でしかないと、この若者たちは確信していて、そのことを世界に宣言したかったのです。私がこの国を裏切っていると、彼らが思っていたのであれば、私のことを暴く権利が彼らにはあったのです。私の考え方を、皆さんには、理解しておいてもらいたいです。私は愛によって彼らを説き伏せたいと思っているのですから、これらの若者に対して、これ以外の態度をとりようがないのです。剣を振り捨てたのですから、私と対立する人々に私が差し出すことができるものは、愛のカップ以外にはありません。このカップを差し出すことによって、私は彼らを私のもとに招き寄せたいと願っています。人と人との間に永久に続く敵意が存在するとは、想像できません。そして、私は輪廻を信じていますので、この生では無理でも、何度目かの生まれ変わりにおいて、すべての人を友人として抱きしめることができる日が来るという希望をもっています。
 この小さな出来事について詳しく述べてきましたのは、若者達に対して反感をいだいてもらいたくなかったからです。私を守らねばと思わないでください。天におられる方が私たち全てをいつも守ってくださっています。私の時が来たれば、誰でも、たとえ世界一と評判の名医であっても、神と私との間に割って入ることはできないのは、皆さんもご承知のことでしょう。
 さて、若い人々に申し上げておきたいことですが、私の尽力を得たいと思うのであれば、私を排除しないでください。私のところに来て、私から全てを理解しようとしてください。殺人者、盗賊、武装ギャングであっても、誰であっても、罰するというのは、私の信条に反することだと知ってください。ですから、バガット・シンを私は救いたくなかったのだと、正当な理由もなく、あなた方は私を疑ったことになります。ただし、バガット・シンの過ちについては、眼を開いて欲しいとも私は思っています。バガット・シンとその仲間たちに話をするチャンスがあったなら、彼らのやり方は間違っており、むなしい結果に終わるということを彼らに話したでしょう。剣という方法によっては、飢えに苦しむ何百万もの人々や、耳の聞こえない人や、話せない人、手足の不自由な人々のためのスワラージ(自治・独立)を勝ち取ることはできないと、私ははっきりと申し上げておきます。天におられる神を証人として、暴力を用いた方法では、スワラージをもたらすことはできず、大惨事に至るだけだという真理を、高らかに宣言したいと思います。父親が子ども達に語りかけるような権威を総動員して、このような若者達に伝えたいのですが、暴力的手法は、永遠の滅びに至る道でしかありません。
 なぜそうなのかを説明しましょう。先の闘争で栄光に輝く働きをした女性や子ども達は皆、もし我々が暴力の道を求めていたなら、同じことをしたでしょうか? 彼らは今ここにいるでしょうか? 世界一従順だといわれるこの国の女性たちは、白いサリーが流れる血で真っ赤に染まるまで、ラティ(棍棒)が振り下ろされる中で立っていたガンガーベーンのような女性たちは、もし我々の中に暴力があったなら、このようなユニークな働きをなしたでしょうか? 神の名を称えながら、ガンガーベーンやその他の女性たちは、心に怒りを抱くこともなく、果敢にも抑圧者に対する不服従を貫いたのです。そして、子どもたちです。おもちゃを、凧や、爆竹で遊ぶのをあきらめて、スワラージの兵士として加わったこの純真な者たちを、どうして暴力的な闘争に参加させることができるでしょうか? 我々が、何百万もの男性、女性、子どもたちを兵士として募ることができたのは、非暴力の誓いを立てていたからです。若者達には、忍耐と自制を養って欲しいと強く要請します。怒りによって、前に進むことはできません英国人を敵であると見なす必要はありません。彼らに対しては、サッティヤーグラハ(真理に基づいた非暴力抵抗運動)を活用してきました。しかし、彼らを敵であると考えたことは一度もありません。私は彼らを変えたいと思いました。そしてそれをなしうる唯一の方法は、愛によってなのです。乱暴な示威行動は、役に立ちません。そのような行為によって、バガット・シンを生き返らせることができるでしょうか? そのようなことをしても、スワラージの到来を遅らせるだけです。我々が腹を立てるのも当然であるような挑発行為を政府がなしたことは、私も認めます。しかし、結果をすぐに欲しがる若い人たちには、神の名において、敬愛する祖国の名において、非暴力の闘争に全身全霊を注いでいただきたいと、切にお願いします。40年間途切れることなく、非暴力を実践してきたこの私の経験を信頼していただきたいのです。
 しかし、そうしていただけず、彼らが私を殺すようなことになるかもしれません。しかし、彼らとて、ガンジー主義を息絶えさせることはできません。真理を殺せるのであれば、ガンジー主義を殺すこともできるでしょう。真実と非暴力によってスワラージを勝ち取るのでなければ、ガンジー主義に何の意味があるでしょうか。彼らは、真実と非暴力を通してスワラージを達成することを、拒むつもりなのでしょうか。ですから、彼らには、シンド(現パキスタン南部、インダス川下流の州)の労働者が成し遂げた素晴らしい成果を台無しにしないでくださいと、私はお願いするのです。労働者は、3週間の闘争を経て、このコングレスナガールを創設したのです。農民、労働者、掃除夫(これら三者は手を取り合って小屋が立ち並ぶこの町を創設しました)のための、そして足が不自由だったり、目が見えなかったりする人のためのスワラージが、さらには、飢えている人もそうでない人にも、惨めに困窮した人にも、スワラージがまもなく生きた現実となることを願って、これを成し遂げたのです。彼らの美しい仕事を台無しにしないでくださいと、心からお願いします。
 さて、次に大虐殺の現場となったカーンプル(インド北部、ウッタールプラデッシュ州中南部のガンジス川右岸の市)の事例についてですが、これは、我々が互いに対して抱いている暴力的な思いが、主要な原因となっています。これは災いの前兆です。ある程度の非暴力については、我々も実践できましたが、心の中には暴力的思いを抱いていたのです。非暴力を強制していたに過ぎなかったのです。新聞は、バガット・シンの殉教をきっかけにして、カーンプルのヒンズー教徒が怒り狂ったと、書き立てています。バガット・シンの喪に服して店を閉めようとしないイスラム教徒を脅迫することから、始まっていったのです。その後の展開については、ご承知の通りです。今、カーンプルで起こっている事態をバガット・シンの霊が目にするならば、貶められ、恥をかかされたと感じるに違いありません。シンは、名誉を重んじる人であったと聞いているからです。何という破壊行為をなしたことでしょう。女性は侮辱され、子どもたちは殺されました。ヒンズー教徒が一人として、殺されたのはイスラム教徒の子ども達だったと安堵することがあってはなりません。一人のイスラム教徒も、ヒンズー教徒の子ども達が死んだのを知って、喜ぶようなことがあってはなりません。彼らがどんな宗教を信じているのか、私にはわかりません。ヒンズー教徒もイスラム教徒も、両方とも、正気を失っていたということに気づくべきです。子ども達は皆、我々の共通の祖国が生んだ、この大地の子ども達です。
 このような流血の事態を私は非常に恥かしく思っています。私の声が届くかぎりの人々に対してはっきりと申し上げます。こんなことをやっていたのでは、やがて私には耐えられない事態へと至るに決まっています。ヒンズー教徒とイスラム教徒が互いに殺戮しあっていて、どうして我々は、非暴力を信奉していると宣言し続けられるでしょうか?真理を愛する私が、どうして、このような不穏な空気が広がっていて、我々は非暴力の国だと信じられるでしょうか。私がそんなことを信じたら、自分自身に対しても、私を造られた神に対しても嘘をついていることになります。私の周囲で大虐殺が行われていて、無関心ではいられません。この生が耐え難いものになった段階で、私は死に至る断食を実行する勇気を持っていたいと願っています。流血の敵意を目撃するくらいなら、死を選ぶことを宣言させてください。厳粛に自発的に立てた誓いを破ることには耐えられないのが、私であると、もう皆さんもご承知でしょう。商人や他の人々が、誓ったことを破るのを見るくらいなら、死んだ方がましです。会議派党員であると宣言して、会議派の綱領に誓いを立てた人々が、心の中で、あるいは公然とそれを破るのを見るくらいなら、死んでいたいものです。このような矛盾を平然とながめるようなことがあれば、この世界や、私を造られた神に対して、どんな顔を向けたらよいというのでしょうか。偽りの、見せかけと欺瞞に溢れた人生を生きていたと、神は私に語ることになるでしょう。私は自分自身と世界をだますことはできません。我が生涯のどの瞬間も、真実と非暴力によってスワラージを勝ち取るために奉げています。
 このような流血の事態は、ここ何年も繰り返されてきているのに、それを止めるために私が何もしてこなかったではないかと、あなた方は言われることでしょう。贖罪の行為は、私にとって機械的な行動ではないのです。内なる声に従うことで、それは行われるのです。私の心中で何が起こっているかについては、ここ数日ずっと皆さんに語ってきました。私が不必要に騒がしているだけであったり、現実に向き合う勇気を失ってしまえば、決定的瞬間を迎えることはないかもしれません。しかし、私は私を造られた神に忠実であらねばならないのです。私にとって、生きることが耐え難いものとなった時点で、自分が不十分な状態でいたくありません。反響を巻き起こすことができなくなり、本物のやり方を発見するのに妨げであるような肉体を自らの意思で引き渡すことにまさる贖罪行為が、他にあるでしょうか。

・・・・
私は総督に有らん限りの嘆願をしました。あらゆる手を尽くして総督に迫りました。・・・私は全身全霊を注いでことに当たりましたが、うまくいきませんでした。・・・
 できるかぎりの努力をしたのは、私だけではありませんでした。敬愛する友人のパンディット氏もサプル博士も最善を尽くしました。しかし、うまくいかなかったからと、どうして悩む必要がありましょうか。成功は神の御手の中にあります。失敗したのであれば、もっと努力しようと思えばよいのです。そのような努力とは、自分自身に忠実であろうとすることであり、ヒンズー教徒とイスラム教徒が兄弟として心から仲良くともに生きようとすることであり、商人やその他の人々が自発的に誓ったことを守ろうとすることであり、労働者が思いにおいても、言葉においても、行動においても暴力を慎もうとすることです。神が我々の歩みを正してくださいますように。自分自身と神に忠実になれる力を、神が私たちに与えてくださいますように。

カラチ国民会議でのスピーチ  1931年3月26日
ヤングインディア 1931年4月2日

  By the executions the Government have given the nation grave cause for provocation. It has shocked me too inasmuch as my negotiations and talks had made me entertain a distant hope that Bhagat Singh might be saved. I am not surprised that young men are angry with me for not having been able to save them. But I have no reason to be angry with them. For one thing, this is not the first occasion of its kind in my life. It is the duty of him who claims to serve humanity not to be angry with those whom he is serving. As for myself non-violence being my creed, I cannot afford to be angry with anybody. But even if it is not his creed, it is the duty of a genuine servant not to be angry with his masters. Anger ought to be taboo with him. But if he cannot help being angry, hemust abdicate his function as servant of humanity. I for one do not want to do so and therefore I said they had a right to be angry, not I.  But I must tell them I had been serving the peasants and workers long before the young men were born. I have lived amongst them, cast my lot with them. Ever since I took the pledge of service, I have dedicated my head to humanity. It is the easiest thing in the world to chop off my head, it does not take the slightest preparation or organization. And outside protection I have never sought. In fact it is futile to think of protecting me for I know that God Almighty is the only Protector. Having said this, let me declare that the demonstrations of the young men yesterday far from making me angry delighted me, inasmuch as there was no discourtesy about them.  They might have laid hands on me; instead, they formed my bodyguard and escorted me to my car. I must confess that when I saw them, I felt that my experiences in South Africa, where I was mobbed and assaulted, were going to be repeated.
  But there was no cause for apprehension. The young men were simply shouting, “Gandhi go back”, “Down with Gandhism”. They had a right to do so inasmuch as they thought that I had not done everything in my power to save Bhagat Singh, or that being a believer in ahimsa, I had simply neglected Bhagat Singh and his comrades. But they had no intention to molest me or for the matter of that anyone else. They allowed everyone to pass, and then a young man handed to me flowers made of black cloth. They might have thrown them on me and insulted me, but they had no such intention. Flowers are given me everywhere, I am usually indifferent about them, even when they are received from dear sisters and sometimes even chide them for wasting the flowers on me. But these I seized and have treasured them. I shall also tell you what I want to do with them. If the young men come and tell me that they should not have been angry and that their suspicions about me were groundless and that therefore they want the flowers returned to them, I shall gladly give them back. But if they do not do so, they will be sent to the Ashram to be preserved as heirlooms.
  Those young men wanted to proclaim to the world that how-ever great the Mahatma may be, they were sure that he was doing harm to India. I think they had a right to expose me, if they felt that I was betraying the country. I want you to understand my attitude. I cannot behave otherwise with these young men inasmuch as I want to win them over by love. Having flung aside the sword, there is nothingexcept the cup of love which I can offer to those who oppose me. It is by offering that cup that I expect to draw them close to me. I cannot think of permanent enmity between man and man, and believing as I do in the theory of rebirth, I live in the hope that if not in this birth, in some other birth I shall be able to hug all humanity in friendly embrace.
  I have dwelt at length on this little episode, in order that you may not think ill of the young men. Do not seek to protect me. The Most High is always there to protect us all. You may be sure that when my time is up, no one, not even the most renowned physician in the world, can stand between Him and me.
  And now a message for the young men. If you want my service, do not disown me; come and understand everything from me. You must know that it is against my creed to punish even a murderer, a thief or a dacoit. There can be therefore no excuse for suspicion that I did not want to save Bhagat Singh. But I want you also to realize Bhagat Singh's error. If I had had an opportunity of speaking to Bhagat Singh and his comrades, I should have told them that the way they pursued was wrong and futile. I declare that we cannot win swaraj for our famishing millions, for our deaf and dumb, for our lame and crippled, by the way of the sword. With the Most High as witness I want to proclaim this truth that the way of violence cannot bring swaraj, it can only lead to disaster. I wish to tell these young men with all the authority with which a father can speak to his children that the way of violence can only lead to perdition.
  I shall explain to you why.  Do you think that all the women and the children who covered themselves with glory during the last campaign would have done so if we had pursued the path of violence? Would they have been here today? Would our women known as the meekest on earth, would women like Gangabehn, who stood the lathi-blows until her white sari was drenched in blood, have done the unique service they did if we had violence in us? With God's name on their lips she and her sisters hurled defiance at their oppressors, without anger in their hearts. And our children. How could you have had these innocent ones, who renounced their toys, their kites and their crackers, and joined as soldiers of swaraj--how could you have enlisted them in a violent struggle? We were able to enlist as soldiers millions of men, women and children because we were pledged to non-violence. I beseech the young men to have patience and self-control.  Anger cannot take us forward. We need not consider the Englishmen as our enemies. I have used satyagraha against them but have never thought of them as enemies. I want to convert them and the only way is the way of love. Rowdy demonstrations cannot help us. Could they call Bhagat Singh back to life? They can only retard the advent of swaraj. I agree that the Government has given sufficient cause for provocation, but I want the impatient youth in the name of God, in the name of our dear Motherland, to throw themselves heart and soul in the non-violent struggle. I ask them to trust my unbroken experience of forty years of the practice of non-violence.
  But if they will not, they might kill me but they cannot kill Gandhism. If Truth can be killed Gandhism can be killed. If non-violence can be killed Gandhism can be killed. For what is Gandhism but winning swaraj by means of truth and non-violence? Will they refuse swaraj attained through truth and non-violence? I ask them therefore not to mar the wonderful work done by the workers of Sind.  The workers have in the course of three weeks created this Congressnagar, so that swaraj for the peasant, the labourer, the scavenger--all of whom have worked cheek by jowl in creating this city of huts--the lame and the blind, the starving and the well-fed, the wretch and the poor, may soon be a living reality. I beseech you not to mar the beautiful work they have done.
  This leads me to the events in Cawnpore which has been a scene of carnage. This is due largely to the violence we had harboured against one another. It is the handwriting on the wall. Though we have shown ourselves capable of limited non-violence, we have harboured violence in our hearts, we have been guilty of using coercion. The papers allege that Cawnpore Hindus went mad over Bhagat Singh's martyrdom and started with intimidating the Mussalmans who would not close their shops in Bhagat Singh's honour. You know the sequel.  I am quite sure that if the spirit of Bhagat Singh is watching what is happening in Cawnpore today, he would feel deeply humiliated and ashamed. I say this for I have heard him described as a man of honour. And what havoc we have done! Women insulted! Children done to death! Let no Hindu comfort himself with the thought that they were Mussalman children; let no Mussalman feel happy in the knowledge that it is Hindu children who have been killed. I do not know their religion. Let it be recognized that both Hindus and Mussalmans had lost their senses. They were all children of the soil, children of our common Motherland.
  I have felt deeply ashamed of these deeds of blood, and to whoever my voice may reach I wish to declare that such things may any day prove more than I can bear. How can we, with Hindus and Mussalmans slaughtering one another, continue to assert that we have been non-violent? How can I, a votary of truth, hug the belief that we as a nation are non-violent if the mischief spreads? If I did so, I would be untrue to myself and to my Maker. With carnage going on about me I cannot bear to live unconcerned. Let me declare, that as soon as I feel that life is unbearable, I should hope to have the courage to fast myself to death rather than witness these blood feuds. You know by this time that I cannot bear denial of pledges solemnly and voluntarily undertaken. I would sooner be dead than see merchants and others break their pledged word, than see those calling themselves Congressmen and swearing by the creed of the Congress break it in their hearts or openly. If I can witness this contradiction with equanimity, with what face can I stand before the world and my Maker? He will tell me I have been living a life of falsehood, a life of sham and fraud. I may not deceive myself and the world. Every moment of my existence is dedicated to the winning of swaraj by means of truth and non-violence.
  I know you will say that that sort of thing has been going on all these years, and I have done nothing to stop it. Penances with me are no mechanical acts. They are done in obedience to the inner voice. I am telling you what has been going on within me all these days. The crisis may never come, either because I am unnecessarily agitated, or because I have lost courage to face reality. I must be true to my Maker, and the moment I feel that life is insupportable for me, I hope not to be found wanting. What better reparation can I do than willing surrender of the body that has ceased to evoke response and may be a hindrance to the discovery of the true way?
.....
  I pleaded with the Viceroy as best I could. I brought all the persuasion at my command to bear on him. .... I poured my whole soul into it, but to no avail. ....
  And it was not I alone who did what was humanly possible.  The revered friend Panditji and Dr. Sapru tried their best. But why should that failure worry us? Success is in God’s hands. Our failure should spur us to greater effort. That effort lies in being true to ourselves, in Hindus and Mussalmans determining to live as brothers in heart unity, merchants and others keeping their voluntary pledges, in workers eschewing violence in thought, word and deed. May God help us tomend our ways. May He help us to be strong enough to be true to ourselves and to Him.

SPEECH AT KARACHI CONGRESS    March 26, 1931
Young India, 2-4-1931

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »